『ボストン・レッドソックス時代のカール・メイズ(1915年撮影)』

1971年4月4日は、MLBボストン・レッドソックスやニューヨーク・ヤンキースといった人気球団を渡り歩いた投手のカール・メイズが死亡した日である。
メイズはその15年の現役生活において208勝、31セーブを挙げるという紛れもない大投手であるが、彼のことをその成績で記憶する人物はいないだろう。
彼が語られるのはいつも、ヤンキース所属時の1920年8月16日に行なわれたクリーブランド・インディアンスとの試合の、レイ・チャップマンに投じた1ストライク1ボールから彼が投じた3球目についてである。そしてそれは、MLB史上において唯一である試合中のデッドボールによって選手が死亡した事故の“加害者”としてのストーリーである。
メイズの投じたストレートがチャップマンの左のこめかみに直撃し、その場で倒れたチャップマンの右耳からの流血を確認した審判は医師を呼ぶと、チャップマンは意識こそあるものの言葉が出てこない状況であったという。
そのままスタッフに支えられクラブハウスに引き上げたチャップマンは近くの病院に緊急搬送されたが、デッドボールを受けてから12時間後の17日早朝4時40分に死亡した。
球場を去る時に残したメイズへの言葉は、「大丈夫だとメイズに伝えてくれ」。その後もメイズはマウンドに残り、結果的には4-3で負ける試合で、9回で交代するまで投げ続けた。
このメイズの起こした“死球劇”には複線があり、デビュー直後の1915年に当時のトッププレイヤー、タイ・カッブがその危険な投球にバットを投げつけ、その直後にメイズが死球をぶつけてみせるという因縁ととその後の舌戦で、メイズの“ヘッド・ハンター(わざと死球を当てる投手)”としてのキャラクターができあがっていたことが問題視された。
この因縁以降もメイズはバッターのインハイを突く危険な投球スタイルで四死球を量産し続け、この悲劇も、その“いつも通りの”投球スタイルが原因であった。
さらに周囲を刺激したのは、メイズはこの投球が故意のものではないと警察に届け保身を計り、19日に行なわれた同一カードの出場選手で、唯一喪章を付けなかったことであった。その後もメイズはその事故について一切謝罪をしないばかりか、審判やチャップマンを批判する発言を繰り返し、79歳で死ぬ直前にもチャップマンを批判してこの世を去っている。
彼のその姿勢を“無責任なラフプレイへの自己弁護”ととるか、“極限を生き抜いたプロ意識の表われ”ととるかは意見が分かれるところであるが、ほぼすべての野球ファンは前者の意見を持つであろう。
しかし引退後40年以上にもわたり球史以来の悪役を続け、亡くなる寸前にまで死者を貶めるような発言をしていたメイズの人生こそ、自ら起こした悲劇にとらわれ続けたもの、“悲劇そのもの”としか形容することができないだろう。
大谷翔平が初ホームランで輝かしい一歩を示したその日にも《メジャーリーグの悲劇》は積み上げられているのである。

(写真はWikipedia Carl Mayzeより使用。Public Domain)

4月4日の不幸

1292年
【死去】ニコラウス4世(Nicholaus IV)【ローマ】

フランシスコ会総長、司祭枢機卿、司教枢機卿を経て、ホノリウス4世の没後10カ月後の1288年2月22日に第191代ローマ教皇に選出された人物。本名はGirolamo Masci。1292年4月4日に64歳没。

1617年
【死去】ジョン・ネイピア(John Napier)【数学者/イギリス】

対数の発見者、小数点の発案者。没年67歳。

1814年
【政治事件】「フランス皇帝ナポレオンの退位」

マルモン元帥らのクーデターにより退位させられる。

1841年
【死去】ウィリアム・H・ハリスン(William Henry Harrison)【政治家/アメリカ合衆国】68歳で大統領就任し、在任31日で死亡。就任演説の際に引いた風邪が原因で肺炎になったと言われる。

第9代アメリカ合衆国大統領。68歳で大統領就任し、在任31日で死亡、没年68歳。就任演説の際に引いた風邪が原因で肺炎になったと言われる。

1919年
【死去】ウィリアム・クルックス(William Crookes)【化学者・物理学者/イギリス】タリウムを発見。霊媒の研究家としても知られ、「心霊現象研究協会(SPR/Society for Psychical Research)の会長も務めた。86歳没。

タリウムを発見した人物。霊媒の研究家としても知られ、「心霊現象研究協会(SPR/Society for Psychical Research)の会長も務めた。没年86歳。

1929年
【死去】カール・ベンツ(Karl Friedrich Benz)【自動車技術者/ドイツ】

ガソリン自動車を開発。ダイムラー社の創業者のひとりで、後のダイムラーベンツ社、メルセデスベンツ社の礎を築く。気管支炎のため84歳で死去。

1931年
【死去】アンドレ・ミシュラン (André Michelin)【実業家/フランス】世界ミシュラン社創業者。78歳没。

世界ミシュラン社創業者。没年78歳。

1932年
【死去】岡田信一郎【建築家】

代表作に歌舞伎座、鳩山邸、明治生命館、びわ湖ホテルなど。没年48歳。

1932年
【死去】ヴィルヘルム・オストヴァルト(Friedrich Wilhelm Ostwald)【化学者/ドイツ】

1909年ノーベル化学賞を受賞。物理化学の分野の確率に貢献した。没年78歳。

1939年
【怪死】ガージー(Ġāzī al-Awwal bin Fayṣal)【政治家/イラク】

在任中に不可解な交通事故死。親英派首相ヌーリー・アッ=サイードの陰謀による暗殺との疑いがある。没年27歳。

1944年
【死去】アルマ・ロゼ(Alma Rosé)【ヴァイオリニスト/オーストリア】

アウシュビッツ強制収容所の女性オーケストラ(囚人オーケストラ)のリーダーを務めた。37歳で食中毒死。

1962年
【死刑】ジェームズ・ハンラッティ(James Hanratty)【殺人者/イギリス】

1961年に起きたカップルの殺人、強姦、窃盗事件(銃弾5発を打ち込まれた被害女性は奇跡的に生存)である「ハンラッティ事件」の被告。絞首刑。没年25歳。

1968年
【暗殺】マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(Martin Luther King, Jr.)【牧師・黒人運動指導者/アメリカ合衆国】

1950~1960年代にかけて、アメリカの黒人公民権運動に絶大な影響を及ぼした指導者。1963年8月28日にリンカーンの奴隷解放宣言の100周年を記念して行なわれた「I have a dream」で始まる演説は、その内容の素晴らしさで世界中の人々の心に深く刻まれることとなった。同時代に黒人公民権運動で活動したマルコムXとは異なり、徹底した非暴力主義を貫き、1964年にはノーベル平和賞を受賞。1968年に訪れたメンフィスの宿泊先、ロレイン・モーテルのバルコニーで、白人の強盗・詐欺常習犯であるジェイムズ・アール・レイに射殺された。没年39歳。

1971年
【死去】カール・メイズ(Carl William Mays)【プロ野球選手/アメリカ合衆国】

MLBボストン・レッドソックスやニューヨーク・ヤンキースといった人気球団を渡り歩き、15年の現役生活において208勝、31セーブを挙げるという紛れもない大投手であるが、1920年に対戦相手のクリーブランド・インディアンス所属のレイ・チャップマンにデッドボールを与えたことが、メジャー・リーグ史上2番目に起きた試合中の事故死、また、唯一である試合中のデッドボールによる事故死に繋がった。事故以前から"ヘッドハンター"と呼ばれるダーティなプレイスタイルで知られ、この悲劇もいつも通りの投球スタイルが原因であった。さらに周囲を刺激したのは、メイズはこの投球が故意のものではないと警察に届け保身を計り、19日に行なわれた同一カードの出場選手で、唯一喪章を付けなかったことであった。その後もメイズはその事故について一切謝罪をしないばかりか、審判やチャップマンを批判する発言を繰り返し、79歳で死ぬ直前にもチャップマンを批判してこの世を去っている。

1972年
【政治事件】「西山事件」

日米沖縄返還交渉の機密漏洩容疑で、毎日新聞社の西山太吉記者らが逮捕された。

1975年
【戦争】【航空事故】「オペレーションベビーリフト」

ベトナム戦争の際にアメリカ軍が南ベトナムの孤児をアメリカ本土などに避難させる作戦として開始した作戦だったが、第1便の飛行機が墜落。153人もの犠牲者を出した。

1978年
【芸能事件】「キャンディーズ解散」

当時人気絶頂だった3人組の女性アイドルグループ、キャンディーズが後楽園に55,000人を動員し、4時間にわたるコンサートを開催。

1979年
【死刑】ズルフィカール・アリー・ブットー(Zulfikar Ali Bhutto)【政治家/パキスタン】

パキスタン人民党創立者で、1971年〜1973年にパキスタンの大統領を、1973年〜1977年まで首相を歴任。1977年に軍部によるクーデターで失脚し、1979年に絞首刑にされた。没年51歳。

1997年
【政治汚職事件】「友部達夫参議院議員辞職勧告決議」

参議院議員・友部達夫の運営していたオレンジ共済組合による詐欺事件「オレンジ共済組合事件」の結果、議員辞職勧告決議が可決された。

1997年
【死去】杉村春子【女優】

劇団「文学座」で活躍した日本演劇界における最重要の女優のひとりであり、映画では『東京物語』『秋刀魚の味』『赤ひげ』を始め多くの名作に出演。文化功労者、東京都の名誉都民。頭部膵臓ガンのため91歳没。

1998年
【スポーツ】【引退】「プロレスラー・アントニオ猪木引退」

ドン・フライ戦にグラウンド・コブラツイストで勝利。

2006年
【急死】原田慎太郎【教育者・政治家】

小学校経論、宗像市教育長を経て2000年の選挙で宗像市長となった人物。在任中の2006年に中国の南京を視察のため訪れている際に死亡。没年65歳。

2008年
【死亡】成瀬正俊【俳人】

高浜虚子に師事した俳人であり、国宝・犬山城の元城主。没年77歳。

2013年
【死去】ヤマグチノボル【ライトノベル作家・ゲームシナリオライター】

代表作『ゼロの使い魔』シリーズ執筆中に2年の闘病の末死亡。没年41歳。