『アムステルダムのスキポール空港に並べられたテネリフェ空港ジャンボ衝突事故の被害者の棺』写真=オランダ国立公文書館

1977年3月27日は、史上最悪の航空機事故として知られる「テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故」の起きた日である。
ニューヨークからカナリア諸島に向かってきたパンアメリカン航空のジャンボと、アムステルダムからカナリア諸島に向かってきたKLMオランダ航空のジャンボと、どちらも最終的な目的地はグラン・カナリア島のグラン・カナリア空港(現ラス・パルマス空港)という2機の旅客機が、経由地のスペイン領カナリア諸島のテネリフェ空港の滑走路で正面衝突し、583人が死亡、61人の負傷生存者という有史以来最大の犠牲者を出す事件となった。
元々この2機がテネリフェ空港を経由したのは、目的地のグラン・カナリア空港に爆弾テロの予告が届いていたためで、その後で虚偽の予告であることが判明し、それぞれのスケジュールの遅れを取り戻すためにこの最悪の事件が引き起こされたといわれている。事故責任はパンナム機からの離陸に滑走路を空けるように言われたが全速力で突っ込んだKLM機にあると言われ、原因は無線障害やパイロットの判断にあるとされている。その結果滑走路内で両機は衝突し大爆発。少し離陸したKLM機の乗員乗客は全員が死亡、生存者はすべてパンナム機の搭乗者だった。
当初はその責任を認めていなかったKLM側であったが最終的に責任を受け入れ、それぞれの被害者へ60,000ドルほどの賠償をし、慰霊塔や慰霊碑を建立、有史以来最多の被害者たちへの慰霊に努めている。

(画像はWikipedia Tenerife airport disasterより使用)

3月27日の不幸

1968年
【怪死】【航空事故】ユーリ・ガガーリン(Yuri Alekseyevich Gagarin)【宇宙飛行士・軍人/ソ連】

1961年にボストーク1号に単身搭乗し、世界初の有人宇宙飛行に成功した宇宙飛行士。しかしその飛行はソ連政府側としてもかなりの危険性を孕んだままの見切り発車だったといわれ、帰還時は上空7,000メートルから宇宙船を飛び出してのパラシュートでの着地であったと後日明らかになった。さらに、飛行中に無線でガガーリンの大佐への昇進を伝えたのは、死亡する前に伝えておきたかったからだといわれている。帰還後は国民的英雄となり諸国を広告塔として飛び回ったガガーリンであるが、やがて酒に依存する生活となり、1961年には精神的な異常を来し自傷行為を行なっている。また、指導官として後続の飛行士育成に携わったが、1967年には親友のウラジーミル・コマロフが試験飛行を成功させないままに宇宙飛行に臨んだ際にはその危険性を察知し自らが代わりに乗り込もうとした(結果的に様々な事故が起きコマロフは死亡)。そして翌年3月27日、MiG-15UTIでの飛行中にキルジャチ付近で墜落事故を起こし、死亡。没年34歳。教官同乗という万全の体制であっただけに、国内外から陰謀説が流れたが、当時のソ連国内の秘密主義体制下であるために真相は明らかになっていない。

1977年
【航空事故】「テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故」

ニューヨークからカナリア諸島に向かってきたパンアメリカン航空のジャンボと、アムステルダムからカナリア諸島に向かってきたKLMオランダ航空のジャンボと、どちらも最終的な目的地はグラン・カナリア島のグラン・カナリア空港(現ラス・パルマス空港)という2機の旅客機が、経由地のスペイン領カナリア諸島のテネリフェ空港の滑走路で正面衝突し、583人が死亡、61人の負傷生存者という有史以来最大の犠牲者を出した航空事故。となった。虚偽の爆弾テロの予告で発生したスケジュールの遅れを取り戻すために起きたといわれ、滑走路内で両機は衝突し大爆発。少し離陸したKLM機の乗員乗客は全員が死亡、生存者はすべてパンナム機の搭乗者だった。事故の責任はパンナム機からの離陸に滑走路を空けるように言われたが全速力で突っ込んだKLM機にあると言われ、原因は無線障害やパイロットの判断にあるとされている。

1999年
【自殺】沖田浩之【俳優・歌手】

人気テレビドラマ『3年B組金八先生』の第2シリーズで松浦悟役やデビュー曲『E気持』(オリコンチャート最高8位)で人気を博したアイドル歌手。その後青山学院大学経済学部経済学科を経て俳優活動に専念したが、デビュー時の人気には及ぶべくもないままに1999年3月27日に自宅で首吊り自殺。没年36歳。父、祖父も自殺しており、沖田の死後兄も自殺をしたという。

2002年
【死去】ビリー・ワイルダー(Billy Wilder)【映画監督・脚本家/オーストリア・アメリカ合衆国】

ドイツで脚本家として活躍後、ナチスドイツのユダヤ人迫害を逃れフランスに亡命。監督デビュー後アメリカに亡命しハリウッドデビュー。その後は代表作『サンセット大通り』『麗しのサブリナ』『 七年目の浮気』『昼下りの情事』『お熱いのがお好き』等の大ヒット映画を連発。特に1960年の『アパートの鍵貸します』ではアカデミー賞の作品賞、監督賞、脚本賞を同時受賞し、史上唯一の3つのオスカーを同時受賞した人物となった。肺炎で95歳没。

2007年
【死去】植木等【コメディアン・俳優】

いくつかのバンドを経て「クレージーキャッツ」に移籍しボーカル・ギターを担当。コメディ路線でジャズ喫茶で爆発的人気を獲得し、『おとなの漫画』『シャボン玉ホリデー』というテレビ黎明期のバラエティ番組で国民的人気を博した。植木自身も「お呼びでない? お呼びでない(笑)。お呼びでないね。こりゃまた失礼いたしました!」という定番ギャグで大人気コメディアンに。クレージーキャッツ主演の映画も数多く制作され、「無責任シリーズ」「日本一シリーズ」と呼ばれる一連の作品の主演で"無責任男"としてのキャラクターを確立。1961年の大ヒット曲『スーダラ節』とともに植木の脳天気な芸風を印象づけた。しかし実際は真宗大谷派常念寺の住職であった父を持ち物静かな人となりで知られ、無責任とはほど遠い人物であった。植木自身も僧侶としての修行を積み父の不在時には檀家を回った経験もあるため、1993年にハナ肇が亡くなった際には読経を上げたという。1980年後半からは俳優に転身、黒澤明監督作品『乱』や石井聰亙監督作品『逆噴射家族』等で印象的な演技を披露した。晩年は肺気腫と前立腺ガンを患いつつ俳優業を続け、2007年3月27日に呼吸不全で死去。没年80歳。生前の植木の要望で密葬として行なわれた葬儀には、クレージーキャッツのメンバーであった谷啓、犬塚弘、桜井センリ、そして植木の付き人であった小松政夫等が参列した。

2013年
【死去】坂口良子【女優】

1971年にミス・セブンティーンコンテストで優勝し、翌年のドラマ『アイちゃんが行く!』でアイドル女優として主演デビュー。ドラマ『前略おふくろ様』『池中玄太80キロ』映画『犬神家の一族』等のヒット作品への出演で国民的人気を誇った。晩年は腸閉塞、肺炎、インフルエンザ等を患い静養していたが、2013年3月27日午前3時40分、横行結腸ガンと肺炎で死亡した。没年57歳。その死に際し西田敏行は「池中玄太は号泣しています」とコメントを発表。タレントとしてデビューし、生前はバラエティ番組などで共演もした娘の坂口杏里はその死後AV女優となって活動中。