『モディリアーニ作「ジャンヌ・エビュテルヌの肖像」1919年』

1920年1月25日は、強烈に個性的な作品と壮絶な人生を送ったことで知られるイタリアを代表する画家。アメディオ・モディリアーニが死亡した日である。
イタリアで模範的な美大生であったが、パリに移住すると、ピカソを始めとしたそこに集う強烈な才能に衝撃を受けて生活態度を一変、酒と麻薬(アブサン、ハッシッシ)を大量に常用するという過剰なまでに無頼な別人格に生まれ変わったのだった。
そして1916年頃からは早くも人生の最終段階を迎え、その才能も爆発的に発露。最後の3年刊で現在残るほぼすべての作品を書き上げたのだった。また、出入りの激しかった異性関係もジャンヌ・エビュテルヌと出会ってからは落ち着き、1919年頃には婚約し長女ジャンヌ・モディリアーニを出産、、ジャンヌの腹には2人目の子を宿すまでの関係になっていた。
しかし、1917年に行なった最初で最後の個展は、裸婦の展示を咎めた警察に踏み込まれて台無しに。そして日頃の無軌道な生活に体が悲鳴を上げるように、1920年1月24日に、2人目の子供の出産をみることもなく、ジャンヌと結婚式を挙げることもなく、結核性髄膜炎で死亡した。
だがモディリアーニの悲劇はまだ終わらなかった。翌日に妻のジャンヌが腹の子を道連れに飛び降り自殺。1歳2カ月の長女ジャンヌは、孤児となった。
一説によれば、モディリアーニは生来患っていた結核を隠すために無理矢理に薬物とアルコールの依存を続けるしかなかったともいわれているが、その最後をみると、壮絶な終焉に相応しい人生を、その才能が予期していただけなのかもしれない。

(写真はWikipedia Amedeo Modiglianiより使用。Public Domain)

1月24日の不幸

1972年
【戦争】『横井庄一さん発見』グアム島に派遣されたまま日本の敗戦を知らないままジャングルに潜伏していた元日本兵の横井庄一が発見される。エビ、ウナギ捕獲の罠を仕掛けに行ったところ現地住民に発見されたため。グァムに派兵されてから28年を経過していた。帰国後の記者会見で言った「恥ずかしながら生きながらえておりましたけど」が「恥ずかしながら帰ってまいりました」に変換され流行語になった。
1973年
【交通事故死】大場政夫【プロボクサー】1970年10月22日に行なわれた対ベルクレック・チャルバンチャイ(タイ)戦に13回KO勝ちを収め、世界初挑戦でWBA世界フライ級王座世界チャンピオンに。その後も世界ランク1位のオーランド・アモレス(パナマ)を5回KOで下すなど、5回連続で王座防衛に成功したが、5度目の防衛を果たした1月2日のわずか3週間後、自ら運転するシボレー・コルベットで首都高を走行中に反対車線に飛び出し、大型トラックと正面衝突死。没年23歳。生涯成績38戦35勝(16KO)2敗1引き分け。