1945年3月12日は、世界で大ベストセラーになった『アンネの日記』の著者である少女、アンネ・フランクが、捕らえられたナチスドイツの強制収容所内で死亡した日である。

ナチスドイツのユダヤ人迫害を逃れてオランダに亡命した銀行家・オットー・フランクの一家の次女であるアンネは、アムステルダムの隠れ家で2年間の逃亡生活をオランダ語で日記にしたためた。
その日記は隠れ家で世話をしていたミープ・ヒースが保管しており、戦後、生き残ったオットーに手渡される。
そしてごく普通の朗らかな少女の日記が、戦争の残酷さを物語る世紀の出版として1947年にオランダで出版されたのである。すると瞬く間にその言葉は世界を駆け巡り、1950年にドイツ語、フランス語に翻訳され、1952年には英語、日本語その他の世界中の言語に翻訳されていった。結果的にはおよそ60カ国語版、出版部数にして累計2,500万部を超える大ベストセラーとなったのだった。
ナチスのベルゲン・ベルゼン強制収容所の劣悪な環境でチフスにより死んでいった15歳のアンネの人生は確かに《不幸》であったが、その若く希望に溢れる少女の言葉が、永遠の生命を持つこととなったのは、不幸中の幸いといえるのかもしれない。

(写真はWikipedia Anne Frankより使用。Public Domain)

3月12日の不幸

1925年
【死去】孫文(孫中山/Sun Yat-sen)【革命家・政治家/中国】

17世紀初頭から300年もの治世を続けた清朝の打倒を目指した「辛亥革命」の指導者であり、その後の1912年に初代中華民国臨時大総統に就任した人物。その後は袁世凱の中華帝国にも抵抗しながら中国国民党総理として反帝政の革命を続けた。現在も中国ではその功績から"国父"と呼ばれているが、二度の日本への亡命等、主に国外を拠点に活動を続けたことでも知られている。晩年は胆嚢ガンに冒されながらも活動を続け、悲願成就に至らぬままの1925年3月12日に北京で客死。南京の中山陵に埋葬された。遺言として「革命尚未成功、同志仍須努力 (革命なお未だ成功せず、同志よって須く努力すべし)」との言葉を遺した。

1934年
【海難事故】「友鶴事件」

旧日本海軍水雷艇「友鶴」が1934年3月12日に過重武装が原因で転覆沈没した事件。この事件により乗組員113人中100人が殉職。事件当時、悪天候の中で同艇は佐世保港外で夜襲訓練を行なっていたのだが「友鶴」は過度な武装などにより重心の上昇した"トップヘビー"といわれる状態になっていたために復原力が不足したことが転覆沈没の原因とされている。この事故はその後の艦艇設計に多大な影響を及ぼしたといわれ、友鶴の設計者である藤本喜久雄造船少将は、謹慎処分の後に、翌年脳溢血を起こし憤死したといわれている。

1945年
【獄中死】【夭折】アンネ・フランク(Anne Frank)【作家】

世紀のベストセラーである『アンネの日記』の作者として知られるユダヤ系ドイツ人の少女。ナチスドイツのユダヤ人迫害を逃れてオランダに亡命した銀行家・オットー・フランクの一家の次女であるアンネは、アムステルダムの隠れ家で2年間の逃亡生活をオランダ語で日記にしたためた。その日記は隠れ家で世話をしていたミープ・ヒースが保管しており、戦後、生き残ったオットーに手渡され、1947年にオランダで出版。その後ドイツ語日本訳され、世界中の言語に翻訳されていった。その数、およそ60カ国、出版部数にして累計2,500万部を超える大ベストセラーとなったのだった。ナチスのベルゲン・ベルゼン強制収容所の劣悪な環境でチフスにより死亡。没年15歳。

1950年
【死去】ルイス・ハインリヒ・マン(Luiz Heinrich Mann)【小説家・評論家/ドイツ】

ハンザ都市リューベック生まれの、20世紀ドイツを代表する小説家・評論家。代表作には『Der blaue Engel(嘆きの天使)』として映画化された『Professor Unrat(ウンラート教授)』、評論集では『Der Haß, deutsche Geschichte (憎悪)』といった作品がある。また、弟に 『Der Tod in Venedig(ヴェニスに死す)』などで知られる、小説家トーマス・マンがいる。少年時代から作家を志し、高校卒業後、書店員をやりながら小説を書き始める。1894年に初の長編小説『In einer Familie(ある家庭のなか)』を執筆。以後、長編・短編ともに多くの作品を発表。第一次世界大戦勃発後、ドイツの戦局が不利になると、権威主義への批判、ドイツの敗北を予期していたといった点から、ハインリヒの旧作は大変な売れ行きをみせた。戦後は文学者、評論家として活躍していたが、ナチスの台頭により市民権を剥奪され、フランスへ脱出。その後、第二次世界大戦が始まると渡米し、1947年に東ドイツ芸術アカデミー総裁に選出された際には帰国を考えるも、1950年に心筋梗塞で死去。没年78歳。

2001年
【事故死】ロバート・ラドラム(Robert Ludlum)【小説家/アメリカ合衆国】

舞台俳優、劇場プロデューサーから小説家に転身し、デビュー作の『The Scarlatti Inheritance(スカーラッチ家の遺産)』がいきなりベストセラーに。その後もミステリー小説の大家としてヒット作を連発し、中でも1980年の『The Bourne Identity(暗殺者)』から始まる『ジェイソン・ボーン三部作』が後年の映画化もあり爆発的な人気を博した。2001年2月10日の不審火で負った火傷から回復中の翌月12日に死亡。没年73歳。

2005年
【死去】江間章子【詩人・作詞家】

中田喜直作曲の童謡『夏の思い出』の作詞者として知られる詩人。朝鮮画報社刊『万寿無疆』で詩作『金日成首相は地球の上のともしび』を寄稿したり、週刊読売別冊『チュチェの国ー朝鮮』に北朝鮮滞在記を発表するなどの活動でも知られている。92歳の誕生日を前日に控えた2005年3月12日に脳内出血で死亡。

2015年
【死去】テリー・プラチェット(Terry Pratchett)【小説家/イギリス】

イギリスの小説家、ベストセラー作家のひとり。1983年に発表したファンタジー小説『Discworld(ディスクワールド)』シリーズが世界的ベストセラーとなる。その作品は35カ国以上で翻訳されており、累計5,500万部以上を売上げている。初期はSF、ホラーといったジャンルを扱っていたが、その後は、ファンタジー作品に移行。2001年にカーネギー賞受賞。2007年に若年性アルツハイマーを発症していることを公表し、2009年には末期ガン、アルツハイマー患者の安楽死を合法化を提言している。2015年3月12日にアルツハイマーのため死去。没年66歳。