『チャレンジャー号空中分解直後の白煙』(ケネディ宇宙センター撮影)

1986年1月28日は、アメリカのスペースシャトル、チャレンジャー号が打ち上げから73秒後に空中分解し、7名の乗組員が死亡した日である。
1983年に開始され順調に宇宙空間での作業を実現していたスペースシャトル計画の10度目で起きたこの事故は、SRB(固体燃料補助ロケット)密閉用のパーツであるOリングが発射時に破損したことが原因とされ、73秒後に大きな白煙を上げて機体が分解。当時のレーガン政権の目玉として喧伝された“夢の宇宙飛行”の失敗が、世界中が見守る中、残酷なまでに美しくテレビ中継された。
原因は当日の異常な低気温を気にしなかったことと、その過酷な状況下で機能しなかったOリングの設計ミスにあると帰され、飛行主任のジェイ・グリーン他管理側の責任は問われなかった。
ちなみに、この白煙は爆発によるものではなく、搭載されていた液体酸素や水蒸気、ガスなどであった。
爆発はしていなかったために、強固に作られていた乗務員室はその形を保ったまま高度14.6キロの高さに放り出され、海面に着くまでその形を保っていたはずだと識者は事故後に語っている。
つまり、7人の宇宙飛行士たちは、海面に叩きつけられるその瞬間まで、その多くが意識を保っていたというのだ。
スコビー船長をよく知るNASA主任調査官ロバート・オーバーマイヤーは、“スコビーなら生き残るためにあらゆる努力をしただろう。彼らは生きていたのだから、翼無しでも彼はあの船を飛ばし続けていたに違いない”と語り、その無念を滲ませた。
1980年代という高度経済成長期に病的なまでの官僚主義に毒されていた一連のスペースシャトル計画が犯した“最大の悲劇”として、スコビーと6人の勇敢な物語は今も語り続けられている。

(画像はWikipedia Space Shuttle Challenger disasterより使用。Public Domain)

1月28日の不幸

1年
準備中