『ヤードバーズ在籍時のキース・レルフ』1966年撮影
1960年代から活躍したイギリスのロック・バンド、ヤードバーズ(The Yardbirds=囚人たち)。エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジという、後に“天才”と呼ばれるギタリストが3人も在籍したことで知られるバンドである。そのリーダーであり、メインボーカルがキース・レルフだった。どちらかといえば歌声よりも甘いマスクが売りのヴォーカリストであったため、ジミー・ペイジを中心にした後期のメンバーのハードロックの方向性には技術的についてゆけず脱退、ヤードバーズはそのまま“伝説のバンド”レッド・ツェッペリンの母体となってゆく。そして1976年5月13日、自宅の地下スタジオで作曲のため演奏していたギターの演奏中に感電死。ヴォーカリストながら、どこまでもギターに支配される人生だったといえるだろう。没年33歳。
(写真はWikipedia Keith Relfより使用。Fair Use)

5月14日の不幸

1年
準備中
1971年
【引退】【大相撲】「第48代横綱大鵬引退」幕内最高優勝32回を誇る大横綱。通算幕内成績746勝144敗136休。引退後は初の一代年寄に。
1976年
【奇妙な死】【早世】キース・レルフ(Keith William Relf)【ミュージシャン/イギリス】1960年代から活躍したイギリスのロック・バンド、ヤードバーズのリーダーであり、メインボーカル。どちらかといえば歌声よりも甘いマスクが売りのヴォーカリストであったため、ジミー・ペイジを中心にした後期のメンバーのハードロックの方向性には技術的についてゆけず脱退。そして1976年5月13日、自宅の地下スタジオで作曲のため演奏していたギターの演奏中に感電死。没年33歳。
1991年
【引退】【大相撲】「第58代横綱千代の富士引退」度重なる怪我に悩まされながらも幕内最高優勝31回を誇る大横綱。幕内通算807勝253敗144休、幕下時代を入れると前人未踏の1000勝をクリアした唯一の力士(1045勝437敗159休 )。引退会見では「気力・体力の限界」と涙した。
1998年
【死去】フランク・シナトラ(Francis Albert "Frank" Sinatra)【歌手・俳優/アメリカ】(つづきから)さらにその政治的影響力は歌手の範疇を遙かに超え、アメリカの大物マフィアとの親交や、時の大統領、J・F・ケネディとの蜜月で知られ、ケネディとの決別後はその暗殺にも関与したとの噂もあるほど。また、その死後にCIAのスパイであったことも噂になった。心臓発作で82歳没。
1998年
【死去】フランク・シナトラ(Francis Albert "Frank" Sinatra)【歌手・俳優/アメリカ】数々のスタンダードナンバーを歌い上げた美声でアメリカのエンターテインメント界に燦然と光り輝くスター。娘のナンシーも歌手として成功。マリリン・モンローなど数々の女優とのロマンス、ミア・ファローを含む4人の女性たちとの結婚で知られるプレイボーイでもあった。(つづく)
2000年
【死去】三浦洋一【俳優】恵まれたスタイルと眼光の鋭さを武器に主に刑事役などで活躍した俳優。代表作に『七人の刑事』『池中玄太80キロ』『さすらい刑事旅情編』等。離婚やDV等、プライベートで話題になることも多く、晩年は食道ガンで激やせしながらも仕事をこなした。46歳で死去。
2000年
【急死】小渕恵三【政治家】第84代内閣総理大臣。官房長官時代に平成の元号を発表したことで知られる政治家。橋本龍太郎の後を継ぎ総理大臣として在職中に脳梗塞で急死。4月2日に脳梗塞を発症したが、その前日に記者との問答中に不思議な間が空いたといわれ、それが脳梗塞の初期症状だったと推測されている。没年62歳。総理大臣在職中の死去は大平正芳以来。
2004年
【死去】ヘスス・ヒル(Gregorio Jesús Gil y Gil)【実業家/スペイン】スペイン第三のビッグクラブ、アトレチコ・マドリードの名物会長。とにかく短気なことで知られ、すぐに監督の首をすげ替えることで有名だった。脳出血で71歳没。
2010年
【死去】鈴木俊一【政治家】4期にわたって務めた元東京都知事。没年99歳。
2010年
【事故死】岩永高弘【ボートレーサー】通算優勝1回、通算勝利271勝という名レーサー。若松競艇場で行なわれた「スポーツニッポン杯争奪 GW特選競走」で隣の艇と接触事故で後頭部を強打。搬送時には心肺停止状態になっており、搬送先の福岡新水巻病院で死去。没年36歳。
2015年
【死去】B・B・キング(B. B. King)【ミュージシャン/アメリカ】1950年代からその死まで、第一戦で活躍し続けたブルース・ギタリスト、シンガー。『Blues on the Bayou』他、数度のグラミー賞受賞を果たす。晩年はラスベガスの自宅で療養していたが、そのまま死去。遺族は毒殺の可能性があるとしてマネージャー、アシスタントに嫌疑をかけて再調査したが、アルツハイマーや糖尿などの合併症がその死因だと判明したに過ぎなかった。没年89歳。