『ラ・スール・スーリールの心中を報じる米『ニューヨークポスト』紙』

1985年3月29日は、1963年に発売したレコードに収録した『ドミニク』が全米ビルボードチャートでナンバー1を獲得し全世界的な話題になった"Singing Nun(歌う修道女)"ことラ・スール・スーリールが親友アニ・ペシェルとともに心中を遂げた日である。
1959年、ベルギーのドミニコ会フィシェルモン修道院に入り修道女としての活動を開始したジャンヌ=ポール・マリ・デッケルス。そこで習得したギターで思わぬ才能を発揮したために1963年にラ・スール・スーリールとしてレコードデビュー。そこからは驚異的なシンデレラストーリーであり、『ドミニク』のナンバー1ヒットを受けて当時の世界的スターの登竜門、米『エド・サリヴァン・ショー』に出演するなど、社会的現象ともいえる人気スターとなった。
しかし元々芸能志向ではなかったこともあり、1967年に歌手活動をを停止、宗教的な活動に力を入れたが、ほどなくして過激な思想に没入し、カトリック教徒でありながら産児制限を主張する等の異端、革新的な人物であった。その流れで活動停止直後でありながら『黄金のピルのために神の栄光あれ』なる当時としては早気に失したピル賛歌歌を出すほどであった(セールスは大失敗)。その後、10年来の私生活のパートナーでもあったアニー・ペシェルと開いた自閉症センターもスーリール自身の税金問題により閉鎖に追い込まれ、多額の負債を抱えた彼女は1982年に音楽ビジネスへの復帰を画策した。しかし既に世界的スターダムから20年が経った歌う修道女には、世間の視線は集まらず、困窮の中で心中を決意。アニーとスーリールはバルツビール(睡眠薬)とアルコールを過剰摂取するという、カトリック修道女らしからぬ手法でこの世から去っていったのだった。修道女からポップスターに、そして過激な宗教家からレズビアンとしての心中と、ラ・スール・スーリールのどこまでもオリジナルなその人生は、いまだに他の類を見ない奇跡であり続けている。

(画像はウェブサイト『SO MANY RECORDS, SO LITTLE TIME』より)

3月29日の不幸

1891年
【夭逝】ジョルジュ・スーラ(Georges Seurat)【画家/フランス】

19世紀に活躍した新印象派のフランス人画家。印象派の視覚混合をさらに追求し、点描画(新印象派)という手法を確立させた人物としても知られている。エコール・デ・ボザール(国立美術学校)卒業後の1883年に初の大作『アニエールの水浴』を制作。サロンでは落選となったが、翌年からスーラの代表作となる『グランド・ジャット島の日曜日の午後』に着手。点描で描かれたこの作品は、1886年の第8回印象派展に出展され話題となった。しかし、5年後の1891年に31歳の若さで死亡。死因は定かではないが、ジフテリアと推測されている。12年の活動期間中に描いた作品数は代表作6点のほか、油彩約60点、油彩下絵が約170点、素描約230点とされている。

1982年
【山岳事故】【天災】「エルチチョン大噴火」

メキシコの南部チアパス州北西部にある活火山エルチチョンが噴火した事件。噴火は1982年3月29日から4月4日まで続き、火口からおよそ8キロに渡る範囲に火砕流が広がった。この噴火による犠牲者は2,000人以上、死者は150人以上といわれ、被害総額は日本円にして約3億2,000万円、約24,000平方キロの土地が被害に。

1985年
【心中】【自殺】ラ・スール・スーリール(La Sœur Sourire)【修道女・宗教家・歌手/ベルギー】

1963年に発売したレコードに収録した『ドミニク』が全米ビルボードチャートでナンバー1を獲得し全世界的な話題になった"Singing Nun(歌う修道女)"として有名な人物。1959年、ベルギーのドミニコ会フィシェルモン修道院に入り修道女としての活動を開始したジャンヌ=ポール・マリ・デッケルスは、そこで習得したギターで思わぬ才能を発揮し1963年に"ラ・スール・スーリール"としてレコードデビュー。そこからは驚異的なシンデレラストーリーであり、『ドミニク』のナンバー1ヒットを受けて当時の世界的スターの登竜門、米『エド・サリヴァン・ショー』に出演するなど、社会的現象ともいえる人気スターとなった。1967年に歌手活動をを停止、宗教的な活動に力を入れたが、ほどなくして過激な思想に没入し、カトリック教徒でありながら産児制限を主張する等の異端、革新的な持論を展開。その後、10年来の私生活のパートナーでもあったアニー・ペシェルと開いた自閉症センターもスーリール自身の税金問題により閉鎖に追い込まれ、多額の負債を抱えた彼女は1982年に音楽ビジネスへの復帰を画策。だが既に世界的スターダムから20年が経ったために思うような復帰はできず、困窮の中の1985年3月29日にバルツビール(睡眠薬)とアルコールを過剰摂取しアニーと心中した。没年51歳。

2003年
【SARS】カルロ・ウルバニ(Carlo Urbani)【医師/イタリア】

2003年3月にSARSに感染していた患者を診るためベトナムのハノイへ赴き、当時は「新型肺炎」「非定型肺炎」などと呼ばれていたSARSが、新型のコロナウイルスが原因であることを特定した人物。また新病であり感染経路は飛沫感染であると判断、病棟を隔離することでSARSの早期収束することに成功した。この時ウルバニ自身もSARSに感染。3月11日に発症後、29日に死去。没年46歳。国境なき医師団イタリア支部会長なども歴任した人物としても知られている。

2007年
【死去】トシオ・ナカヤマ(Tosiwo Nakayama)【政治家/ミクロネシア連邦】

ミクロネシア連邦の初代大統領となった日系人政治家。1965年に上院議員に当選、1979年のミクロネシア独立を期に大統領に選出された。当時、ミクロネシアはアメリカの国連信託統治領であり、任期は1979年から1987年にかけての8年間。2007年3月29日にハワイ・ホノルルの病院で死亡。没年75歳。

2010年
【自殺】チェ・ジニョン(崔眞永/Choi Jin-young)【俳優・歌手/大韓民国】

国民的女優チェ・ジンシルを姉に持ち、1988年に18歳で映画『幸福は成績順じゃない』の出演で俳優としてデビュー。翌年アルバム『SKY』で歌手デビュー。順調にキャリアを重ねていたが、2008年10月に姉が衝撃的な首吊り自殺を遂げるとショック状態に陥り活動停止に。ボランティア活動などを経て翌年から活動再開するも、2010年3月29日に自宅で自殺体として発見された。没年39歳。2最年上の姉が自殺した、同じ年齢での自殺であった。

2015年
【夭逝】大城公人【俳優】

2011年に結成されたパフォーマンス集団「HIROZ SEVEN+」(ヒローズ セブンプラス)のメンバーの俳優。舞台やMCなどで活躍する中、悪性リンパ種を発症。2014年12月から闘病生活を続けていたが、2015年3月29日に死亡。没年29歳。