『1961年に撮影されたキティ・ジェノヴェーゼ(写真右)と刺殺強盗ウィンストン・モズリーのポートレート』

1964年3月13日は、ニューヨークでバーのマネージャーとして働いていた28歳のキティ・ヴェーゼが刺殺された日である。勤務を終え深夜に自宅近くで駐車したキティに背後から迫った29歳のウィンストン・モズリーは、彼女の背中を2回刺した。その瞬間、彼女の「Oh my God, he stabbed me!(彼に刺された) Help me!」という大きな悲鳴が住宅街に響き渡った。深夜であったが、その声に気づいた住民は多く、そのひとりであるロバート・モーザーはモズリーに対しキティを解放するように言ったという。モズリーはロバートの方を向き、肩をすくめてみせると、自らの乗ってきた車の方へと向かった。しかしその直後、キティの元へ踵を返し、再びナイフで数回差し、さらにレイプをした上に49ドルという現金も奪って逃走したのだった。モズリーは6日後に強盗で捕まり、終身刑となったが、この事件は他の意味でクローズアップされることになった。
それが、現在も社会的に問題となっている『傍観者効果(Bystander effect)』と呼ばれる現象である。1968年にアメリカの心理学者、ビブ・ラタネとジョン・ダーリーはこのキティ・ヴェーゼ刺殺事件の、被害者の声を38人もの近隣住民が訊いているにもかかわらず誰も急いで通報しなかったことに注目した。最初の悲鳴から2度目の凶行に及ぶまで、誰もが殺されていくキティに積極的に関わろうとしなかったことが、彼らの研究心を引きつけた。研究結果から、この無関心は、“都会の人間の冷酷さ”ではなく、“多くの人が見ていたこと”自体にあるとし、人間の深層心理の複雑さを証明してみせた。
近年も世界各国で衆人環視の中で起きた事故にフリーズするという現象が“人間の冷酷さ”の象徴として報道される機会が多いが、そのうちのある部分は、この『傍観者効果』によるものなのである。それを未然に防ぐ適切な報道がなされることを願う。

(写真はWikipedia Murder of Kitty Genoveseより使用)

3月13日の不幸

1964年
【殺人事件】「キティ・ジェノヴィーズ事件」

ニューヨークでバーのマネージャーとして働いていた28歳のキティ・ヴェーゼが、勤務を終え深夜に自宅近くで駐車した際に背後から迫った29歳のウィンストン・モズリーにより刺殺された事件。その瞬間、彼女の「Oh my God, he stabbed me!(彼に刺された) Help me!」という大きな悲鳴が住宅街に響き渡ったが、近隣住民の誰ひとりも通報しなかったこと(しかも一度目の犯行からしばらくして現場に戻ったモズリーはとどめを刺し現金を奪って逃走)が後に社会問題視され、1968年にアメリカの心理学者、ビブ・ラタネとジョン・ダーリーはこのキティ・ヴェーゼ刺殺事件から『傍観者効果(Bystander effect)』と呼ばれる現象を指摘した。

1996年
【急死】クシシュトフ・キェシロフスキ(Krzysztof Kieślowski)【映画監督/ポーランド】

1966年頃から短編映画の製作を始め、1976年に初の長編劇映画『傷跡』を発表。2作めの映画『アマチュア』で1979年のモスクワ国際映画祭金賞を受賞し、一躍ポーランドを代表する映画作家に。その後も1989年からテレビシリーズ『デカローグ』、1991年の映画『ふたりのベロニカ』等、国際的評価の高い作品を発表し続け、1993年にフランス政府からの依頼を受けての『トリコロール三部作』を手がけ、同年の『トリコロール/青の愛』で第50回ヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞とジュリエット・ビノシュに女優賞と撮影賞を同時受賞。翌1994年の『トリコロール/白の愛』で第44回ベルリン国際映画祭監督賞を受賞。続く『トリコロール/赤の愛』で監督業引退を宣言するも、翌1995年に早くも『天国・地獄・煉獄三部作』の脚本にとりかかる。その矢先の1996年3月13日に心臓発作で急死。没年54歳。遺された脚本の『天国編』はトム・ティクヴァ監督により『ヘヴン』(2002年)として、『地獄編』はダニス・タノヴィッチ作『美しき運命の傷痕』(2005年)としてその死後に映画化された。

1996年
【大量殺人】【学校乱射事件】「ダンブレーン小学校殺人事件」

イギリス・スコットランドのダンブレーン小学校に小売店経営の42歳、トーマス・ハミルトンが侵入し、拳銃を乱射。児童と教師合わせて16人を拳銃で殺害し、15人に怪我を負わせ、最終的には自らも拳銃自殺を遂げた。イギリス史上でも最もひどい無差別殺人のひとつといわれている。ハミルトンは自ら指導していたボーイスカウトクラブの少年を裸にして撮影していたことが発覚し、それらの活動を禁じられ、1993年には小売店も倒産していた。

2008年
【怪死】【殺人事件】スカーレット・ガルシア(Scarlet Mae Bouffard Garcia)【モデル・歌手/フィリピン】

元々は男性誌『FHM』フィリピン版のグラビアなどで活躍していた巨乳グラビアモデルであり、ガールズユニット「Viva Hot Babes」の第3期メンバーとして活躍していたタレント。23歳の誕生日である2008年3月13日に地元オロンガポ市の自宅で同居人のジョージ・カストロ・ジュニアと、従姉妹のレイチェル・エスタシオとその交際していた男性、ヴァン・マーク・バンデハの4人が全身を刃物で刺されて銃殺された状態で発見された。ガルシアとエスタシオのふたりは全裸のまま風呂で死亡しており、レイプされた後に殺害されたとみられ、放火の跡が残っていたのは犯人による証拠隠滅のためであったと思われる。後日それまでにもレイプ殺人団を束ねていたとみられるジェイアール・モジカが容疑者として逮捕された。

2009年
【夭折】【薬物過剰摂取】アンドリュー・マーチン(Andrew James Robert Patrick Martin)【プロレスラー/カナダ】

"テスト"のリングネームで活躍したカナダのプロレスラー。1990年代半ばにプロレスラーのブレット・ハートとの出会いをきっかけに1997年にデビューし、即座にWWF(現WWE)と契約。翌年、同団体の代表取締役兼最高責任者であるビンス・マクマホンのボディガード役として登場し、"テスト"のリングネームを名乗る。2004年に首の怪我により戦列を離れ、同年WWEに解雇された。2005年の復帰後は、インディ団体を中心に試合を行ない、2006年に再びWWEと契約するも、ステロイド使用が発覚し解雇。2007年にプロレスからの引退を発表。2009年3月13日に、フロリダ州タンパの自宅で鎮静剤のオキシコドンのオーバードーズにより死亡しているところを発見された。没年33歳。死後、晩年は慢性外傷性脳症に苛まれていたことが明らかになった。