『大場政夫のポートレート』

1973年1月25日は、WBA世界フライ級王座を5度防衛中の大場政夫が交通事故死した日である。
1970年10月22日に行なわれた対ベルクレック・チャルバンチャイ(タイ)戦に13回KO勝ちを収め、今や日本最大のボクシングジムとなった帝拳ジム所属のボクサーとして初の世界チャンピオンに。
その後も世界最強の挑戦者といわれたオーランド・アモレス(パナマ)を5回KOで下すなど、5回連続で王座防衛に成功。
距離をとりながらも打ちあう逆転の多いファイトスタイルで、“逆転の貴公子”の異名をとり、人気・実力共を兼ね備えたボクサーとして国民的人気を誇っていた。
そんな人生の絶頂期、5度目の防衛を果たした1月2日のわずか3週間後、自ら運転するシボレー・コルベットで首都高を走行中に衝撃的な事故死をした。5号池袋線の大曲カーブを曲がりきれずに反対車線に飛び出し、大型トラックと正面衝突、トラックの車体の下敷きになった大場の愛車は大破しており、即死だった。
極貧の環境で育ち、中学校卒業と共にボクサーに、貧弱な体故に疑われたそのボクサーとしての資質を持ち前の努力と才能で世界に証明してみせた矢先の悲劇だった。
現役王者のまま死亡した大場を、人は“永遠のチャンプ”と呼び語り継いでいるが、大場自身がその栄光を実感できたのは、たった2年半にも満たない僅かな時間であった。

(写真はWikipedia Masao Ohbaより使用)

1月25日の不幸

1920年
【自殺】ジャンヌ・エビュテルヌ(Jeanne Hébuterne)【画家/フランス】自身も画家としての道を歩んでいたが、前日に死亡した内縁の夫であり世界的画家のアメディオ・モディリアーニの後を追い5階から飛び降り自殺したことで知られる人物。錯乱状態の最中、娘のジャンヌを置き去りにし、妊娠中の子供を巻き添えにしての自殺であったために話題を呼んだ。没年21歳。彼女の遺族はその死をモディリアーニのせいとして別の地に埋葬していたが、10年後に夫のそばに改葬。その墓碑銘には「過激な自己犠牲をも辞さないほど献身的な伴
1970年
【死去】円谷英二【映画監督】カメラマンとして活躍後、撮影技師としても数々の技術を開発し特技監督に。『ゴジラ』等に代表される東宝怪獣映画で活躍し、円谷特技プロダクション(後の円谷プロ)を設立。その後も東宝での活躍の傍ら、テレビでの特撮にも進出。『ウルトラQ』から『ウルトラマン』へと続く一連の特撮シリーズを同プロダクションで手がけ、"特撮の神"と呼ばれる存在に。1970年1月25日に妻と伊東の別荘滞在中に気管支喘息からの狭心症で死去。没年68歳。
1973年
【交通事故死】大場政夫【プロボクサー】1970年10月22日に行なわれた対ベルクレック・チャルバンチャイ(タイ)戦に13回KO勝ちを収め、世界初挑戦でWBA世界フライ級王座世界チャンピオンに。その後も世界ランク1位のオーランド・アモレス(パナマ)を5回KOで下すなど、5回連続で王座防衛に成功したが、5度目の防衛を果たした1月2日のわずか3週間後、自ら運転するシボレー・コルベットで首都高を走行中に反対車線に飛び出し、大型トラックと正面衝突死。没年23歳。生涯成績38戦35勝(16KO)2敗1引き分け。
1999年
【死去】三木のり平【俳優】鼻メガネの特徴的な芸風で『ごはんですよ!』を始めとした桃屋の商品のCMキャラクターとしておなじみのコメディアンであり、東宝の『社長シリーズ』『駅前シリーズ』で活躍し全国的な人気を博した喜劇俳優。森光子の舞台『放浪記』を手がけるなど演出家としても活躍した。肝腫瘍で74歳没。葬儀委員長は親友の森繁久弥が務めた。
2004年
【試合中事故死】【急死】フェヘール・ミクローシュ(Fehér Miklós)【サッカー選手・ハンガリー】(つづきから)死因は肥大型心筋症のよる心停止。没年24歳。その時に付けていた29番は同クラブの永久欠番となった。
2004年
【試合中事故死】【急死】フェヘール・ミクローシュ(Fehér Miklós)【サッカー選手・ハンガリー】FCポルト、SLベンフィカなどポルトガルの強豪クラブで活躍したハンガリー人フォワード。"ミキ"の愛称で知られた。ベンフィカ在籍中の2004年1月25日ヴィトーリアSC戦に後半15分から出場し、試合終了直前に決勝点をアシスト。その後、遅延行為でイエローカードの警告を受けた直後にピッチ上で昏倒。この試合はテレビ中継されており、応急処置後に救急車で病院へ搬送されたが、同日深夜に死亡した。(つづく)