『2005年オーストラリアMTVビデオミュージックアワードに出席した時のアンナ・ニコル・スミス』Toby Forage撮影

2007年2月8日は、“マリリン・モンローの再来”と言われたヌード・モデル、女優のアンナ・ニコル・スミスが不可思議な死を遂げた日である。
身長180センチ、64キロというプレイメイト史上最大サイズのモデルとして知られたアンナ・ニコルが世に知られたのは1994年に“テキサスの石油王”ことJ・ハワード・マーシャルとの63歳差という結婚であり、約1年後の1995年8月4日にマーシャルが死んだこともあり、遺産目当てという疑惑とともに世間を騒がせた。しかも夫の葬儀でウエディング・ドレスを着て参列するという衝撃的な行動でさらに火に油を注いだアンナ・ニコルは、遺族との遺産相続裁判で長年にわたり係争を続けた。
2006年に長女のダニーリンを出産したが、父として3人が名乗り出る騒ぎとなり、その渦中の9月10日に18歳の頃に出産したダニエル・ウェインが抗鬱剤と鎮痛剤による薬剤性不整脈で急死。その余韻覚めやらぬ翌年2月8日に、今度は本人がハリウッドのハードロック・ホテル・アンド・カジノの部屋にて、薬物過剰摂取のため急死したのである。法的に相続人であった長男は既に死んでおり、15億ドルともいわれる莫大な彼女の遺産とわずか1歳のダニーリンの親権を巡り、3人の男性が争うという泥沼の係争地獄をみせた。2007年にDNA鑑定を元に写真家のラリー・バークヘッドがダニーリンの父親という裁定が出たが、今度は娘の遺産相続権の有無を巡って法廷闘争は繰り返されている。
さらにはアンナ・ニコルの死自体も不正な処方があったとして他殺の可能性も追求されているという。
まさに“本家”マリリン・モンローを上回る混乱の中に怪死したアンナ・ニコル・スミスの死は、忘れたくとも忘れられないほどに今も話題を提供し続けている。

(写真はWikipedia Anna Nicole Smithより使用)

2月8日の不幸

1年
準備中
1915年
【人種差別問題】「『國民の創世』公開」ロサンゼルスでD・W・グリフィス監督による1無声映画『國民の創生』が世界で初めて公開された。白人の見地からKKKによる黒人弾圧や黒人による白人レイプ事件等の差別的表現を壮大な叙事詩として描いたことで知られる。しかし、その映画的な技法は歴史的なものであると評価は高く、興行的にも大ヒット、44週も公開され続ける人気作品となった。
1982年
【火災】「ホテルニュージャパン火災」東京都千代田区永田町にあったホテルニュージャパンで午前3時24分に発生し、鎮火された12時半頃まで9時間にわたり燃え続けたホテル火災。宿泊客を中心に死者33人・負傷者34人という大惨事となった。出火の原因は9階938号室のイギリス人男性客の寝タバコであったとされる。煙に追いつめられ窓から飛び降りて亡くなる人々の姿がテレビで中継され衝撃を与えた。
2007年
【薬物過剰摂取】アンナ・ニコル・スミス(Anna Nicole Smith)【モデル・女優/アメリカ】(つづきから)2006年に長女のダニーリンを出産したが、父として3人が名乗り出る騒ぎとなり、その渦中の9月10日に18歳の頃に出産したダニエル・ウェインが抗鬱剤と鎮痛剤による薬剤性不整脈で急死。その余韻覚めやらぬ翌年2月8日に、今度は本人がハリウッドのハードロック・ホテル・アンド・カジノの部屋にて、薬物過剰摂取のため急死。没年39歳。
2007年
【薬物過剰摂取】アンナ・ニコル・スミス(Anna Nicole Smith)【モデル・女優/アメリカ】"マリリン・モンローの再来"と言われ身長180センチ、64キロというプレイメイト史上最大サイズのモデルとしてデビュー。"テキサスの石油王"ことJ・ハワード・マーシャルとの63歳差婚に始まり常にスキャンダラスな私生活で世間を騒がせ続けた。(つづく)
2010年
【死去】立松和平【小説家】1986年から人気報道番組『ニュースステーション』の「こころと感動の旅」という中継コーナーで人気を博した小説家。1993年の『光の雨』が盗作問題として発覚し、同様に2008年の『二荒』でも盗作問題を起こした。多臓器不全で62歳没。
2013年
【死去】江副浩正【実業家】求人広告、不動産、旅行、転職情報等の情報を扱うことで1980年代に急成長したリクルートの創業者。政界を巻き込んだ大贈収賄事件の「リクルート事件」の贈賄側の主要人物として有名。没年76歳。