『警察に包囲されたあさま山荘』

1973年2月28日は新左翼組織「連合赤軍」のメンバー5名(坂口弘、坂東國男、吉野雅邦、加藤倫教、加藤元久)が管理人の妻・牟田泰子を人質に軽井沢の浅間山荘に立てこもる「あさま山荘事件」が終了した日である。
警察が包囲する中、人質の監禁は219時間にも及び、警察が包囲する中で日本最長の事件となった。また、極寒の状況でテレビ中継されたことでも国民的な注目を集め、民放・NHK併せて90パーセント近くもの視聴率を記録した。
結果的には9日後の2月28日に鉄球で山荘を破壊し、立てこもり犯全員の逮捕という結末となったが、後に映画化された1979年の小説『食卓のない家』を皮切りに、2000年代に至っても数多くの「あさま山荘事件」作品が作られ続けている。
日本最長の警察による包囲劇はまた、我々の心に長く住み着いているようだ。

(WIkipedia Asama-Sansō incidentより使用)

2月28日の不幸

1964年
【死去】辰野隆【フランス文学者・教育者・随筆家】

日本人としては初の東大フランス文学科教授として知られるフランス文学者。東京生まれ。父は東京駅などを設計した建築家の辰野金後吾。教え子には、三好達治・小林秀雄・中島健蔵・森在昌といった錚々たる人物がいる。また、谷崎潤一郎とは中学時代からの同級生であり友人でもあり、1939年に出版された随筆『忘れ得ぬ人々』の中でも谷崎について触れている。1923年に教授となってから、定年退官するまでの1948年までフランス文学の主任教授を勤め上げた。1960年に東大から文学博士を授与、1962年には文化功労者となった。1964年2月28日に死亡。没年75歳。