『「千日前デパート火災」の瞬間』

1972年5月13日は、日本史上でも最も大きなビル火災、大阪・難波の「千日前ビル火災」が発生した日である。
現在も大型電気店となっているその場所は、まさに大阪・ミナミの繁華街のど真ん中であり、史上最悪の死者118人、負傷者81人という惨劇となった。
出火原因はその日作業していた電気工事業者者のたばこの不始末にあったといわれ、3階から発生した火は7階まであったデパートの上部へと燃え移り、その場にいた店員、一般客を追い込んでいった。
犠牲者の大部分である96人が一酸化中毒により7階で死亡。その次に多かったのは、苦しさのあまり窓ガラスを割って地上に飛び降りた22人であったという。
まさにこの世の地獄とも思えるその惨劇は当然社会問題となったが、その事件は現在も都市伝説として残っており、当時の怨念がその近辺に残っているとする怪談は後を絶たない。恐怖の記憶はこうして我々の生活の中で、生き続けるのだろう。

(写真はhttp://shisly.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/02/09/21.jpgより使用)

5月13日の不幸

1573年
【死去】武田信玄【武将】

甲斐の国から天下を目論んだ猛将。戦国最強とも言われた騎馬隊を持ち、風林火山を合言葉にした戦上手として知られた。上杉謙信との数度にわたる川中島の戦いが有名。晩年、京都を目指し行軍し、三方原の戦いで徳川家康を打ち破ったが、その直後の帰路で死亡。臨終の際「自身の死を3年は隠せ」と言った。没年51歳。

1612年
【決闘】「巌流島の決闘」

豊田景英による宮本武蔵の伝記『二天記』による、宮本武蔵と巖流こと佐々木小次郎との決闘の日。この剣豪同士の世紀の一戦の結果、小次郎は死亡。戦いのあとに武蔵の弟子たちに殺されたという説もある。

1938年
【死去】田山花袋【小説家】

自然主義派の代表的な作家。代表作に『蒲団』。1928年に脳溢血で入院、その後喉頭ガンで死去した。没年58歳。

1961年
【死亡】ゲイリー・クーパー(Gary Cooper)【俳優/アメリカ合衆国】

サイレント映画の時代から1950年代というハリウッド最初の黄金期まで、第一線で活躍し続けた正当派二枚目スター。代表作にマレーネ・デードリッヒとの共演作『モロッコ』自身二度目のアカデミー主演男優賞を受賞した『真昼の決闘』等が上げられる。私生活では元女優のサンドラ・ショーと結婚。しかしその女性関係はとどまるところを知らず、前出のマレーネ・デードリッヒを始めとした共演女優とのロマンスの話題には生涯事欠かなかった。前立腺ガンのため60歳で死去。

1972年
【火災事故】「大阪・千日デパート火災」

大阪の繁華街・難波のド真ん中で発生し、死者118人・重軽傷者78人という日本のビル火災史上最悪最大級の被害を出した事故。作業員のタバコの不始末が原因とされているが、真相は明らかになっていない。

1988年
【事故死】チェット・ベイカー(Chesney Henry Baker Jr.)【ミュージシャン/アメリカ合衆国】

1950年代に絶頂期を迎えた白人ジャズ・トランペッター。ヴォーカリストとしても評価が高く、その代表曲には『My Funny Valentine』等が挙げられる。1960年代頃からヘロインなどの薬物に溺れ始め、アメリカや遠征先のイタリアなどで逮捕された。そのせいで一時は音楽活動から離れたが、1975年頃から拠点をヨーロッパに移して活動再開。1988年に滞在先のオランダ・アムステルダムのホテル(Prins Hendrik)で窓から落下して死亡。ヘロインとコカインが部屋から発見され、検死の結果体からも発見された。そのホテルの210号室はいまも「チェット・ベイカー・ルーム」と名付けられている。

2000年
【急死】ジャンボ鶴田【プロレスラー】

ミュンヘンオリンピックのグレコローマンスタイルの代表選手を務めるなどアマチュアスポーツのエリートとして全日本プロレス入り。初代三冠ヘビー級王者であり、日本初のAWA世界ヘビー級王者(第30代)。得意技はルー・テーズ直伝のバックドロップ。日本人離れしたスケールとスタミナで同時代での《ジャンボ最強説》がまことしやかに囁かれた。絶頂期の1992年にB型肝炎を発症。レスラーとしてはセミリタイア状態になり、スポーツ生理学の教授職を目指す。しかし1999年頃には病状が肝硬変、肝臓ガンに進行。フィリピンでの肝臓移植手術中に大量出血を起こしてショック死した。没年49歳。

2002年
【死去】ジョージ・ゴーディエンコ(George Gordienko)【プロレスラー・画家/カナダ】

ウクライナ系の血統が災いして「赤狩り」の影響でアメリカでは活躍できなかったが、カナダ、ヨーロッパのマットで活躍したプロレスラー。日本にも国際プロレスなどで来日した。プロレス界きってのシューター(セメントファイター)としても知られ、ヨーロッパでは壊し屋として知られるローランド・ボックにシュートを仕掛け勝利している。晩年は画家として活動。プロレス好きであったピカソとも交友を結んでいる。悪性メラノーマにより74歳没。