『マルコムXが射殺された直後のオードゥボン・ボールルームのステージと1964年のマルコムX(写真右)』

1965年2月21日は、“最も過激な黒人公民権運動家”として知られたマルコムXが元同士のNOI(Nation Of Islam)メンバーにより暗殺された日である。
同時期を生きたマーチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師とは対照的に、白人への嫌悪感を剥き出しにした言動で、同様に攻撃的であったNOIとともに社会の注目を集めたマルコムであったが、NOI加入の原因となったイライジャ・ムハンマドのレイプ事件を咎めて以来、教団とも疎遠となり、在籍時にも暗殺未遂事件に巻き込まれていた。その頃からは過激な言動のみならず、イスラム教の正統派に転向し1964年にNOIを脱退し「Organization of Afro-American Unity(アフリカ系アメリカ人統一機構)」を立ち上げ、自らの活動を続けた。しかしNOIの攻撃の手は退団後いっそう強まり、1965年2月14日には自宅に爆弾攻撃がなされ、さらには21日の演説中に、NOIの信者3名により射殺されたのであった。
彼らが常に敵対人種として見なしていた白人にではなく、同士ともいうべき黒人の手によって暗殺されてしまったところに、1960年代黒人公民権運動の悲壮さが滲んでいる。
果たして我々は、それを遠い過去の記憶と呼べるのであろうか?
マルコムXの死から50年がたった現在、アメリカの人種問題はなくなるどころか、“過激な”大統領が毎日とりかかる日常業務と化しているーー。

(写真はWikipedia Malcolm Xより使用。Public Domain)

2月21日の不幸

1961年
【事故死】赤木圭一郎【俳優・歌手】

日活第4期ニューフェイスとして日活へ入社後、1958年に『紅の翼』で俳優デビュー。石原裕次郎、小林旭に次ぐ第3の男として"和製ジェームスディーン"と呼ばれ活躍した二枚目俳優。映画『霧笛が俺を呼んでいる』『拳銃無頼帖』シリーズ等で活躍しているさなか、石原裕次郎の代役で参加した映画『激流に生きる男』撮影中の1961年2月19日の昼休み中に、日活撮影所内でゴーカートを運転中に猛スピードで大道具倉庫の鉄扉に激突。すぐさま病院に搬送され意識を回復したものの、2月20日に昏睡状態となり、2月21日に死亡。没年21歳。死因は前頭骨亀裂骨折からの硬膜下出血だった。

1965年
【暗殺】マルコムX(Malcolm X)【活動家・思想家/アメリカ合衆国】

同時期を生きたマーチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師とは対照的に、白人への嫌悪感を剥き出しにした言動で、同様に攻撃的であったNOIとともに1960年代の世界的な注目を集めた"最も過激な黒人公民権運動家"。イスラム教の正統派に転向し1964年にNOIを脱退し「Organization of Afro-American Unity(アフリカ系アメリカ人統一機構)」を立ち上げ、自らの活動を続けたが、元同志であるNOIから標的にされ、1965年2月14日には自宅に爆弾攻撃を浴び、さらには21日の演説中に、NOIの信者3名により射殺された。没年39歳。

1970年
【テロ】【航空事故】「スイス航空330便爆破事件」

1970年2月21日にスイスのチューリッヒ空港からイスラエルのテルアビブへの定期便、スイス航空330便(コンベアCV-990コロナド)が、気圧の変化によりヴァ苦初する小包爆弾により墜落。乗員乗客合計47人全員が死亡した。後日、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)は、その犯行声明を発表し、同団体のテロリストへのスイスでの有罪判決がその理由であると発表した。

1973年
【表現規制】【わいせつ問題】「四畳半襖の下張事件」

東京地検が、永井荷風作といわれる小説『四疊半襖の下張』を『面白半分』1972年7月号に掲載した同誌編集長・野坂昭如らをわいせつ文書に販売の罪で起訴。人気小説家の問題であり多くの表現者たちを巻き込んで最高裁まで争われたが、わいせつ文書に当たるとの判決が下った。

1973年
【航空事件】「リビア航空機撃墜事件」

1973年2月21日、ベンガジに寄港していたリビア・トリポリ発エジプト・カイロ行きのリビアン・アラブ航空(現リビア航空)114便(ボーイング727)が、ベンガジに寄港後カイロに向かう途中でシナイ半島を通過時にイスラエル空軍が軍用機と見誤り撃墜。乗員乗客全113人中108人が死亡する大惨事となった。原因は114便が空路を逸れて領空侵犯していたことと、雲の中で警告信号が伝わらなかったことにあったといわれている。イスラエル側は民間機撃墜の誤りを認め賠償を約束したものの、半年後に第4次中東戦争に突入した。