『1903年12月17日のライト兄弟の“ファーストフライト”』撮影 ジョン・T・ダニエルズ

1948年1月31日は、ライト兄弟が人類初飛行に成功した瞬間を撮影したアマチュア・カメラマン、ジョン・T・ダニエルズが死亡した日である。
ダニエルズが使用したのはビューカメラと呼ばれる大型のもので、ガラス乾板に写し出すこの当時のカメラは、現在のように決して誰にでも撮れるものではなかった。しかしこの日までそのカメラを見たことも触ったこともなかったといわれるダニエルズは、ノースカロライナ州キルデビルヒルズの砂丘で行なわれた3回の成功フライトを驚くほどクリアに収め、“歴史的な”大仕事を成し遂げた。
その後栄光に包まれるライト兄弟の人生とダニエルズの人生が交錯することはなかったが、この写真中央で飛行機を操縦するオーヴィル・ライトが心臓発作で死亡した翌日に、ライト兄弟の偉業を見守った男は死亡した。伝説の初飛行から45年もの歳月が経過したタイミングでのこの連続死は、奇妙な運命を感じざるを得ない。

(画像はWikipedia John T. Danielsより使用。Public Domain)

1月31日の不幸

1948年
【奇妙な死】ジョン・トーマス・ダニエルズ・ジュニア(John Thomas Daniels, Jr.)【アマチュアカメラマン・海難救助員】1903年12月17日にライト兄弟の有人初飛行を写真撮影したアマチュアの写真家]。4回の飛行の内の1、3、4回目が無事撮影され、4回目は突風により事故を起こしかけ、それを防ごうとして翼に挟まれるという危機もあったという。ライト兄弟の弟、オーヴィル・ライトの亡くなった1948年1月30日の翌日に死亡した。没年74歳。
1954年
【自殺】エドウィン・アームストロング(Edwin Howard Armstrong)【発明家・技術者/アメリカ合衆国】

アメリカを代表する電子技術者であり、周波数変調(FM)を発明したことで広く知られる人物。晩年はその特許を採用したラジオ会社RCAとの権利闘争で困窮の上精神的に疲弊し、妻へのDVを行なうなど精神的変調をきたし、ニューヨークの自宅アパート13階から飛び降り自殺。没年63歳。

1956年
【死去】A・A・ミルン(Alan Alexander Milne)【作家/イギリス】ひとり息子クリストファーのために書いたと言われる代表作『クマのプーさん』で知られる児童文学作家。『赤い館の秘密』等を発表した推理小説作家、ファンタジー作家としても知られる。74歳没。
1969年
【死去】メハー・ババ(Meher Baba)【神秘家・宗教家/インド】1954年に"アヴァターラ(ヒンドゥー教の究極的存在)"であることを宣言した神秘家。1925年7月10日から死亡した1969年1月31日まで44年にわたり沈黙を続け、その間はアルファベット板を指差すか、手を使った独自の手話で意思の疎通を図った。1952年にアメリカで、1956年にインドで交通事故に遭い、以降は歩行すら困難となったが、指導者としての活動を続けた。没年74歳。
1974年
【死去】サミュエル・ゴールドウィン(Samuel Goldwyn)【映画プロデューサー・実業家/ポーランド・アメリカ】ポーランド・ワルシャワでのユダヤ人の家庭に生まれ、イギリス経由でにアメリカに移住。セールスマンとして成功を収める。1917年から映画プロデューサーとして活動を始め、後の「メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)」となる「ゴールドウィン・ピクチャーズ」を設立。 第二次大戦直後のハリウッド映画界で活躍した。1974年にロサンゼルスの自宅にて老衰で死亡。94歳没。
1987年
【死去】渡辺晋【実業家】

ジャズ・ミュージシャンから転身し妻と松下治夫とともに1955年4月に渡辺プロダクションを設立。まだプロダクションに所属する芸能人が少なかった戦後芸能界に於いて、レコードの原盤権までを系列会社で行なうビジネスモデルを確立し、クレイジー・キャッツ、ドリフターズ、ザ・タイガース、キャンディーズを擁し巨大な"ナベプロ帝国"を築いた。59歳で急死。臨終の際に娘のミキ(現渡辺プロダクション代表取締役会長)に『シャボン玉ホリデー』のテーマ曲を歌わせながら死んでいったとされる。

1999年
【死去】ジャイアント馬場【プロレスラー・プロ野球選手・実業家】

1955年に投手としてプロ野球、読売ジャイアンツに入団。大型投手として将来を嘱望されたが1958年に解雇。1960年に大洋ホエールズのテスト生としてキャンプ中に風呂場でガラスに突っ込み左手を負傷、野球選手を諦めてプロレスラーに転身。力道山の日本プロレス期待の若手としてアントニオ猪木と共に活躍。力道山急逝後は全日本プロレスを旗揚げし、大型外人レスラーを次々と招聘、"王道プロレス"を掲げ新日本プロレスと2強体制で昭和のマット界を牽引した。晩年は社長業の傍らラッシャー木村らとのファミリー軍団として明るく楽しいプロレスを前座で繰り広げ、死亡する前月の1998年12月5日まで現役レスラーとしても活躍した。1999年1月31日に大腸ガンの肝転移からの肝不全で死亡。没年61歳。

2005年
【死去】中尊寺ゆつこ【漫画家】バブル後期に現われたOLを"オヤジギャル"として描いた漫画『スイートスポット』で一世を風靡した漫画家、エッセイスト。1993年からはアメリカ・ニューヨークに移住し1995年に帰国。以降もコメンテーターやエッセイストとして各種メディアで活躍したが、2004年夏頃にS字状結腸ガンと診断され、翌年1月31日に死亡した。没年42歳。
2012年
【焼死】川勝正幸【編集者・ライター】「ナゴム・レコード」の設立に関わるなど1980年代〜1990年代のサブカル出版、音楽シーンを支えた編集者、ライター。2012年1月31日に自宅マンションから出火し、そのまま死亡した。没年没年55歳。