『事件当時17歳のブレンダ・アン・スペンサーのマグショット』

1979年1月29日は、カリフォルニア州サンディエゴにあるクリーブランド小学校で当時17歳の女子高生、ブレンダ・アン・スペンサーがライフル銃で乱射した事件「クリーブランド小学校乱射事件」が発生した日である。
同校の道1本を隔てた場所に住んでいたブレンダは、クリスマスに父親に買ってもらったばかりのライフル銃で同校の校長と用務員を射殺、その他にも8名の生徒と1人の警察官を負傷させた。
そして、逮捕後に語った「I don't like Monday」という発言が社会的にさらなる衝撃を与えた。
この悲劇は何一つ不自由のない裕福な家庭に育った少女による、無気力な殺人事件であり、誰にでもやってくる月曜日の気怠さで起きたものであったのだ。
早くに離婚をして父と二人で暮らしていたブレンダ。
その後の供述では父親から性的暴行も受けていたという。
その真偽はともかく、ブレンダの“何一つ不自由ない生活”が、かなりの部分で欠落していたことは事実であろう。
ブレンダは父親からその銃をプレゼントされた時、「自殺しろ」と言われているような感覚に陥ったというのだ。
そして彼女には25年以上の懲役が言い渡されたが、彼女は事件から38年が経った今もカリフォルニア女子刑務所から出所していない。

(写真はWikipedia Cleveland Elementary School shootingより使用。Public Domain)

1月29日の不幸

1964年
【薬物過剰摂取】アラン・ラッド(Alan Ladd)【俳優/アメリカ】1953年の西部劇映画『シェーン』で主役を演じたことで知られるスター俳優。1940〜1950年代のハリウッドで活躍したが、以降は人気が凋落し鬱病を発症。1962年11月に拳銃自殺を図るが未遂に終わる。1964年1月に膝を負傷しパームスプリングの自宅で療養中に死亡。朝10時頃にベッドで寝ているところを確認した執事が午後3時半に死んでいると確認した。睡眠薬とアルコールの過剰摂取が原因とされた。没年50歳。
1979年
【無差別殺人】「クリーブランド小学校乱射事件」1979年1月29日、カリフォルニア州サンディエゴにあるクリーブランド小学校で当時17歳の女子高生、ブレンダ・アン・スペンサーがライフル銃を乱射。同校の道1本を隔てた場所に住んでいたブレンダは、クリスマスに父親に買ってもらったばかりのライフル銃で同校の校長と用務員を射殺、8名の生徒と1人の警察官を負傷させた。逮捕後に語った「I don't like Monday」という発言が社会的にさらなる衝撃を与えた。
1991年
【死去】井上靖【小説家】学生時代から詩作活動を開始し、毎日新聞大阪本社勤務後作家活動に専念。学芸部1950年に『闘牛』で第22回芥川賞を受賞した小説家。映画化された『敦煌』『おろしや国酔夢譚』、ドラマ化された『風林火山』等、壮大な時代小説の書き手として絶大な人気を博した。急性肺炎で83歳没。葬儀委員長は同世代で共に文学界を牽引した司馬遼太郎が務めた。
2004年
【交通事故死】The Water Of Life【シンガーソングライター】後に小林宏至との「HAPPY DRUG STORE」として活躍していた清水和彦のソロユニット名。代表作に『風のすみか』等。晩年は椛田早紀のプロデュースも手がけた。滋賀県米原町を自ら運転中、前方追い越しのために対向車線に出たところ大型トラックに正面衝突し即死。没年32歳。仕事の帰りに滋賀県長浜市の実家へ向かう途中であった。
2006年
【死去】ナム・ジュン・パイク(Nam June Paik)【現代美術家/アメリカ】幼少期から京城(現ソウル)、香港、日本、ドイツを転々とし、1964年にアメリカで活動を開始。ビデオ・アートのパイオニアとしてパフォーマンスや映像作品で世界的に活躍した。2006年1月29日早朝6時頃、アメリカ・フロリダ州マイアミの別荘にて不整脈で死去。没年73歳。葬儀では、パイクの初期のパフォーマンス作品『ジョン・ケージへのオマージュ』でケージのネクタイをハサミで切ったことから、参列者たちは自らのネクタイを切り、棺に入れた。
2016年
【死去】ジャック・リヴェット(Jacques Rivette)【映画監督・批評家/フランス】ヌーヴェルヴァーグ期にエリック・ロメールとともに機関誌『ラ・ガゼット・デュ・シネマ』創刊し、その後『カイエ・デュ・シネマ』の第3代編集長を務めた後に映画監督に転身。ヌーヴェルヴァーグの代表的映画監督として活躍した。1991年にオノレ・ド・バルザックの『知られざる傑作』を元にした映画『美しき諍い女』で第44回カンヌ国際映画祭の審査員グランプリを受賞。80代まで現役で活躍しアルツハイマーの合併症で87歳没。