『断食中のマハトマ・ガンディーと、後のインド首相、インディラ・ガンディーの少女時代』(1920年代中期撮影)

1948年1月30日は、インド独立を率いた指導者、マハトマ・ガンディーが暗殺された日である。
第一次大戦直後のインド国民会議に加わると、イギリス製品の不買運動などを主とした不服従運動で世界的な知名度を獲得し、徹底した非暴力の訴えながら、時には懲役刑を科されるほどの過激な活動をみせた。
その大きな武器となったのが合計17回、累計140日間、最長で連続21日という断食(ハンガーストライキ)であり、その鮮烈なビジュアルと共に世界中へ彼のメッセージを拡散することとなった。
その願いは第二次世界大戦後の1947年にインド連邦成立となって叶えられたが、ガンディーが当初願っていたイスラム教圏のパキスタンと足並みを揃えての独立とはならず、パキスタンとインドは分離独立という結果になった。その直後からヒンドゥー教原理主義者やイスラム教原理主義者などが両国で暴動を起こすと、ガンディーは再び断食でその身をなげうったが、1948年1月30日にニューデリーでヒンドゥー原理主義集団民族義勇団のナートゥーラーム・ゴードセーらによって銃殺された。
銃弾3発を胸部に打ち込まれたガンディーの最後の言葉は「おお神よ」であったという。
徹底した非暴力主義というその主張があまりにも前時代的すぎるとしてインド本国でも全肯定されることは稀であるが、見事にその主張を全うしたガンディーの人生、そして最期であった。

(写真はWikipedia Mahatma Gandhiより使用。Public Domain)

1月30日の不幸

1703年
【敵討ち】「赤穂事件」江戸城松之大廊下で、高家旗本の吉良上野介(きらこうずけのすけ)に斬りつけたとして切腹に処せられた播磨赤穂藩藩主の浅野内匠頭の敵討ちとして、家臣である大石内蔵助以下旧赤穂藩士47人が吉良邸に討ち入り、翌日吉良を惨殺。
1889年
【怪事件】【未解決事件】「マイヤーリング事件」オーストリア皇太子のルドルフとその愛人であったマリー・フォン・ヴェッツェラがマイヤーリングの狩猟館のベッドの上で拳銃で撃たれて死んでいるのを発見。当初は寝室には鍵がかけられて2発の銃声が響いたとの警察発表がされたために心中、もしくは無理心中事件として世界に広まったが、事件から94年後の1983年3月11日に63年の亡命からウィーンに帰国したオーストリア最後の皇后ツィタが暗殺だったと暴露。その真相はいまだ明らかになっていない。
1948年
【暗殺】マハトマ・ガンディー(Mahatma Gandhi)【活動家/インド】インド独立を率いた"インド独立の父"、第一次大戦直後のインド国民会議に加わると、イギリス製品の不買運動などを主とした不服従運動で世界的な知名度を獲得し、徹底した非暴力の訴えながら、時には懲役刑を科されるほどの過激な活動をみせた。その大きな武器となったのが合計17回、累計140日間、最長で連続21日という断食(ハンガーストライキ)であり、その鮮烈なビジュアルと共に世界中へ彼のメッセージを拡散することとなった。(つづく)
1948年
【死去】オーヴィル・ライト(Orville Wright)【発明家・パイロット/アメリカ】1903年に飛行機での有人動力飛行に世界で初めて成功を納めたライト兄弟の弟(ウィルバーの弟で、家系的には四男)であり、飛行機の発明者、パイロット。兄ウィルバーの死から36年後に心臓発作で死去。没年76歳。奇妙なことに、1903年に記念すべき初フライトの写真を撮影したアマチュアカメラマンのジョン・T・ダニエルが翌日に死亡している。
1948年
【暗殺】マハトマ・ガンディー(Mahatma Gandhi)【活動家/インド】(つづきから)1947年にインドは独立したが、パキスタンとは分離独立となり、その直後からの宗教戦争の最中で、1948年1月30日にニューデリーでヒンドゥー原理主義集団民族義勇団のナートゥーラーム・ゴードセーらによって銃殺された。銃弾3発を胸部に打ち込まれたガンディーの最後の言葉は「おお神よ」であった。
1972年
【民族問題】「血の日曜日事件」1972年1月30日、北アイルランドのロンドンデリーで、デモ行進をしていた非武装のカトリック系市民27名がイギリス陸軍落下傘連隊に銃撃され13人が死亡。事件当時イギリス軍は無罪となったことが世界的な議論を呼び、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、U2らのイギリス系ロック・ミュージシャンがそれぞれ曲にして英政府を批判する行為に。2010年6月15日にデービッド・キャメロン英首相が、イギリス政府として被害者へ初めて謝罪した。
1988年
【解散】「藤子不二雄解散」国民的人気を誇った漫画家コンビである藤子不二雄が共作関係の解消を発表。藤本弘は藤子・F・不二雄、我孫子素雄は藤子不二雄Ⓐとしてその後の著作を発表した。原因は50歳を超え著作権・遺産問題が出ないようにと言われている。
1993年
【死去】服部良一【作曲家】大阪フィルハーモニック・オーケストラからコロムビア専属に転身し、淡谷のり子の『別れのブルース』でヒットを飛ばした作曲家。作曲家の服部克久は息子に当たる。終戦直後には『東京ブギウギ』『青い山脈』『銀座カンカン娘』等の大ヒットを連発し、戦後を代表するヒットメーカーとなった。1993年1月30日に呼吸不全で85歳没。その死後、国民栄誉賞が授与された(作曲家としては古賀政男に次いで2人目)。
2007年
【死去】シドニィ・シェルダン(Sidney Sheldon)【小説家・劇作家/アメリカ】ハリウッドでの脚本家、ブロードウェイでの劇作家時代を経て小説家に転身。『真夜中は別の顔』『ゲームの達人』等の大ヒット作で世界的人気を獲得し、その著書は累計3億部を超える。日本でも"超訳"と銘打ったその著書は爆発的なブームになり、『ゲームの達人』『女医』『血族』等の作品が相次いでドラマ化された。プライベートでは生来の双極性障害であり、17歳の頃には自殺未遂も。2007年1月30日に肺炎の合併症で死亡した。没年89歳。
2015年
【処刑】後藤健二【ジャーナリスト】(つづきから)日本政府への取り引きでイスラム国がアップロードした脅迫映像の人質として世界的な話題となった末の惨劇であった。
2015年
【処刑】後藤健二【ジャーナリスト】テレビ番組制作会社勤務を経て、1996年に自身の映像通信会社「インデペンデント・プレス」を設立。フリーランスのジャーナリストとして国内外を取材活動するが、次第に中東やアフリカ等の紛争地域にも活動を拡げ、取材先でアル=ヌスラ戦線に1日身柄を拘束されたことも。2014年10月下旬から11月にかけて、取材先のシリア近郊でイスラム国に身柄を拘束されたとされ、2015年1月30日頃に首を撥ねられ殺害されたと見られている。没年47歳。(つづく)