『映画「THE KID」の宣材写真よりチャールズ・チャップリンと写るジャッキー・クーガン』

1984年3月1日は、俳優のジャッキー・クーガンが死亡した日である。
晩年は1977年に放送開始された人気TVドラマ『アダムス・ファミリー』のフランパー役で怪奇派俳優として人気を博した人物であったが、元はチャップリンの名作映画『THE KID』(1921年)で一躍スターダムへと駆け上がった天使のような超人気子役であった。その収入は8歳の時点ですでに週給2万ドルを超えていたといわれており、当時が1920年代という時代を考えれば途轍もない収入であったといえるだろう。1935年10月、21歳の時、その頃に彼が稼いだ300万〜400万ドルもの財産を母親とその再婚相手が浪費したことが判明。するとクーガンは1938年に母親と義父を訴訟した。人気子役が親を訴えたことが社会的な注目を集め、チャップリンの援助もありクーガンは勝訴。1989年には子役の収入の15パーセントを青年になるまで積み立てなければならないという「California Child Actor's Bill」、通称“クーガン法”が制定されることに繋がった。子供が金銭面で母親を訴えるという図式はこの上なく《不幸》であったが、若きジャッキー・クーガンの戦いが、彼に続いた数多くの子供たちの《不幸》を未然に防いできたことは想像に難くない。

(写真はWikipedia Jackie Cooganより使用。Public Domain)

3月1日の不幸

1932年
【身代金誘拐事件】「リンドバーグ愛児誘拐事件」人類初の大西洋間無着陸飛行を成し遂げたチャールズ・リンドバーグの当時1歳の長男が1932年3月1日に誘拐された事件。自宅から忽然と姿を消した長男の代わりに身代金5万ドルを要求するノートが置いてあった。10日間の捜索と身代金の受け渡しまでやったが、長男は1932年の5月12日にリンドバーグ宅の近所で遺体となって発見された。事件の2年後、身代金の紙幣を使用したことからブルーノ・リチャード・ハウプトマンが逮捕され、1936年に死刑となった。
1939年
【死去】岡本綺堂【小説家】24年の新聞記者生活を経て小説家、戯曲家に。『半七捕物帳』『番町皿屋敷』等の代表作で知られる大正期を代表する作家。東京・目黒にて肺炎で66歳没。
1984年
【死去】ジャッキー・クーガン(Jackie Coogan)【俳優/アメリカ合衆国】

映画『THE KID』(1921年)で一躍スターダムへと駆け上がった1920年代の超人気子役俳優・その収入は8歳の時点ですでに週給2万ドルを超えていたといわれており、1935年10月、21歳の時には300万〜400万ドルもの財産を築いていたが、母親とその再婚相手がそのほとんどすべてを浪費したことが判明。係争の結果「California Child Actor's Bill」、通称"クーガン法"が制定された。晩年は1977年に放送開始された人気TVドラマ『アダムス・ファミリー』のフランパー役で怪奇派俳優として人気を博し、1984年3月1日に心不全で死亡した。没年69歳。

1999年
【事故死】【怪死】長谷川悟史【プロレスラー】パンクラス横浜道場所属のプロレスラー。1998年2月6日にセーム・シュルトとの対戦で一本勝ちを収めるなど将来を嘱望される存在であったが、1999年3月1日に道場近くのマンションから転落死した。没年22歳。死因は骨折からの外傷性出血ショックと発表されたが、屈強な若手レスラーのあまりに早過ぎる事故死は未だに様々な憶測を呼んでいる。
2017年
【死去】かまやつひろし【ミュージシャン】

"ムッシュ""ムッシュかまやつ"の愛称で長きにわたり活躍したミュージシャン、ギタリスト。本名は釜萢弘であり、実父は戦後の日本にジャズを普及させた日系アメリカ人2世のミュージシャン、ティーブ・釜萢。その影響で若くして音楽ビジネスに携わり、青山学院高等部在学中にカントリー歌手としてデビュー。その後1963年からは人気グループサウンズのバンド「ザ・タイガース」加入。『あの時君は若かった』『バン・バン・バン』『なんとなくなんとなく』等の大ヒット曲の作曲を手がけるなどして活躍した。1970年のバンド解散後はソロ活動を開始。中でも吉田拓郎との共作で人気を博し、吉田の手がけた『我が良き友よ』は90万枚もの大ヒットとなりかまやつの代表曲となった。晩年まで精力的に活動を続けたが、2016年9月6日に肝臓ガンであると所属事務所のケイダッシュが発表。同年12月8日には、元ザ・タイガースのメンバーである堺正章の70歳記念ライブに飛び入り参加し最後の歌唱を披露したが、翌2017年3月1日に膵ガンで死亡。没年78歳。