『VHS「ジャンボ鶴田伝説 Vol.3 最強の章」のジャケット』

2000年5月13日は、不世出の天才レスラーであり、日本マット界が隆盛を誇った同世代で最強と呼ばれたプロレスラー、ジャンボ鶴田が死亡した日である。
「全日本プロレスに就職しました」という世間のプロレスラーのイメージを覆す全日本プロレスへの入団会見から、日本人初のAWA世界ヘビー級王者奪取、三冠ヘビー級王座の初代王者獲得まで、プロレス界にあっても常に異彩を放つ大きな存在感を放っていた。身長196センチ・体重130キロというその抜群の身体能力はプロレス入団前から知れ渡っていたところで、中央大学1年時まではバスケットボール部に所属していたが、オリンピック出場や当時バスケットボールにプロがないことを理由にレスリング部に転向し、わずか3年ほどでミュンヘンオリンピックのグレコローマンスタイルの日本代表選手に選ばれるほどのものであった。
しかし、現役プロレスラー時代に、誰もが羨むようなその才能を持ち前のマイペースぶりで発揮できていなかったことも事実であり、天龍源一郎や三沢光晴などの好敵手達の刺激によって徐々にその才能が発揮され、名実ともに“最強”と呼ばれるようになった全盛時の1992年にB型肝炎を発症。以降はレスラーとしてはセミリタイア状態でスポーツ生理学の教授職を目指し、1999年3月6日に日本武道館で引退セレモニーの直後に米ポートランド州立大学に客員教授として渡った。しかしそれらと前後して病状が悪化、肝硬変、肝臓ガンへと進行し、フィリピンでの肝臓移植手術中に大量出血を起こしてショック死をした。
没年わずか49歳。誰よりも身体能力に恵まれ、屈強な同業者たちからも「バケモノ」とまで言われた男が、平均寿命を遙かに下回る寿命しか与えられなかったのは、悲劇だったといえるのだろうか。

(写真はVHS「ジャンボ鶴田伝説 Vol.3 最強の章」2000年/発売=バップ)

5月13日の不幸

1573年
【死去】武田信玄【武将】甲斐の国から天下を目論んだ猛将。戦国最強とも言われた騎馬隊を持ち、風林火山を合言葉にした戦上手として知られた。上杉謙信との数度にわたる川中島の戦いが有名。晩年、京都を目指し行軍し、三方原の戦いで徳川家康を打ち破ったが、その直後の帰路で死亡。臨終の際「自身の死を3年は隠せ」と言った。没年51歳。
1612年
【決闘】「巌流島の決闘」豊田景英による宮本武蔵の伝記『二天記』による、宮本武蔵と巖流こと佐々木小次郎との決闘の日。この剣豪同士の世紀の一戦の結果、小次郎は死亡。戦いのあとに武蔵の弟子たちに殺されたという説もある。
1938年
【死去】田山花袋【小説家】自然主義派の代表的な作家。代表作に『蒲団』。1928年に脳溢血で入院、その後喉頭ガンで死去した。没年58歳。
1961年
ゲイリー・クーパー(Gary Cooper)【俳優/アメリカ】サイレント映画の時代から1950年代というハリウッド最初の黄金期まで、第一線で活躍し続けた正当派二枚目スター。代表作にマレーネ・デードリッヒとの共演作『モロッコ』自身二度目のアカデミー主演男優賞を受賞した『真昼の決闘』等が上げられる。私生活では元女優のサンドラ・ショーと結婚。しかしその女性関係はとどまるところを知らず、前出のマレーネ・デードリッヒを始めとした共演女優とのロマンスの話題には生涯事欠かなかった。前立腺ガンのため60歳で死去。
1972年
【火災事故】「大阪・千日デパート火災」大阪の中心市街地・難波のド真ん中で起きた大火災事故。死者118人・重軽傷者78人という日本のビル火災史上最悪最大級の事故。を出す。作業員のタバコの不始末が原因とされているが、真相は明らかになっていない。
1988年
【事故死】チェット・ベイカー【ミュージシャン/アメリカ】(つづきから)1988年に滞在先のオランダ・アムステルダムのホテル(Prins Hendrik)で窓から落下して死亡。ヘロインとコカインが部屋から発見され、検死の結果体からも発見された。そのホテルの210号室はいまも「チェット・ベイカー・ルーム」と名付けられている。
1988年
【事故死】チェット・ベイカー(Chet Baker)【ミュージシャン/アメリカ】1950年代に絶頂期を迎えたジャズ・トランペッター。ヴォーカリストとしても優れており、その代表曲には『My Funny Valentine』等が挙げられる。1960年代頃からヘロインなどの薬物に溺れ始め、アメリカや遠征先のイタリアなどで逮捕された。そのせいで一時は音楽活動から離れたが、1975年頃から拠点をヨーロッパに移して活動再開。(つづく)
2000年
【急死】ジャンボ鶴田【プロレスラー】

ミュンヘンオリンピックのグレコローマンスタイルの代表選手を務めるなどアマチュアスポーツのエリートとして全日本プロレス入り。初代三冠ヘビー級王者であり、日本初のAWA世界ヘビー級王者(第30代)。得意技はルー・テーズ直伝のバックドロップ。日本人離れしたスケールとスタミナで同時代での《ジャンボ最強説》がまことしやかに囁かれた。絶頂期の1992年にB型肝炎を発症。レスラーとしてはセミリタイア状態になり、スポーツ生理学の教授職を目指す。しかし1999年頃には病状が肝硬変、肝臓ガンに進行。フィリピンでの肝臓移植手術中に大量出血を起こしてショック死した。没年49歳。

2002年
【死去】ジョージ・ゴーディエンコ(George Gordienko)【プロレスラー・画家/カナダ】ウクライナ系の血統が災いして赤狩りの影響でアメリカでは活躍できなかったが、カナダ、ヨーロッパのマットで活躍したプロレスラー。日本にも国際プロレスなどで来日した。プロレス界きってのシューター(セメントファイター)としても知られ、ヨーロッパでは壊し屋のローランド・ボックにシュートを仕掛け勝利している。晩年は画家として活動。プロレス好きであったピカソとも交友を結んでいる。メラノーマで74歳没。