『京郷新聞1982年4月27日に掲載された禹範坤の写真』

1982年4月26日の夜は、警察官の禹範坤(ウ・ポムゴン)が、たったひとりで近隣住民57人を殺害したという韓国史上最悪の、そして世界犯罪史にも残る最悪の部類に入る大量殺人が行なわれた日である。発生した場所から「慶尚南道宜寧郡事件」とも呼ばれるこの一夜の惨劇は、同居していた恋人女性とのケンカで酒を煽った禹が、宜寧警察署宮柳支署の武器庫から銃器を持ち出し、その勢いで拳銃を乱射。たったひとりで近隣の住民57人を殺したという(最大で61人という説も)。翌日、最期は警官に囲まれ人質3人と共に手榴弾自殺をした。この事件の恐ろしいところは、禹の胸に止まった蚊を女性が叩いたことが原因というほんの痴話喧嘩のレベルの些細な争いが原因であり、彼を大量殺人へと突き動かす動機が見受けられないところである。怨念や使命感もなく、ただ単純に数を重ねただけというような、いわば、からっぽのような大量殺人事件のようにすら思える。この悲劇が泥酔した男の、ただ純粋な暴力への衝動が動機だとしたら、57人の魂はどこへ向かえばよいのであろうか。

(写真はWikipedia 우범곤より)

4月26日の不幸

1865年
【死去】ジョン・ウィルクス・ブース(John Wilkes Booth)【俳優】米大統領リンカーンの暗殺犯。4月14日にフォード劇場で『われらのアメリカのいとこ』を観劇中のリンカーンへ至近距離から弾丸を撃ち込んだが、逃亡の果てに銃弾で首を負傷。没年26歳。
1937年
【戦争】「スペイン内戦」左派の人民戦線政府と右派の反乱軍によるヨーロッパ諸国を巻き込んでの内戦。1937年4月26日、反乱軍を支持するドイツ空軍による遠征隊「コンドル軍団」がスペインのゲルニカを無差別空爆、民間人2,000人以上が死亡するという大惨劇が起きた。ピカソの代表作『ゲルニカ』のモデルとなった悲劇。
1969年
【死去】植芝盛平【武道家】大東流、神道等の修業の後に合気道を創始。「合気会」の開設者。肝臓ガンで87歳没。
1982年
【無差別殺人】「慶尚南道宜寧郡事件」

1982年4月26日の夜、恋人の女性とのケンカで酒を煽りその足で武器を持ち出し、拳銃を乱射してたったひとりで近隣の住民57人を殺したという韓国の警察官、禹範坤による無差別大量射殺事件。韓国史上最悪、世界でも最悪の部類に入る無差別殺人事件。最期は警官に囲まれ、人質3人と共に手榴弾自殺をした。

1986年
【原発事故】「チェルノブイリ原子力発電所事故」

ソ連(現ウクライナ共和国)のチェルノブイリ原子力発電所で起きた国際原子力事象評価尺度 (INES) において最悪のレベル7にランクされる世界最悪の大規模事故2つのうちのひとつ(もうひとつは2011年の福島原発事故)。事故時の死亡者31人、その後の放射線被害も含めれば4,000人以上の犠牲者を出したといわれる。

1994年
【航空事故】「中華航空140便墜落事故」が起こる。台北発名古屋行きのエアバスA300が名古屋空港脇の滑走路で着陸に失敗、日本人乗客154人を含む264人が死亡。日本の航空事故史上2番目の犠牲者を出した大事故。空港で起きたものの中では最悪のものとなる。原因は操縦士のミスに加え、航空機の設計ミスとがあったといわれている。
1994年
【死去】大山倍達【空手家】朝鮮に生まれたが日本に渡り、松濤館流と剛柔流で空手を学び、1947年戦後初の空手道選手権で優勝。その直後に渡米し空手のデモンストレーションをして回る。帰国後、牛を徒手で殺し見せたことから"牛殺し"の異名をとった。1964年に「国際空手道連盟極真会館」を立ち上げ、フルコンタクト(寸止めなし)の空手を全世界に普及させる母体を築いた。肺ガンにより70歳没。
2002年
【無差別殺人】「エアフルト事件」ドイツ・テューリンゲン州エアフルトで、高校を退学になった19歳のロベルト少年(Robert Steinhäuser)が教師を恨み高校を襲撃。16人を射殺した後に部屋に閉じこもり自殺。合計17人の死亡者を出すという、戦後ドイツ始まって以来の大規模な殺人事件だった。
2016年
【急死】前田健【タレント・コメディアン】

松浦亜弥のものまねで人気を博したものまねゲイ・コメディアン。"まえけん"の愛称でテレビバラエティなどで活躍したが、2016年4月24日に栃木県内で『金曜★ロンドンハーツ』の収録に参加後、東京・新宿で食事をして店を出た直後に新宿3丁目の路上で嘔吐し昏倒。心停止のまま病院に運ばれ、翌25日に一度は心拍が戻ったものの26日深夜に虚血性心不全で死亡した。没年43歳。生前から不摂生な食生活を危ぶまれていたが、倒れる直前の午後6時45分に自身のTwitterで最後の食事(大盛りのトマトパスタ)が投降されている。

2016年
【死去】戸川昌子【歌手・小説家】

シャンソン歌手として銀巴里などで活躍する傍ら、1962年に書き上げたミステリー小説『大いなる幻影』が第8回江戸川乱歩賞を受賞。翌年発表した『猟人日記』が直木賞候補のベストセラーになるなど、一躍人気小説家となった。その後は、女優やタレントとしてテレビ・映画などの各種メディアで活躍する一方、渋谷のシャンソン・サロン「青い部屋」を開店。著名人が訪れる渋谷の名店のオーナーとしても精力的に活動した(2010年に閉店)。最晩年まで歌手として活動を続けたが、自宅がゴミ屋敷化している様子を公開するなど胃ガンのため85歳没。