『エディ・コクランの交通事故死を伝える1960年4月18日の「デイリーミラー」紙』

1960年4月17日は、1950年代ロック創世記において絶大な人気を誇ったロックンローラー、エディ・コクランが前日の交通事故により死亡した日である。
『Twenty Flight Rock』『Summer Time Blues』『C'mon Everybody』等近年も多くのミュージシャンがカバーする不朽のヒット曲で知られ、ロック黎明期のビッグスターであったが、1960年のイギリスツアー中に、同じくロックスターのジーン・ヴィンセント、フィアンセのシャロン・シーリー(ソングライター)らと乗ったタクシーがガス灯に激突。隣に座っていたシャロンをかばって道路にまで飛ばされたエディーだけが死亡。この時、わずか21歳。運転手を含む残りの3人は、怪我をしたものの無事だった。
なお、前年の2月3日に、エディーの友人であるで3人のロックスター(バディー・ホリー、リッチー・バレンス、ビッグ・ポッパー)が飛行機事故で死んだ事件、通称“The Day the Music Died(音楽が死んだ日)”と呼ばれる悲劇への追悼盤『スリースターズ』の制作にも参加したエディであったが、その発売を待つことなく自らも悲劇の主人公となった。

(写真は英『デイリーミラー』紙1960年4月18日版)

4月17日の不幸

1790年
【死去】ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin)【政治家/アメリカ合衆国】

アメリカ大陸会議初代郵政長官等要職を務め、アメリカ独立宣言の起草委員にもなったアメリカ建国の父のひとり。100ドル紙幣に描かれている。物理学者としても雷が電気であることを発見するなど、多くの業績を残した。胸膜炎で84歳没。

1948年
【死去】鈴木貫太郎【軍人・政治家】

第二次世界大戦を終戦に導いたとされる人物。海軍時代は連合艦隊司令長官、海軍軍令部長といった官職を歴任。1936年に起こった『二・二六事件』で襲撃されるも一命を取りとめ、その後、第42代内閣総理大臣、第20・22代枢密院議長などに就任。第二次世界大戦終結後は役職を辞職し、故郷で余生を過ごした。1948年4月17日、肝臓ガンにより死去。没年82歳

1960年
【事故死】エディ・コクラン(Eddie Cochran)【ミュージシャン/アメリカ合衆国】

『Summer Time Blues』『C'mon Everybody』等のヒット曲で知られるロック黎明期のビッグスター。イギリスツアー中に同じくロックスターのジーン・ヴィンセント、フィアンセのシャロン・シーリーらと乗ったタクシーがガス灯に激突。シャロンをかばって道路に飛ばされたエディーだけが死亡。没年21歳。

1993年
【暗殺】トゥルグト・オザル(Halil Turgut Özal)【政治家/トルコ】

1983年から1993年に暗殺されるまでトルコ共和国の首相・大統領を勤めた。1980年に起こった軍事クーデター後、自らが設立した祖国党を率い、首相の座へ。政権はおよそ10年間に渡り、トルコ経済の自由化、政教分離原則の緩和などを行なった。1993年4月17日、在任中に心臓発作を起こし死去。死因については暗殺説が噂されていたが、2012年の解剖結果により遺体から毒物が見つかったため、毒殺であることが判明した。

1998年
【死去】リンダ・マッカートニー(Linda Louise McCartney)【写真家・ミュージシャン/アメリカ合衆国】

写真家リンダ・イーストマンとして数多くのロック・スターの撮影を手がけ、ビートルズのポール・マッカートニーと結婚。その後ポールとウィングスを結成してミュージシャン活動を開始。次女は世界的ファッション・デザイナーのステラ・マッカートニー。乳ガンで56歳没。火葬にされ、その灰はポールの所有する農場と別荘に撒かれた。彼女の死の約2年後、ポールが新たな彼女ヘザー・ミルズとの交際を認めた日にリンダの前夫が拳銃自殺しているが、その因果関係は定かではない。

2000年
【死去】大塚正士【実業家】

大塚グループ元総帥。徳島県鳴門市出身。父親が興した大塚製薬工業部時代から勤め、大塚製薬工場として法人化後は社長・会長に就任した。1970年にアース製薬を買収し『ごきぶりホイホイ』を発売。そのほかにも『オロナミンC』『ボンカレー』といったヒット商品も手掛けた。1974年に藍綬褒章、1986年には勲三等旭日中綬章を受賞。1998年には、創立記念事業として徳島県鳴門に世界唯一である陶板名画美術館「大塚国際美術館」を建設、初代館長に就任。2000年4月17日、老衰により死去。没年83歳。死後、鳴門市名誉市民となっている。

2003年
【夭折】今藤幸治【サッカー選手】

Jリーグ・ガンバ大阪の選手として活躍、日本代表にも選出されたディフェンダー、ミッドフィルダー。1996年12月29日の天皇杯サンフレッチェ広島戦で相手選手と交錯した際に痙攣を起こし退場。検査の結果脳腫瘍であることが判明した。4度の手術とリハビリの末に2003年に死去。没年30歳。

2008年
【夭折】横山友美佳【バレーボール選手/中国・日本】

中国出身で、10歳で山梨県甲府市に移住。1学年年長の木村沙織と共に下北沢成徳高校で活躍。2004年、高校2年の時には全日本代表メンバーに選出されるなど将来を嘱望されたが、翌年3月にガンが発症。その後治療に努めたがガンが再発、21歳の時に横紋筋肉腫で死去。

2013年
【事故死】【夭折】陳僖儀(シータ・チャン/Sita Chan)【歌手/香港】

香港城市大学卒業後の2011年にデビュー。2012年に代表曲として知られる『記念悲』『忘川』等が収録されたファーストアルバム『Crazy Love』をリリース。将来を嘱望される若手歌手として人気を博したが、2013年のレコーディング後に自動車で帰宅する際に路肩に衝突事故を起こし、搬送先の病院で死亡した。没年26歳