『南側から見たマクペラの洞窟』
1994年2月25日は、ユダヤ教、イスラム教の聖地であるパレスチナ自治区ヘブロンにおいて29名のムスリムが射殺された「マクペラの洞窟
虐殺事件」が発生した日である。
ユダヤ、イスラムが交代で使っていた洞窟内の施設で起きたこの悲劇は、アメリカ出身のユダヤ人医師、バールーフ・ゴールドシュテインによる大量殺人事件であった。
ユダヤ人の極右思想である“カハネ主義”の信奉者であったゴールドシュティンはユダヤ人以外の人間の診療を断るというほど偏った思想を持っており、プーリーム、ラマダンというそれぞれの宗教の祝祭日が重なっている時期に発生し、イサークのホールで祈りを捧げていた800人ものパレスチナ人ムスリムを背後から機関銃で乱射し、29名が死亡、125名を負傷に追い込んだ。
さらにこの事件は各地に飛び火し、26人のパレスチナ人と9人のイスラエル人が死亡している。
この結果イスラエルは“カハネ”をテロ組織と見なし、避難の対象としたが、その一方で、少数ながらもゴールドシュティンを民族の英雄と見なすユダヤ人も存在する。
世界市場でも有数の虐殺劇を行なったテロリストといわれるゴールドシュティン、その墓には「聖なるバールーフ・ゴールドシュテイン。ユダヤ人、トーラー、そしてイスラエルのために人生を捧げた」と刻まれているのだ。

(画像はWikipedia Cave of the Patriarchs massacreより使用)

2月25日の不幸

1年
準備中
1899年
【死去】ポール・ジュリアス・ロイター(Paul Julius Baron von Reuter)【実業家/ドイツ】伝書鳩を使用しての情報伝達業から電信、電報へと発展させ、後のロイター通信社を創業した人物。1872年にガージャナール調から与えられたロイター利権を利用し、あらゆる地下資源の採掘や金融業にまで進出した。ニースで死去。没年82歳。
1927年
【自殺】リン・F・レイノルズ(Lynn F. Reynolds)【俳優・映画監督・脚本家・プロデューサー/アメリカ合衆国)俳優を経て1915年の『Both Sides of Life』で監督デビュー。その作品は日本でも数多く上映され、ブルーバード映画の『沼の少女』『南方の判事』等の代表作で知られる。1927年2月25日に友人カップルとの会食の際に妻であり女優のキャスリン・オコーナーと互いの不倫で口論になり、自室に駆け込んで拳銃自殺した。没年37歳。
1970年
【自殺】マーク・ロスコ(Mark Rothko)【画家/アメリカ】幼少期に家族とともにロシアからアメリカに移住し、画面を塗り潰す独特の抽象画で世界的成功を博した画家。1968年に軽度の大動脈瘤と診断されたが、医師の言いつけを無視し暴飲暴食の生活を続けた結果インポテンツに陥り、そのまま妻とも離婚。晩年は抗鬱剤を常用し、1970年2月25日にスタジオで手首を切って自殺しているところをアシスタントに発見された。没年66歳。その死亡した日に代表作『シーグラム壁画』がロンドンのテートギャラリーに到着した。
1983年
【怪死】【奇妙な死】テネシー・ウィリアムズ(Tennessee Williams)【劇作家/アメリカ】(つづきから)晩年はアルコールとドラッグの依存症を患い、1983年2月25日にニューヨークのホテル・エルセーのスイートで鼻用のスプレーのキャップを喉に詰まらせて死亡した。没年54歳。事故死と発表されたが、未だ他殺を疑う向きもある。
1983年
【怪死】【奇妙な死】テネシー・ウィリアムズ(Tennessee Williams)【劇作家/アメリカ】1948年の『欲望という名の電車』、1955年の『熱いトタン屋根の猫』で2度にわたりピューリツァー賞を受賞したアメリカを代表する劇作家・私生活では同性愛者であったことで知られており、秘書のフランク・マーロとの関係はマーロが1963年に死亡するまで続いた。また、1979年1月にはそのセクシャリティからヘイトクライムの犠牲になったことでも知られている。(つづく)
1994年
【大量殺人】「マクペラの洞窟虐殺事件」ユダヤ教、イスラム教の聖地であるパレスチナ自治区ヘブロンのマクペラの洞窟において発生した、アメリカ出身のユダヤ人医師、バールーフ・ゴールドシュテインによる大量殺人事件。プーリーム、ラマダンというそれぞれの宗教の祝祭日が重なっている時期に、イサークのホールで祈りを捧げていた800人ものパレスチナ人ムスリムを背後から機関銃で乱射し、29名を死亡、125名を負傷に追い込んだ。さらにこの事件は各地に飛び火し、26人のパレスチナ人と9人のイスラエル人が死亡している。
1994年
【死去】ジョー・ウォルコット("Barbados" Joe Walcott)【プロボクサー/バルバドス】身長156センチながらヘビー級ボクサーをもKOしたという伝説のボクサー。黎明期の世界ウェルター級王座を数度にわたり獲得した。通算成績は81勝(34KO)24敗17引分け15無判定というものだが、非公式なものも含めれば生涯で800戦を戦ったともいわれている。ボクシング記者のナット・フライシャー曰く"ウェルター級歴代最強"、2003年『リングマガジン』選出の歴代最高のパンチャー100人に選出。62歳没。
1996年
【射殺】ハイン・S・ニョール(Haing S. Ngor/吳漢潤)【俳優・医師/カンボジア】産婦人科医、軍医として勤務中の1975年にポル・ポト率いるクメール・ルージュに捕まり4年間の拷問、強制労働に・1979年にタイに脱出し、翌年難民として渡米・1984年の映画『キリング・フィールド』に俳優として出演し、未経験ながらアカデミー助演男優賞、ゴールデングローブ賞助演男優賞を受賞した。その後も俳優活動や人権活動を継続したが1996年にロサンゼルスの自宅近郊で強盗により射殺された。没年55歳。
2009年
【航空事故】「トルコ航空1951便墜落事故」イスタンブール・アタテュルク国際空港を出発し、アムステルダム・スキポール国際空港に着陸予定のトルコ航空1951便は、着陸降下中に滑走路から1.5キロ手前の農家の草地に機体後部から墜落。機体は機首、胴体、尾翼と3つに分解され大破。エンジンは機体の100メートル先にまで転がっていた。自力で脱出したものも多くかったが、9人が死亡、うち4人は乗務員だった。原因は電波高度計とそれに対応できなかった操縦士のミスといわれている。