『小林多喜二のポートレート』三省堂刊『画報日本近代の歴史10』掲載

1903年2月20日は、プロレタリア文学を代表する小説家の小林多喜二が死亡した日である。
北海道拓殖銀行小樽支店に勤務しながら作家活動を開始し、1929年に発表した『蟹工船』で国民的な注目を浴びる作家となったが、同時に特高警察からの要注意人物としてマークされることにも繋がり、翌年不敬罪で逮捕。釈放されるも1932年から始まった危険思想の取り締まりを避けて地下活動に入ったが翌年特高警察のスパイであった三船留吉の策略により逮捕。警視庁特高係長中川成夫の指示で寒中丸裸にされた小林は拷問の中でステッキで撲殺された。かつて『戦旗』に発表した『一九二八年三月十五日』作中の特高警察による拷問の描写が、かねてから特高警察の怒りを買っていたことがその原因とされた。警察発表は当然のように心臓麻痺であったが、遺族の元に戻った死体は拷問の果にどす黒く腫れ上がっており、遺族は司法解剖を求めたがどの病院もそれを受け入れることはなかった。その無念さは岡本唐貴の死に顔の絵や、千田是也によるデスマスク等、同士による作品としてのみ記憶されたのだった。

(画像はWikipedia Takiji Kobayashiより使用。Public Domain)

2月20日の不幸

1年
準備中
1933年
【事故死】【怪死】小林多喜二【小説家・思想家】警察発表は当然のように心臓麻痺であったが、遺族の元に戻った死体は拷問の果にどす黒く腫れ上がっており、遺族は司法解剖を求めたがどの病院もそれを受け入れることはなかった。
1933年
【事故死】【怪死】小林多喜二【小説家・思想家】北海道拓殖銀行小樽支店に勤務しながら作家活動を開始し、1929年に発表した『蟹工船』でプロレタリア文学を代表する小説家となった人物。特高警察からの要注意人物としてマーされ、不敬罪で逮捕されたことも。釈放されるも1932年から始まった危険思想の取り締まりにより逮捕。警視庁特高係長中川成夫の指示で寒中丸裸にされた小林は拷問の中でステッキで撲殺された。没年29歳。(つづき)
1962年
【死去】鳥井信治郎【実業家】1906年に赤玉ポートワイン、1929年に日本初のウィスキーを発売し、日本における洋酒産業を築き上げたサントリーの創業者。急性肺炎で83歳没。
1968年
【人質事件】【差別問題】「金嬉老事件」静岡県清水市で在日韓国人二世の金嬉老(事件当時39歳)が借金返済求めた暴力団員2人(1人は未成年)を射殺し、翌日榛原郡本川根町(現・川根本町)寸又峡温泉の温泉旅館に13人を人質に立て籠もり・警察官による在日韓国人への蔑視発言を謝罪するように要求し、事件は差別問題に推移した。88時間の籠城の末の2月24日に報道関係者を装った捜査員らによって逮捕された。
1994年
【自殺】大和田夏希【漫画家】中学卒業後に上京し、川崎のぼる、手塚治虫の弟子を経て1971年に『別冊少年キング』で漫画家デビュー。代表作に『タフネス大地』『われらが南風』等。私生活では二度の離婚を経験。1994年2月20日に仕事場で自殺している大和田の死体をアシスタントが発見。
1996年
【死去】武満徹【作曲家】若手芸術家集団「実験工房」に所属し、映画・テレビ等の様々なメディアで活躍した世界的前衛音楽家。代表作に和楽器を使用した『ノヴェンバー・ステップス』、『弦楽のためのレクイエム』等。1995年に膀胱と首のリンパ腺にガンと診断され、間質性肺炎も併発し入院。一時退院もしたが翌年2月20日に虎の門病院で死亡。没年65歳。
2002年
【死去】エディ・トムソン(Edward James Thomson)【サッカー選手・監督/スコットランド】(つづきから)1997年からはサンフレッチェ広島の監督を4年間務め、契約終了後の2001年にオーストラリアで旅行中にガンが発見され9月には悪性リンパ腫と診断された。以降入退院を繰り返し翌年2月20日に死亡。没年55歳。
2002年
【死去】エディ・トムソン(Edward James Thomson)【サッカー選手・監督/スコットランド】現役時代はハーツ、アバディーンで活躍したミッドフィルダー。現役最後に1977年に新設されたオーストラリアリーグのシドニーシティーSCに移籍しそのまま同クラブの監督に。1980年から3年連続優勝を飾り、1990年からはオーストラリア代表チームの監督に就任。(つづく)