『1988年に出版されたサルマン・ラシュディ著「悪魔の詩」の表紙(写真左)と1989年2月27日発売の「タイム」誌の表紙』

1989年2月14日は、イラン最高指導者であるホメイニが、前年にイギリスで出版された書籍『悪魔の詩』がムハンマドの生涯をショッキングに描きすぎたとして、同書出版関係者へイスラム教の死刑宣告の“ファトワー”が出された日である。ホメイニはその4カ月後の6月3日に心臓発作で死亡するが、ファトワーは発した本人以外は撤回ができないこととされているので、以後、撤回されることはなくなった。
その結果、1991年7月11日 に『悪魔の詩』の日本語訳をした筑波大学助教授の五十嵐一が大学内のエレベーターホールで刺殺され、さらには1993年にトルコ語訳者が開いた集会が襲撃され、参加者のうち37人が死亡した。
幾度もの殺害計画を逃れ、ラシュディは現在も存命ではあるが、同じくアルカイダの殺人リストに掲載されていたフランスのタブロイド紙『シャルリー・エブド』は2015年に襲撃を受け関係者12人が死亡。もちろんその悲劇を受けラシュディはすぐさま『シャルリー・エブド』の指示を表明した。果たして、イスラム教過激派と過激表現との間で渦巻く憎しみの連鎖が終わる日はくるのだろうか!?

(写真はサルマン・ラシュディ著「悪魔の詩」1988年/Viking Press刊と1989年2月27日発売の「タイム」誌)

2月14日の不幸

2004年
【怪死】マルコ・パンターニ(Marco Pantani)【自転車競技選手/イタリア】

「ツール・ド・フランス」8勝、「ジロ・デ・イタリア」8勝、1998年には「ツール・ド・フランス」「ジロ・デ・イタリア」ともに総合優勝という"ダブルツール"を史上7人目に達成したイタリアを代表するプロロードレーサー。スキンヘッドに髭、ピアスという自転車競技者らしからぬ独特な風貌と"イル・パイレータ(海賊)"の愛称で親しまれ、全世界的にカリスマ的な人気を誇ったが、最盛期の1999年頃からドーピング疑惑の渦中の人物となり、2001年から2003年まで出場停止処分に。2004年からレースに復帰するも、ドラッグ中毒や奇行の噂が絶えず、2004年2月9日、リミニのホテル「ラ・ローズ」に宿泊中の14日朝、半裸の状態で死亡しているところを発見された。自殺と見なされたが、その後コカインの過剰摂取による脳水腫、肺水腫であると診断された。後に母親による再審理請求の結果、2014年8月に殺人容疑での再捜査が決定された。一方、死後の2004年から「ジロ・デ・イタリア」では、「チマ・パンターニ」なる呼び名を険しい山岳コースに名付けその功績を記念した。

2012年
【薬物過剰摂取】【自殺】マイク・ベルナルド(Mike Bernardo)【キックボクサー・ボクサー/南アフリカ】

創生期のK-1グランプリで強豪として活躍したキックボクサーであり、200年からはボクシングに転向した元プロボクサー。愛称"ベルちゃん。"元WKAムエタイ世界スーパーヘビー級、元WAKO PROムエタイ世界スーパーヘビー級王者。その後の2000年にK-1復帰したが、2004年3月27日に現役引退。後進の育成に乗り出したが、2012年2月14日に薬物多量摂取で、42歳没。幼少期からのいじめが原因で、生涯最後の2年は鬱病に苛まれる日々であったという。