『沈没する前日のサルタナ号』

1865年4月27日は、アメリカの蒸気客船「サルタナ」の全乗客2,427人中1,700人以上が死亡するというアメリカ有史以来最悪の沈没事故が起きた日である。
ボイラーが爆発し、火災が発生した末の大型客船の大爆発という悲劇の原因は、船長の経済状況の悪化でメンテナンスを怠っていたことにあるとされる。
この未曾有の大事故にもかかわらず、サルタナ号のニュースはすぐさま忘れ去られた。その理由は、同年4月15日に発生した米第16代大統領のリンカーン暗殺という世紀のニュースの衝撃から、アメリカ全体が抜け出していなかったためといわれる。
そんな忘却のされ方こそ、サルタナ号沈没に於ける一番の《悲劇》なのかもしれない。

(写真はWikipedia Sultana より。Public Domain)

4月27日の不幸

1521年
【戦死】フェルディナンド・マゼラン(Ferdinand Magellan)【探検家・航海者/ポルトガル】

1522年に有史以来始めて世界一周航海を成し遂げた航海者。マゼラン海峡やマゼラン・ペンギンの名の元になっていることでも有名。セブ島周辺の小島であるマクタン島上陸時に島民から攻撃を受け死亡。没年41歳。

1599年
【死去】前田利家【武将】

織田信長、豊臣秀吉の重臣として仕え、加賀百万石の基礎を築いた名将。槍の名手としても知られ"槍の又左"とも呼ばれた。豊臣秀吉が任じた五大老の一人。没年62歳。

1865年
【海上事故】「サルタナ沈没事故」

アメリカの蒸気客船「サルタナ」が航行中にボイラーが爆発し火災が発生。そのまま沈没した。全乗客2,427人中1,700人以上が死亡。アメリカ有史以来最悪の沈没事故となった。

1919年
【死去】前島密【政治家】

駅逓頭として日本における近代郵便制度の基礎を築いた"郵便制度の父"。没年84歳。

1948年
【脱線事故】「庭坂事件」

1948年4月27日、福島県庭坂村の国鉄奥羽本線で起きた脱線事故。国鉄奥羽本線の赤岩・庭坂を走行中の列車が馬洞門トンネルを抜けた直後、機関車と郵便車が脱線し、土堤から転落。転落後に岩石に激突したため、荷物車と客車1台がさらに脱線。この事故により機関士・機関助士・技師の3名が死亡した。

1965年
【死去】エドワード・R・マロー(Egbert Roscoe Murrow)【ジャーナリスト・アンカーマン/アメリカ合衆国】

第二次世界大戦から戦後にかけてアメリカの報道分野で活躍した人物。1935年、ジャーナリストを目指してラジオ局CBSに入社。入社後はラジオのジャーナリストとして大戦前後に活躍、戦線のラジオレポートは、欧米内で高い評価を受けることとなった。また、「This...is London」といった独特の言い回しで人気を博した。戦後は『See It Now』、『Person to Person』といった番組でメインキャスターを勤め、アメリカのテレビ黎明期を牽引。1954年には上院議員のジョセフ・マッカーシーが行なった「マッカーシズム」と呼ばれる反共産主義運動を自身の番組で批判、終焉に至る役割を担った。1961年にはジョン・F・ケネディ大統領から合衆国情報庁長官に就任し、CBSを退社。ケネディ暗殺後、同職を退任。1965年、ヘビースモーカーであったマローは肺ガンのため死去。没年57歳。

1972年
【死去】クワメ・エンクルマ(Kwame Nkrumah)【政治家/ガーナ共和国】

アフリカの独立運動の父といわれ、ガーナ初代大統領となった人物。ガーナのイギリスからの独立運動を率い、1957年にガーナの初代大統領に就任。ガーナの発展に多大な貢献を果たしたものの1966年のクーデターによりギニアに亡命。その後療養先のルーマニア・ブカレストで前立腺ガンのため死去。没年62歳。

1977年
【死去】 スコット・ブラッドリー(Scott Bradley)【作曲家/アメリカ】

アメリカの作曲家。主に映画会社であるメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)において、アニメ映画の音楽で活躍。代表作には『トムとジェリー』シリーズ冒頭の『Tom and Jerry Theme』などがある。没年85歳。

1980年
【死去】アルフレッド・ヒッチコック(Sir Alfred Joseph Hitchcock)【映画監督/イギリス】

『レベッカ』『鳥』『サイコ』など、数多くのサスペンス映画の作り手として知られる世界的映画監督。自作にカメオ出演をすることでも有名。腎不全により死去。没年80歳。

1989年
【死去】松下幸之助【実業家】

松下電器産業をはじめとした松下グループ、現パナソニックの創業者。電球のソケットを独自に考案する発明家でもあった。PHP研究所、松下政経塾を立ち上げるなど、本業以外にも野心的な人生を送った"経営の神様"。1989年4月27日、気管支炎により逝去。没年94歳。

2003年
【死去】アニマル・レスリー(Bradley Jay "Animal" Lesley)【プロ野球選手/アメリカ合衆国】

メジャーリーグ時代の成績は奮わなかったが、日本プロ野球の阪急ブレーブスに移籍し、救援投手として活躍。その期間は2年と短かったものの派手なガッツポーズと奇異な登録名で鮮烈な印象を残した。現役引退後は「亜仁丸レスリー」の名でテレビタレントとして活動した。腎不全により死去、没年54歳。

2005年
【死去】大社義規【実業家】

日本ハム創業者・日本ハムファイターズ初代オーナー。香川県出身。1942年、日本ハムの前身となる食肉工場を経営。1963年に現在の日本ハム株式会社に改名。1973年に「日拓ホームフライヤーズ」を買収し「日本ハムファイターズ」としてプロ野球に参戦。2005年4月27日、心不全のため死去。没年90歳。

2005年
【死去】福井敏雄【気象解説者】

中央気象台出身で、日本気象協会の天気予報士として長年お茶の間の人気を博した。晩年はその人柄を活かしタレントとしても活動。2005年4月27日、老衰により逝去。没年84歳。

2008年
【自然災害】「サイクロン・ナギナス」

2008年4月27日にベンガル湾中央部で発生したサイクロン。2008年5月3日に消滅するまで、ミャンマーを中心に甚大な被害をもたらした。このサイクロンによる死者・行方不明者は13万以上となった。

2010年
【死去】北林谷栄【女優・声優】

女優、声優として活躍。"老女役は北林"と言われるほど、30代から多くの高年齢層の役をこなし「日本一のおばあちゃん女優」として知られた。女優を目指し、1931年から『創作座』の研修生へ。その後は新協劇団へ入団、1942年からは宇野重吉、信欣三らと移動劇団・瑞穂劇団を結成。1947年、民衆芸術劇場を設立、女優として活躍。1987年、ドラマ撮影中のアメリカで脳動脈瘤破裂で倒れるも、1999年に舞台へ復帰。復帰後は映画『大誘拐/RAINBOW KIDS』で日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞、『阿弥陀堂だより』では最優秀助演女優賞を受賞している。2010年4月27日、世田谷区の病院にて永眠。没年98歳。

2014年
【死去】神戸一郎【歌手・俳優】

昭和に人気を博した歌手のひとり。1957年に『第8回コロムビア全国歌謡コンクール』で優勝、コロムビアの専属歌手となる。同年『十代の恋よさようなら』でデビュー。1985年から『銀座九丁目水の上』などでヒットを連発。また、1985年からNHK紅白歌合戦に出場。以後、4年連続出場へ。芸能界引退後は実業家として活躍。2014年4月27日、前立腺ガンにより死去。没年76歳。

2017年
【死去】佐田の山晋松【力士】

長崎県出身の大相撲第50代横綱。成績は幕内最高優勝6回、生涯戦歴591勝251敗61休71場所。1956年に出羽海部屋に入門。1961年に入幕、前頭13枚目で初の優勝。1965年に50代横綱となった。1968年に引退し出羽海部屋を継ぐ。1992年に日本相撲協会理事長就任。1996年に「境川」を襲名。1998年に理事長を退任してからは年間最優秀力士賞選考委員なども勤めた。2017年4月27日、肺炎により死去。没年79歳。