『スターリンに粛正されたニコライ・エジョフを修整した写真』

1953年3月5日は、ソビエト連邦第2代最高指導者であり、徹底的な反逆者の弾圧=大粛正を敢行し、有史の中でも指折りの殺人数を誇るといわれている独裁者、ヨシフ・スターリンが死亡した日である。
何度もの流刑を経験した革命家からレーニンの参謀、そして政敵であったトロツキーとの後継者争いを制し、ソ連の最高指導者に登り詰めたスターリン。国外での戦争被害者を併せれば2,000万人以上もの死者を出した人物ともいわれ、ヒトラー、毛沢東と並び、今もなお世界史にその悪名をとどろかせている。その治世は“人類史上最悪”ともいわれるものであり、自国民への“大粛正”は最も夥しいとされる1937年〜1938年だけで70万人以上を処刑したという。その恐ろしさを象徴するのがこの2枚の写真であり、左写真でスターリンの左側に写るNKVD(内部人民委員)長官のニコライ・エジョフが、修正によって右写真では消え去っているのである。NKVDといえば国内の風紀を取り締まる秘密警察であり、スターリンの大粛正の中心となった組織である。その長ですら国の正史からは抹殺されているのである。この異常なまでの猜疑心の強さがスターリンの大粛正の原因のひとつであり、この写真のような事実が存在する限り、現在確認できる犠牲者の数は全く当てにならないということだろう。

(画像はWikipedia Joseph Stalinより使用。Public Domain)

3月5日の不幸

1953年
【死去】ヨシフ・スターリン(Joseph Stalin)【政治家・軍人/ソ連】

ソビエト連邦第2代最高指導者であり、徹底的な反逆者の弾圧=大粛正を敢行したソ連の独裁者。何度もの流刑を経験した革命家からレーニンの参謀、そして政敵であったトロツキーとの後継者争いを制し、ソ連の最高指導者に登り詰めたスターリンは、国外での戦争被害者を併せれば2,000万人以上もの死者を出した人物ともいわれている。完全な独裁体制となったその治世は第二次世界大戦から戦後の冷戦期まで30年以上も続いた"人類史上最悪"ともいわれるものであり、秘密警察NKVD(内部人民委員)を動員した自国民への"大粛正"は最も夥しいとされる1937年~1938年だけで70万人以上を処刑したという。1953年3月1日に徹夜での食事会を終えると脳卒中で昏倒し、4日後に死亡。没年74歳。その遺体は1961年まで防腐処理されてレーニン廟に安置されていたが、フルシチョフによる批判により火葬されてクレムリン宮殿の壁に埋葬された。

1954年
【死去】岸田國士【劇作家・演出家・小説家・翻訳家】

フランス外遊後の1937年に岩田豊雄・久保田万太郎らとともに劇団「文学座」を創設したことで知られる劇作家。日本の現代演劇に多大なる貢献を果たし、新人戯曲家の登竜門的存在として知られる「岸田國士戯曲賞」は岸田の生前の功績にちなんでのものである。代表作に戯曲『牛山ホテル』『チロルの秋』小説『暖流』等。1940年からは大政翼賛会の文化部長を務めるなどしてていたが、終戦後公職追放に。最晩年まで活動を津続け、1954年3月4日、神田一ツ橋講堂で文学座の公演『どん底』の稽古中に、脳卒中で倒れ翌日死亡。没年63歳。長女に童話作家の岸田衿子、次女に女優の岸田今日子、甥に俳優の岸田森がいる。

1977年
【競技中事故死】【夭折】トム・プライス(Thomas Maldwyn Pryce)【レーシングドライバー/ウェールズ】

メカニックとして働きながらレーサーとしてのキャリアを重ね、1974年にトークン・フォードからF1デビューしたレーシングドライバー。同年にシャドウ・フォードに移籍し1975年に3位入賞やポールポジション獲得などの活躍をみせたが、1977年の南アフリカGP決勝の22週目を走行中にチームメイトのレンツォ・ゾルジがエンジンストップ。その救助に向かったマーシャル(係員)がコースを横切ったために轢き殺してしまい、その手に持っていた消化器がヘルメットを直撃。そのまま首を引き裂かれアクセルを踏んだままコースアウトし即死した。没年27歳。F1での生涯獲得ポイント19。

1982年
【薬物過剰摂取】ジョン・ベルーシ(John Adam Belushi)【俳優・コメディアン/アメリカ合衆国】

1975年に始まったNBCの伝説的コメディー番組『サタデー・ナイト・ライブ』で爆発的な人気を博したコメディアン。サムライのキャラクターに象徴されるアナーキーなハイテンション芸で知られ、ダン・エイクロイドと結成した「ブルース・ブラザース」が大ヒット。アルバム『Briefcase Full of Blues(ブルースは絆)』は全米ナンバー1を獲得し、映画『The Blues Brothers』も世界的なヒットを記録した。しかし長きにわたり薬物中毒に苛まれており、人気絶頂だった1982年3月5日に、薬物過剰摂取でハリウッドの「シャトー・マーモント・ホテル・アンド・バンガローズ 」で死亡しているところを発見された。没年33歳。死因は"スピードボール"と呼ばれるコカインとヘロインの混合乱用といわれている。