『ヘザー・オルーク7歳時の初出演映画『ポルターガイスト』のアメリカ版ポスター』

1988年2月1日は7歳の頃から子役として活躍していた女優のヘザー・オルークが急死した日である。
1982年にスティーブン・スピルバーグ製作・脚本のホラー映画『ポルターガイスト』の主役一家の末っ子役でデビューしたヘザー・オルークは、その無邪気で繊細な演技で天才子役と呼ばれており、同作の大ヒットを受けて続編の3作目まで全ての作品に出演した主要な役者でもあった。
しかし、この作品が公開されて以来、出演者、製作スタッフに不幸が相次ぎ、その最後を締めくくったのがヘザーの死なのである。
まず第一作の公開から約半年後(映画公開は1982年6月4日)の1982年11月4日に自宅で別れたばかりで復縁を迫る男性に絞め殺された。さらに、1986年5月23日に公開された2作目の『ポルターガイスト2』に出演した俳優のジュリアン・ベックが同年9月14日に、ウィル・サンプソンが翌年6月3日に死亡。
そして1988年6月10日の『ポルターガイスト3』公開を待たずに、撮影直後の同年2月1日にヘザー・オルークが急死したのである。死因は敗血症性ショックにより複雑化した急性腸閉塞(先天性腸閉塞)の修復手術中の心停止と発表されている。
そしてこの“呪われた映画”のストーリーはまだ続く。2作目の監督のブライアン・ギブソンは2004年1月4日に骨肉腫で死亡し、1作目に端役で出ていた俳優のルー・ペリーマンは2009年4月1日に出所してきたばかりの26歳の男性に斧で惨殺されている。
最後の2件はともかく、3作の公開中に死んだ4人の俳優たちは、“呪われている”と呼ばれるに相応しい時期になくなっている。
作品自体が呪いをテーマにしたホラーであっただけに、この少女の死が呪いの文脈で語られることはこの先も避けられないことだといえるだろう。
ちなみに『ポルターガイスト』はサム・ライミの手によって2015年にリメイクされたが、今のところ訃報は聞こえてこない。

(画像はトビー・フーパー監督作品『ポルターガイスト』(1982年/アメリカ))

2月1日の不幸

1年
準備中
1961年
【暗殺未遂】「嶋中事件」『中央公論』に掲載された深沢七郎の小説『風流夢譚』の天皇家をモチーフとした記述が不敬であるとして、東京都新宿区の中央公論社社長・嶋中鵬二宅を、右翼団体・大日本愛国党所属の少年、小森一孝が襲撃。嶋中が不在であったために夫人を刺し、かばいに入った家事手伝いの女性を刺殺した。小森は翌朝に浅草の派出所前で職質され逮捕された。
1966年
【死去】バスター・キートン(Buster Keaton)【俳優・映画監督/アメリカ】1920年代に『キートンの恋愛三代記』等の自ら主演・監督を務めた作品群で絶大な人気を博した喜劇役者。同時代を生きたチャールズ・チャップリンとは『ライムライト』で共演するなどアメリカ映画隆盛期に活躍した。肺ガンで70歳没。
1988年
【早世】【怪死】ヘザー・オルーク(Heather O'Rourke)【女優/アメリカ】7歳でスティーブン・スピルバーグ製作・脚本のホラー映画『ポルターガイスト』の主役一家の末っ子役でデビューした女優。その無邪気で繊細な演技で天才子役と呼ばれており、同作の大ヒットを受けて続編の3作目まで全ての作品に出演したが、1988年6月10日の『ポルターガイスト3』公開を待たずに、撮影直後の同年2月1日急死。死因は敗血症性ショックにより複雑化した急性腸閉塞(先天性腸閉塞)の修復手術中の心停止と発表。没年12歳。
2003年
【宇宙事故】「コロンビア号空中分解事故」2003年1月16日に発射されたスペースシャトルコロンビア号(STS-107)が、16日間の作業を終え帰還のために大気圏に再突入した際にテキサス州上空で空中分解を起こし、乗員7名が全員死亡した。原因は発射時に外部燃料タンクの発泡断熱材が剥げ落ちたことによる損傷であったとされる。
2004年
【スキャンダル】「ジャネット・ジャクソン乳首露出事件」ヒューストンで開催された第38回スーパーボウルのハーフタイムショーに出演したジャネット・ジャクソンの乳首がこぼれた様子が全米にテレビ中継され、後に連邦通信委員会がCBSに罰金を科すスキャンダルに。後日、本人が意図的な演出であったと発言した。
2012年
【スポーツ事故】「エジプト・サッカー暴動」エジプト・ポートサイドのポートサイド・スタジアムで行なわれたエジプト・プレミアリーグ第17節のアル・マスリ対アル・アハリ戦で、3-1でホームのアル・マスリが勝利した直後にアル・マスリのサポーターがピッチに乱入し、アル・アハリの選手、サポーターを襲撃。混乱の中で観衆が出口に殺到し大量に圧死。74人が死亡、1,000人以上の負傷者を出したエジプトサッカー史上最悪の惨事。死者は79人という報道も。
2014年
【死去】ルイス・アラゴネス(Luis Aragonés Suárez)【サッカー選手・指導者/スペイン】(つづきから)2004年からはスペイン代表監督として現在のチームの基礎となるメンバーを率いて 「UEFA EURO 2008」で初優勝。フル代表レベルで祖国を初めての優勝に導き、2010年のワールドカップ初優勝の基礎を築いた。白血病により75歳没。
2014年
【死去】ルイス・アラゴネス(Luis Aragonés Suárez)【サッカー選手・指導者/スペイン】El Sabio(賢人)の呼び名で知られるアトレティコ・マドリードの伝説的選手・監督。現役時代は同クラブで265試合で123得点した名フォワードとして活躍。所属した1964年から1974年までの間にリーグ優勝4回、UEFAチャンピオンズカップ準優勝1回、インターコンチネンタルカップ優勝1回に貢献。スペイン代表としても11試合で3ゴールを記録。引退後は監督として4期16年にわたり同クラブを指導。(つづく)