『ミラノ市のロレート広場で吊されるムッソリーニの死体』1945年4月29日撮影

1945年4月28日は、第二次世界大戦時に国家ファシスト党による一党独裁制を確立したイタリアの独裁者、ベニト・ムッソリーニが処刑された日である。
第二次大戦の戦局が悪化し、権力の座も奪われたためにスペインへの逃亡を試みたがパルチザンに捕まり、4月28日に処刑されたムッソリーニの死体(左から2番目)は、その後生存説が囁かれないよう、翌日に首都ミラノでその死体を衆目に晒された。
その際に逆さ吊りにされている理由は、ムッソリーニが行なった反逆者への首吊りに対するアンチテーゼだったとされる。
現代メキシコのマフィアも、ISILのテロリストたちもその処刑のイメージを使ってメッセージを発信しているが、それは今に始まったことではない。
人間は恐らく太古から、殺人や処刑を用いて、それぞれの明日を築いてきたのである。
途轍もない喜びと残虐なまでの怒りが交錯するこの写真は、そのことをなによりも雄弁に物語っている。

(写真はWikipedia Benito Amilcare Andrea Mussolini より。Public Domain)

4月28日の不幸

1902年
【暗殺】ドミトリー・シピャーギン(Дмитрий Сергеевич Сипягин、Dmitry Sergeyevich Sipyagin)【政治家/帝政ロシア】

ロシア帝国の内務省に勤め、1900年に内務大臣に。そのわずか2年後、マリインスキー宮殿で社会党革命党のメンバー、バルマショフに銃殺される。没年49歳。

1918年
【獄中死】【夭逝】ガブリロ・プリンチプ(Гаврило Принцип、Gavrilo Princip)【民族運動家/共同統治国ボスニア・ヘルツェゴヴィナ】

大セルビア主義に共鳴し、オーストリアからの独立、セルビアへの併合を目指したセルビア系のボスニア人活動家。1914年6月28日にオーストリア、フランツ・フェルディナント大公を暗殺した「サラエヴォ事件」の犯行者。犯行後青酸カリ服毒自殺を図るも、苦痛で吐き出してしまい逮捕。未成年(当時19歳)だったために死刑とはならず懲役20年の罪に。持病の結核の悪化で(結核性脊椎症で右腕を切断する等)獄中で死亡した。没年23歳。

1936年
【死去】フアード1世(Fuad I of Egypt‎)【政治家・王族/エジプト】

初代エジプト王となった人物。父親の亡命先であったヨーロッパで育ち、ジュネーヴなどの陸軍士官学校に学ぶ。1865年に帰国後、自国で参謀将校となりエジプト国民大学を創設。1917年にムハンマド・アリー朝の第9代君主に即位、1922年にエジプト独立により初代国王へ。1936年4月28日、アル・クバ宮殿内で老衰により死去。没年68歳。

1944年
【死去】中里介山【小説家】

明治から昭和初期にかけて活躍した小説家。1906年に都新聞社に入社、『氷の花』などの連載小説を手がけた。1913年、自身の代表作となる長編作『大菩薩峠』(未完)を連載。同作は後の大衆文学に大きな影響を与えることとなった。その後、私塾を開き文壇から離れた生活を送っていたが、1944年4月28日、腸チフスにより入院していた病院で死去。没年59歳。

1945年
【処刑】 ベニート・ムッソリーニ(Benito Amilcare Andrea Mussolini)【政治家/イタリア王国】

ファシズムの創始者として知られる政治家。第二次大戦時にイタリアの指導者としてドイツ、日本と共闘したが、敗色濃厚な1943年に権力の座から転落。亡命を図るもその道中でパルチザンの軍勢に捕獲され銃殺刑に。没年61歳。

1978年
【暗殺】ムハンマド・ダーウード( سردار محمد داود خان、Mohammed Daoud Khan)【政治家/アフガニスタン】

アフガニスタン共和国大統領となった人物。1973年7月にクーデターで王政を廃止。共和制を導入し、自らアフガニスタン共和国大統領を名乗った。その後、1978年に起きたクーデターにより革命派によって殺害された。没年66歳。殺害された遺体は30年後の2008年に発見され、2009年に国葬が行なわれた。

1988年
【航空事故】「アロハ航空243便事故」

ハワイ上空を飛行中のアロハ航空機の屋根が金属疲労によって吹き飛び、強風で吹き飛ばされた客室乗務員が1人死亡。墜落は免れ、無事着陸した。

1992年
【夭逝】ブライアン・ポッカー(Brian Pockar)【フィギュアスケート選手/カナダ】

世界フィギュアスケート選手権3位にも輝いたカナダを代表する世界的男性スケーター。エイズで死亡されたとされる。アメリカのフィギュア・スケーター、スコット・ハミルトンはその自伝でポッカーは同性愛者だったと告白している。没年32歳。

1992年
【死去】フランシス・ベーコン(Francis Bacon)【画家/アイルランド】

20世紀でも最も重要とされる画家の一人。奇怪で激しいその作品群は、現代美術他、様々な芸術に影響を与えた。幼少期から患っていた慢性ぜんそくの悪化で心停止。没年82歳。

1996年
【無差別殺人】【大量殺人】【怪事件】「ポートアーサー事件」

オーストラリア・タスマニア州のポート・アーサーでマーク・ブライアントオープン・カフェで無差別に発砲。その後駐車場や、自動車を運転をしながら35人を虐殺。35回の終身刑を言い渡される。2002年には獄中で自殺を図ったが未遂に終わる。その動機の不明さから、政府の銃規制派が仕組んだ陰謀説だという見方もある。

2001年
【死去】 蔦文也【プロ野球選手・高校野球監督】

「さわやかイレブン」「やまびこ打線」で知られる徳島県の池田高校野球部を40年間指導したアマチュア野球界の名監督。自身も東急フライヤーずに籍を置いたことのある元プロ野球選手だった。肺ガンのため逝去、没年77歳。

2002年
【死去】ルー・テーズ(Lou Thesz)【プロレスラー/アメリカ合衆国】

"鉄人"の異名で創成期のプロレスを牽引した20世紀最強といわれるプロレスラー。日本にも幾度も来日し、アントニオ猪木戦やジャイアント馬場戦等多くの名勝負でファンを唸らせた。その必殺技「バック・ドロップ」は今も世界中で多くのレスラーに使用されているが、そのバックボーンには幼少期から父と培ったアマチュア・レスリングの技術が活かされたものだった。最期は肺炎を患い心臓疾患で死亡。没年86歳。

2002年
【事故死】アレクサンドル・レベジ(Aleksandr Ivanovich Lebed)【軍人・政治家/ロシア】

ロシア安全保障会議書記等を務めた政治家。反エリツィン大統領を掲げ新党「ロシア国民共和党」を立ち上げ、その党首となるが、視察のために乗っていたヘリコプターが墜落。事故死となった。没年52歳。

2006年
【事故死】スティーヴ・ハウ【プロ野球選手/アメリカ合衆国】

ロサンゼルス・ドジャース、ニューヨーク・ヤンキース等で活躍した投手。通算成績は47勝41敗91セーブ。1987年には日本の西武ライオンズのテスト生になったが、コカインの使用歴がたたって不合格となった。引退後の2006年にカリフォルニアで交通事故死。解剖の結果メタンフェタミン(覚醒剤)が検出された。没年48歳。

2015年
【死去】阿修羅・原【プロレスラー・ラグビー選手】

ラグビー日本代表選手という経歴を活かした突進力で国際プロレス、全日本プロレスなどで活躍したプロレスラー。最盛期は盟友・天龍源一郎との"龍原砲"で激しいプロレスを展開し全日本プロレスを席巻したが、失踪癖、浪費癖等の素行不良を理由に同団体を解雇され引退。その後天龍に請われSWS、WARと渡り歩き、引退。その後は故郷の長崎でスポーツ指導者となり、母校の長崎県立諫早農業高校ラグビーのコーチにも就任した。2011年10月28日の『週間プロレス』取材後に肺炎を起こし入院。退院しするもすぐさま心筋梗塞で再入院し、その後は心身ともに不調をきたし療養生活を続け、雲仙市内の病院で肺炎のため死亡。没年68歳。その死後、天龍はノーコメントを貫き、後年「言葉では原への気持ちを伝えられない」との旨を書き記した。