『1969年に出版された「コースにかげろう燃えて : スピードに散った福沢幸雄の記録」の表紙』

1969年2月12日は、レーシングドライバーでありファッションモデルだった福澤幸雄がテスト走行中に死亡した日である。
福沢諭吉の曾孫であり、ギリシャ人ソプラノ歌手を母に持った故の日本人離れしたルックスで、慶応大学法学部在学中からトヨタ・ファクトリーと契約しモータースポーツに参戦。1968年『日本Can-Am』では外国人レーサーに肉薄し日本人最高の4位に入賞するなど、将来を嘱望される若き才能であった。
その傍ら、ファッションメーカー「エドワーズ」の取締役を務め、モデルとしても活躍、多数の大手メーカーのコマーシャルに出演する人気ぶりであった。
当時人気絶頂のバンド、スパイダースや加賀まりこ等の芸能人との交際を持っていたことでも知られ、スポーツとファッション、芸能と、あらゆる若者文化をその肩に背負う、アイコンであった。
しかし1969年2月12日、静岡県袋井市のヤマハテストコースで行なわれたトヨタ・7のテスト走行中、直線から1コーナーに向かう際にコースアウトして標識に激突しマシンは炎上。スタッフが駆けつけた際には頭蓋骨骨折による脳挫傷ですでに死亡していた。没年わずか25歳の悲劇であった。
死亡直後に『夜のヒットスタジオ』に出演した当時福澤と交際中のアイドル歌手、小川知子が涙ながらに『初恋の人』を歌ったことは福澤の死にまつわる語り草である。
その才能を惜しむ声は各界から届き、親友のかまやつひろしが、発表した楽曲『ソーロングサチオ』、同じく親友であった三保敬太郎が発表した追悼アルバム『サウンド・ポエジー“サチオ”』、さらに寺山修司はその事故死をテーマに『さらばサチオ「男が死ぬとき その2」』を作詞し発表した。

(画像はオート・スポーツ編集部編『コースにかげろう燃えて : スピードに散った福沢幸雄の記録』1969年/三栄書房刊)

2月12日の不幸

1年
準備中
1804年
【死去】イマヌエル・カント(Immanuel Kant)【哲学者・教育者/ドイツ】『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』の三批判書を発表し「批判哲学」を確立したドイツ古典主義哲学の祖。「コペルニクス的転回」なる言葉の生みの親としても知られる。研究の傍らケーニヒスベルク大学哲学教授として勤務し、その多忙な毎日のまま生涯独身を貫いた。晩年は老人性認知症を患ったが研究を続け、1804年2月12日に79歳で死亡。最後の言葉は「Es ist gut.(これでいい)」だった。
1889年
【暗殺】森有礼【政治家・外交官・教育者】イギリス、アメリカでの留学経験を活かし第1次伊藤博文内閣で初代文部大臣を務めた政治家。商法講習所(限一橋大学)の創設者としても知られる。"ある大臣が伊勢神宮内宮を訪問時に御簾をステッキでどけ拝殿を靴のままで上った"と新聞が報じたいわゆる「伊勢神宮不敬事件」の影響で1889年2月11日に国粋主義者・西野文太郎に短刀で脇腹を刺され、翌日死亡。没年41歳。不敬事件は後日関係者が事実無根であると証言した。
1969年
【事故死】【早世】福澤幸雄【レーサー】(つづきから)私生活でも当時人気絶頂のバンド、スパイダースや加賀まりこ等の著名人との華やかな交際で知られた。だが1969年2月12日、静岡県袋井市のヤマハテストコースで行なわれたトヨタ・7のテスト走行中、直線から1コーナーに向かう際にコースアウトして標識に激突し即死。死因は頭蓋骨骨折による脳挫傷。没年25歳。
1969年
【事故死】【早世】福澤幸雄【レーサー】福沢諭吉の曾孫であり、ギリシャ人ソプラノ歌手を母に持った故の日本人離れしたルックスで、慶応大学法学部在学中からトヨタ・ファクトリーと契約しモータースポーツに参戦し、レーシングドライバーとして活躍した人物。1968年『日本Can-Am』では外国人レーサーに肉薄し日本人最高の4位に入賞するなど、将来を嘱望される若き才能であった。その傍ら、ファッションメーカー「エドワーズ」の取締役を務め、モデルとしても活躍。(つづく)
1976年
【暗殺】サル・ミネオ(Salvatore Mineo, Jr.)【俳優/イタリア】(つづきから)現場が有名なゲイタウンであり、ミネオがバイセクシャル役を演じていたことでゲイ疑惑の出ていた人物であったことからヘイトクライムとの疑惑があったが、犯人は否定している。
1976年
【暗殺】サル・ミネオ(Salvatore Mineo, Jr.)【俳優/イタリア】シチリア移民の子としてニューヨークに生まれた俳優。10歳の時に強盗容疑で逮捕された経験も。17歳の頃に出演した映画『理由なき反抗』でアカデミー助演男優賞にノミネートされたことで人気を博した。1976年2月12日に演劇のリハーサル帰りのリフォルニア州ウェストハリウッドのサンセット・ストリップでライオネル・ウィリアムズに刺殺された。没年37歳。(つづく)
1984年
【死去】アンナ・アンダーソン(Anna Anderson)【王族偽装者/ポーランド・アメリカ】(つづきから)熱心な支持者ジャック・マナハンと結婚しその後もアナスタシアであるとの主張を生涯に渡り続けたが、1984年に肺炎で死亡。没年87歳。DNA鑑定の結果、ポーランド農家のであるフランツィスカ・シャンツコフスカと断定された。
1984年
【死去】アンナ・アンダーソン(Anna Anderson)【王族偽装者/ポーランド・アメリカ】1920年にドイツのベルリンで収容されたポーランド生まれの女性。爆撃から逃れてきたロシア皇女アナスタシアだと自称し、その年にロシア帝室に対し莫大な遺産請求訴訟を起こした。ロシア語も話せないアンナに対しロシア皇室は取り合わなかったが、本人と思わせるような知識や体験談を披露し、一部ロシアの貴族階級や著名人たちの支持を受けてアメリカに移住。(つづく)
1996年
【死去】司馬遼太郎【小説家】(つづきから)2月12日は「菜の花忌」と呼ばれているが、国立大阪病院は、自著『花神』で書いた大村益次郎が死亡した場所である。
1996年
【死去】司馬遼太郎【小説家】産経新聞社記者時代の1960年に『梟の城』で直木賞を受賞した日本を代表する歴史小説の大家。『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『国盗り物語』『坂の上の雲』等、次々とヒット作を連発した。1971年から連載開始したライフワーク的エッセイ『街道をゆく』の「濃尾参州記」の取材後の2月10日深夜に吐血し倒れ、国立大阪病院(現国立病院機構大阪医療センター)に搬送されたが2月12日午後8時50分に腹部大動脈瘤破裂で死亡。没年72歳。(つづく)
2000年
【死去】チャールズ・モンロー・シュルツ(Charles Monroe Schulz)【漫画家/アメリカ】スヌーピーとチャーリー・ブラウンが登場する世界的漫画『ピーナッツ』の作者として世界的人気を誇る20世紀のアメリカを代表する漫画。1999年12月に結腸ガンと診断され現役を引退、翌年2月12日に死亡した。77歳没。
2010年
【事故死】ノダル・クマリタシビリ(Nodar Kumaritashvili)【リュージュ選手/グルジア】(つづきから)なお、オリンピック大会期間中に死亡事故が起きたのは1992年のアルベールビルオリンピック以来。史上4人目の犠牲者だった。
2010年
【事故死】ノダル・クマリタシビリ(Nodar Kumaritashvili)【リュージュ選手/グルジア】2010年開催のバンクーバーオリンピックのリュージュ競技でグルジア代表に選ばれた選手。オリンピック開会式当日の2月12日、大会直前練習の最中に、最終16コーナー出口でコース外に飛び出し、鉄柱に激突し即死した。没年21歳。その瞬間クマリタシビリは時速143キロ以上の超高速であった。開会式に喪章をつけてグルジア選手団には満場のスタンディング・オベーションと1分間の黙祷が捧げられた。(つづく)