『ミュンヘンの悲劇の前日、レッドスターとの最後の試合に臨むマンチェスター・ユナイテッドのイレブン』

1958年2月6日は、UEFAチャンピオンズ・カップ(現チャンピオンズリーグ)の準決勝、ユーゴスラビアでのレッドスター・ベオグラード戦を終えて帰国中のマンチェスター・ユナイテッドのチームを乗せたチャーター機が、給油に寄ったミュンヘンのリーム空港を離陸直後に墜落。乗員乗客44名のうち23名が死亡。キャプテンのダンカン・エドワーズ(写真左端)を含む現役の一流フットボール選手8人が死亡してしまったという悲劇の航空事故が起きた日である。
このスポーツ紙に於いても最大級の悲劇の事故機には、後にイングランド最高の選手と呼ばれるボビー・チャールトンも搭乗していた。当時21歳の若きフォワードは、最も尊敬する存在であったダンカン・エドワーズの死に打ちひしがれたものの、ほどなくして立ち直り、超一流のキャリアを歩み始める。そして10年後の1968年、同じく事故から生還した名将、マット・バグビーとともにイングランドのクラブチームとしては史上初となるヨーロッパタイトル、チャンピオンズ・カップで初優勝を成し遂げた。その決勝戦のベンフィカ戦で2ゴールを挙げチームを勝利に導いたのは、あの悲劇の中心にいたボビー・チャールトンであった。
昨年11月26日にブラルのフットボールチーム、シャコペエンセを乗せたチャーター機が墜落する悲劇が起きたばかりではあるが、我々の歴史が進み続ける限り、その悲劇の先には必ず喜びが待っているはずである。
そのことは、かつてのマンチェスター・ユナイテッドを始め、多くの先人たちが証明しているのだから。

(写真はWikipedia Munich air disasterより使用。Public Domain)

2月6日の不幸

1年
準備中
1958年
【航空事故】「ミュンヘンの悲劇」1958年2月6日は、UEFAチャンピオンズ・カップ(現チャンピオンズリーグ)の準決勝、ユーゴスラビアでのレッドスター・ベオグラード戦を終えて帰国中のマンチェスター・ユナイテッドのチームを乗せたチャーター機が、給油に寄ったミュンヘンのリーム空港を離陸直後に墜落。乗員乗客44名のうち23名が死亡。キャプテンのダンカン・エドワーズを含む現役の一流フットボール選手8人が死亡した。原因は羽に付着した氷による離陸時の速度低下といわれている。
1984年
【死去】三原脩【プロ野球選手・監督】"三原魔術"の名をほしいままにした日本プロ野球の伝説的名将。1リーグ制の頃の日本職業野球連盟時代、2リーグ制に移行してからはセ・パ両リーグで監督として日本一を経験した唯一の指導者。プロ野球タイ記録の5球団で監督を務め、巨人、西鉄、大洋で日本一に導いた。現役時代は大日本東京野球倶楽部(後の東京巨人軍)に所属した。晩年は日本ハムの球団社長を務める等活躍したが、糖尿病を患い、その悪化による心不全で死亡した。没年72歳。
1998年
【死去】カール・ウィルソン(Carl Dean Wilson)【ミュージシャン/アメリカ】1960年代に世界中を席巻したアメリカのサーフ・ロックバンド「ザ・ビーチ・ボーイズ」の中心メンバーであったウィルソン3兄弟の末弟。グループの中でも際立った美声の持ち主として知られ、『God Only Knows』等多くのヒット曲でメイン・ボーカルを務めている。1970年代以降は精神的に不安定であった長兄カールに代わりリーダーとしてバンドを率いたが、1988年に肺ガンで死亡。没年51歳。
2007年
【死去】渡辺和博【編集者・イラストレーター・エッセイスト】南伸坊に誘われ青林堂に入社。マンガ雑誌『ガロ』の編集者として、南の退社後は編集長としても活躍した。退社後はヘタウマと呼ばれた画風のイラストとエッセイで活躍、代表作に"○金""○ビ"等の言葉で1980年代の格差社会をパロディ化した『金魂巻』等多数。1984年にはテレビ『笑っていいとも!』にもレギュラー出演した。2003年に肝臓ガンと診断され、2005年に妻から生体肝移植をしたが、2006年にガンが再発し、欲念2月6日に死亡した。没年56歳。
2011年
【急死】ゲイリー・ムーア(Robert William Gary Moore)【ミュージシャン/北アイルランド】スキッド・ロウ、シン・リジィ等のバンドで活躍後、ソロのギタープレイヤーとして世界的人気を博したギタリスト。日本でも熱狂的な支持を受け、本田美奈子や浜田麻里との共作等でも知られる。休暇で訪れていたスペイン・エステポナで心臓発作を起こし急逝した。没年58歳。その葬儀の際に同じくミュージシャンである息子、ジャック・ムーアが演奏するアイルランド民謡『ダニー・ボーイ』で見送られた。