『1954年の「Now magazine」誌に掲載された結婚当時のジョー・ディマジオとマリリン・モンロー』

1999年3月8日は、引退直後のベーブ・ルースと入れ代わりに1936年にメジャーリーグデビューし、ニューヨーク・ヤンキースの中心的存在としてメジャー・リーグを代表するスーパー・スターとして活躍したジョー・ディマジオが死亡した日である。
3度のMVP、2度の首位打者、2度の本塁打王、2度の打点王を獲得するなどの活躍でニューヨーク・ヤンキースを9度のワールド・シリーズ制覇に導いた強打の外野手で、56試合連続安打といういまだ破られない大記録を保持している大選手であるが、その数字以上の存在感を社会的に発揮した人物であった。
その象徴的なエピソードが当時のハリウッドで爆発的な人気を誇ったトップ女優、マリリン・モンローとの世紀の結婚であり、ハネムーンで来日するなど、日本を始め世界中の話題をさらった。しかし大スター同士の結婚でありがちなことにお互いの自尊心の高さから結婚生活は長続きせず、わずか274日で離婚した。しかし離婚後も二人の結びつきは強く、1962年8月5日に開始を遂げた際には、再婚をする予定であったといわれ、モンローとの交際を持っていたジョン・F・ケネディ元大統領をその原因として非難していたという。そして自らが1999年3月8日に肺ガンで死亡する際、最後の言葉は"I finally get to see Marilyn"であった。わずか1年にも満たない結婚から45年後の言葉とは思えない結びつきを感じさせる最後の言葉である。

(写真はWikipedia Joe Dimaggioより使用。Public Domain)

3月8日の不幸

1935年
【死去】ハチ【飼い犬】

主人の大学教授・上野英三郎を、その死後10年間毎日渋谷駅の改札で待ち続けた忠犬として知られる秋田犬。その待っていた時間に比して上野がハチを飼っていた期間はたった1年ほどであった。この"忠犬ハチ公"の美談は新聞等で広く知られることになり、1934年に渋谷駅に銅像が設置され、待ち合わせ場所として広く知られるようになった(現在の銅像は戦後に再建された2代目)。1935年3月8日にフィラリア症とガンにより死亡。没年11歳。なお、その剥製は現在も国立科学博物館に展示されている。

1935年
【自殺】阮玲玉(Ruan Lingyu/ロアン・リンユィ)【女優/中国】

映画『故都春夢』の主役に抜擢され1930年代に活躍した中国最初のスター映画女優。16歳でデビューし、24歳の時にバルツビール酸系(向精神薬)の過剰摂取で自殺。ゴシップ記事を気に病んでの自殺といわれていたが、近年の調べでは当時交際していたTang Jishanとの関係悪化にあったとされ、自殺当日に虐待があったと言われている。彼女の葬式に参列した民衆は3マイル(4.8キロ)もの長蛇の列をなし、3人の女性が後追い自殺をするなどの熱狂ぶりであったといわれ、当時の『ニューヨークタイムズ』紙は"今世紀最大の葬式"と報じた。

1995年
【自殺】インゴ・シュヴィヒテンバーグ(Ingo Schwichtenberg)【ミュージシャン/ドイツ】

ジャーマン・メタルバンド「ハロウィン」のドラマーとして活躍したミュージシャン。同バンドには1981年に加入しアルコールやドラッグの依存症もあり1993年に脱退。1995年に小型列車に飛び込み自殺。没年29歳。統合失調症を患っていたといわれている。

1997年
【奇妙な死】池田満寿夫【版画家・作家】

1977年の『エーゲ海に捧ぐ』で芥川賞を受賞した芸術家。自ら同作の映画化を手がけたほか、絵画、版画、彫刻、陶芸、小説、映画など、ありとあらゆる手段の表現を用いた。私生活ではバイオリニストの佐藤陽子とのおしどり夫婦として知られていたが、19歳の頃に結婚した女性が離婚を拒絶したために佐藤とは内縁の夫婦関係であった。1997年3月8日に静岡県熱海市の自宅で地震に見舞われ、驚いた飼い犬に飛びつかれて転倒し、そのまま心不全で急死。没年63歳。

1999年
【死去】ジョー・ディマジオ(Joe Dimaggio)【野球選手/アメリカ】

引退直後のベーブ・ルースと入れ代わりに1936年にメジャーリーグデビューし、ニューヨーク・ヤンキースの中心的存在としてメジャー・リーグを代表するスーパー・スターとして活躍した強打の外野手。3度のMVP、2度の首位打者、2度の本塁打王、2度の打点王を獲得するなどの活躍でニューヨーク・ヤンキースを9度のワールド・シリーズ制覇に導き、56試合連続安打といういまだ破られない大記録を保持している大選手であるが、その数字以上の存在感を社会的に発揮したスーパースターであった。1954年には当時のハリウッドで爆発的な人気を誇ったトップ女優、マリリン・モンロー結婚し、ハネムーンで来日するなど、日本を始め世界中の話題をさらった。しかし大スター同士の結婚でありがちなことにお互いの自尊心の高さから結婚生活は長続きせず、わずか274日で離婚。しかし離婚後も二人の結びつきは強く、1962年8月5日に開始を遂げた際には、再婚をする予定であったといわれ、自らが1999年3月8日に肺ガンで死亡する際、最後の言葉は"I finally get to see Marilyn"であった。

2000年
【鉄道事故】「営団日比谷線脱線衝突事故」

東京都目黒区にある中目黒駅近くで営団地下鉄(現東京メトロ)日比谷線の運転車両が午前9時1分頃に脱線し、乗客5人が死亡、60人以上が負傷するという事故となった。事故原因は輪重比と呼ばれる電車のバランスの大幅な狂いであったといわれる。

2005年
【暗殺】アスラン・マスハドフ(Aslan Aliyevich Maskhadov)【軍人・政治家/ソ連・チェチェン共和国】

1969年にソ連軍へ入隊し、大差にまで上り詰めたが1991年に退役しチェチェン独立運動に参戦。チェチェン共和国国防軍に入隊し、チェチェン軍参謀総長に就任。1994年からの「第一次チェチェン紛争」で同軍の指揮を執った。1996年にロシアと停戦後は首相、そして1997年2月12日には第3代チェチェン共和国独立派政権大統領に就任。しかし1999年8月にチェチェン強行派のシャミル・バサエフがロシアに攻め込んだことで首都グロズヌイをロシア軍が制圧、マスハドフも武装反乱指揮容疑でロシア連邦検察から指名手配されることに。そして2005年3月8日、ロシア連邦保安庁(FSB)長官のニコライ・パトルシェフにより、同庁の特殊部隊がマスハドフの殺害が公表された。

2014年
【怪事件】【航空事故】「マレーシア航空370便墜落事故」

マレーシアのクアラルンプールから中華人民共和国の北京市に向かうマレーシア航空の定期旅客便「マレーシア航空370便」が2014年3月8日午前1時30分の交信を最後に突如として行方不明に。事故から2週間以上が経った3月24日にマレーシアのナジブ・ラザク首相は、イギリスの衛星通信会社インマルサットとイギリスの航空事故調査局 (AAIB) による衛星情報解析の結果、同機がインド洋南部に墜落し生存者はいないという推論を発表。乗員乗客239人の全員が死亡認定となった。この説明に不満を抱いた中国人乗客の親族らが、北京のマレーシア大使館前でデモを行なう騒ぎになった。その後2015年7月29日にフランス領レユニオンにて、墜落機の残骸やスーツケースが発見。2016年3月21日にじは南アフリカで事故機のエンジン「ロールス・ロイス トレント892」のエンブレム入りの破片が発見。他にも、370便のものと思われる残骸がモザンビーク、モーリシャス、マダガスカルなどで各地で見つかっている。事故原因は機体が見つかっていないために真相究明は極めて困難な状況であるが、機長による客を巻き込んでの自殺という見方もあり、発表で後手を踏んだマレーシア政府にもその嫌疑はかかっているままである。

2016年
【死去】ジョージ・マーティン(Sir George Henry Martin)【音楽プロデューサー/イギリス】

自らも奏者としてクラシック音楽を学び、BBC音楽部門勤務を経てEMIに入社。アビーロードスタジオでのビートルズ全作品のプロデュースで成功を収めた音楽プロデューサー。1965年にEMIから独立し、ジェフ・ベック、ポール・マッカートニーら世界的アーティストと共作を続けた。1999年に聴力の衰えのためプロデューサーを引退。2016年3月8日に睡眠中に死亡。没年90歳。その死は翌日リンゴ・スターのツイッターで「God bless George Martin peace and love to Judy and his family love Ringo and Barbara George will be missed xxx」と公表された。