『常ノ花寛市の肖像画』

幕内最高優勝10回、幕内通算221勝58敗8分という成績で第31代横綱として活躍し、元力士としては初めて日本相撲協会の理事長に就任した出羽海。任期中に蔵前国技館の完成にも貢献したが、その国技館内の取締約室で自殺未遂事件を起こす。室内をガスで満たし、腹と首を裂いての割腹自殺を図ったというが、発見が早かったために一命を取り留めた。自殺の理由としては、相撲興行を巡る金銭の問題に自らの一族が関わっていたからとみられている。ちなみに、遺書の中で自らの後継として千代の山を指名していたが、実際には佐田の山が後を継いだ。その際にも千代の山の独立問題が発生した。いずれもたった50年前の話とは思えぬ、血なまぐさいストーリーである。

(Wikipedia 常ノ花寬市より。Public Domain)

5月4日の不幸

1年
準備中
1555年
【オカルト】「ミシェル・ノストラダムス師の予言集刊行」フランスの占星術師ノストラダムスによる『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』の初版がフランス各地で出版(最初はリヨン)。日本では1973年に五島勉の解釈本『ノストラダムスの大予言』が発売後3カ月で100万部を超える大ベストセラーになり、"1999年7の月に恐怖の大王がやってくる"として、国民レベルでの終末思想に影響を与えた。世界的に見ると、懐疑派の風潮が強い著作で、日本ほどの影響力を持った国は稀だった。
1913年
【事故死】【航空事故】武石浩玻【パイロット】アメリカのライト飛行学校、次いでカーチス飛行学校に留学し、1912年に日本の民間人で3番目の卒業を果たし帰国。翌年、大阪〜京都間の飛行で、京都深草練兵場への着陸に失敗し、墜落し即死。没年28歳。民間パイロットとしては初めて日本の空を飛んだ人物であり、最初の墜落事故死者でもある。
1938年
【獄中死】カール・フォン・オシエツキー(Carl von Ossietzky)【ジャーナリスト/ドイツ】ナチス・ドイツの国際犯罪を暴き反逆罪で逮捕。ナチズムへの批判と反戦への明確な活動をする平和運動家として獄中でノーベル平和賞を受賞した。その後拘留中に結核で死去。48歳没。
1938年
【死去】嘉納治五郎【柔道家・政治家】柔術を学び、柔道を作った「講道館柔道」の創始者。日本人として初のIOC(国際オリンピック委員会)委員も務め、貴族院議員も務めた政治家でもある。カイロで開かれたIOC総会の帰途、船上で肺炎で死去。77歳没。
1949年
【事故死】【航空事故】ヴァレンティーノ・マッツォーラ(Valentino Mazzola)【サッカー選手】1940年代に"グランデ・トリノ"と呼ばれるほどの強さを誇ったACトリノの中心選手。後のイタリア代表、インテルの中心選手サンドロ・マッツォーラの父。30歳という選手としての絶頂期にチームメイトとともに「スペルガの悲劇」と呼ばれる飛行機事故で死去。乗客乗員31人全員が死亡した。
1957年
【自殺未遂】「出羽海日本相撲協会理事長自殺未遂事件」第31代横綱として活躍し、元力士としては初めて日本相撲協会の理事長に就任した出羽海理事長が任期中に蔵前国技館内の取締約室で自殺未遂を起こした。室内をガスで満たし、腹と首を裂いての割腹自殺を図ったというが、発見が早かったために一命を取り留めた。自殺の理由としては、相撲興行を巡る金銭の問題に自らの一族が関わっていたからとみられている。
1980年
【死去】ヨシップ・ブロズ・チトー( Josip Broz Tito)【ユーゴスラビア大統領】第2次世界大戦時からその死まで、ユーゴスラビアを率いた大統領。"チトー"は「オマエがやれ」という意味のあだ名。カリスマ的な指導者として知られ、彼の死後、ユーゴスラビアは民族紛争と独立の道を辿った。1980年1月に循環障害で壊疽を起こし左足を切断。その後も体調は悪化し、腎機能障害、肺炎、心不全、胃腸内出血、肝機能障害を煩い死亡した。没年87歳。
1983年
【死去】寺山修司【劇作家、詩人、作家】演劇実験室「天井桟敷」を主宰し、数々の戯曲・著作を発表したアングラカルチャーの雄。代表作に『田園に死す』『書を捨てよ町へ出よう』等。肝硬変で入院、腹膜炎を併発の末敗血症で死亡した。47歳没。
2007年
【自殺】【怪死】阿知波信介【俳優・プロダクション経営】自らも『ウルトラセブン』に出演する俳優だったが、三船プロダクションに移籍し、新人女優であった多岐川裕美のマネージャーに。その後多岐川と結婚し、娘に女優の多岐川華子がいる。その後プロダクションとして独立するが、多岐川とは離婚、マネジメントの関係は続いた。2007年の5月2日に行方不明となり、鹿児島県霧島市の犬飼滝で死んでいるところを発見された。体調不良を思い悩んでの自殺とみられている。没年67歳。