『犬養毅のポートレート』

1932年5月15日は第29代内閣総理大臣を務めた犬養毅がその在職中に総理官邸で暗殺された日である。
立憲改進党に入党し「大同団結運動」で活躍した犬養は、文部大臣、逓信大臣、外務大臣、内務大臣を歴任した後に第29代内閣総理大臣に就任。満州事変後の外交問題や世界恐慌後の経済再生に力を割いていたが、かねてから犬養の軍縮政策を憂慮していた軍将校たちが反乱を起こした。犬養が5月15日に総理官邸で医者の往診を受けていたところに、海軍中尉三上卓率いる5人の部隊、海軍中尉山岸宏率いる4人が二手に別れて突入。「話せばわかる」として必死に説得を試みた犬飼だったが、腹部と、頭部を銃撃が襲い、瀕死の状態に。それでも犬養は駆け付けた女中に「今の若い者をもう一度呼んで来い、よく話して聞かせる」と言っていたという。後に「五・一五事件」と呼ばれたこの暗殺事件であるが、実行犯のグループはいずれも軽い懲役刑となっている。
なお、19代総理大臣の原敬に続く現職総理大臣の暗殺事件であるこの事件だが、日本の歴代総理大臣で暗殺されたのは犬養と原と第27代総理大臣・濱口雄幸の3人。さらに、犬養と原という二人の間に総理を務めた第20代総理大臣の高橋是清も総理職を離れた 1936年の「二・二六事件」で暗殺されている。大正から昭和初期にかけてのこの時代は今から100年も遡らない時期であるが、日本政治は、現在では考えられないほど血みどろの時代であったといえるだろう。

(写真はWikipedia 犬養毅より。Public Domain)

5月15日の不幸

1932年
【暗殺】犬養毅【政治家】立憲改進党に入党し「大同団結運動」で活躍。文部大臣、逓信大臣、外務大臣、内務大臣を歴任した後に第29代内閣総理大臣に就任。満州事変後の外交問題や世界恐慌後の経済再生に力を割いていたが、かねてから憂慮していた軍将校が反乱を起こす(「五・一五事件」)。5月15日に総理官邸で医者の往診を受けていたところに、軍部の青年将校たちが乱入。「話せばわかる」として必死に説得を試みた犬飼だったが、腹部と、頭部を銃弾が直撃し死亡。没年76歳。
1976年
【自殺】デイヴィッド・マンロウ(David Munrow)【音楽家/イギリス】ロンドン古楽コンソートの主宰者であり、管楽器奏者。33歳で首吊り自殺。父や義父の死の影響があったとみられ、前年にも薬物過剰摂取による自殺未遂を起こしていた。
1989年
【死去】【早世】つかせのりこ【声優】代表作に『つるピカハゲ丸くん』のハゲ丸、『おはよう!スパンク』のスパンク等。『できるかな』のナレーションを担当。直腸ガンで43歳没。
1991年
【死去】安倍晋太郎【政治家】現安倍晋三総理の実父であり、自らも 衆議院議員として農林大臣、官房長官、通産大臣、外務大臣を歴任した政治家。膵臓ガンで67歳没。息子晋三からの告知には「ああ、やっぱりそうか」と言っただけだったという。
1992年
【事故死】ジョビー・マルセロ(Edward Jovy Marcelo Jr.)【レーシングドライバー/フィリピン】1990年からアメリカのトヨタ・アトランティック・シリーズに初参戦し総合2位に、翌年総合優勝。1992年にインディ500に挑戦。だが本戦前の練習走行中にタイヤがパンクして事故死。死因は頭部・頸椎の損傷。ヘルメットのサイズが合っていなかったことがより深刻なダメージを与えていた原因とされる。没年27歳。
2004年
【死去】三橋達也【俳優】市川崑監督『ビルマの竪琴』黒澤明監督『悪い奴ほどよく眠る』『天国と地獄』等で知られる俳優。クレー射撃の腕前は抜群で、日本クレー射撃協会の理事も務める。急性心筋梗塞で80歳没。
2007年
【バラバラ殺人】「会津若松母親殺害事件」会津若松の高校生栗田恭平(当時17歳)が母のはるみ(47歳)を包丁で刺殺した事件。その後にのこぎりで頭部と腕を切断し、インターネットカフェに外泊。ビースティーボーイズのDVDを観るなどして過ごし、その足で自首した。動機は「誰でもいいから殺そうと考えていた」と説明。栗田恭平は中学生時代は野球部のエースとして活動していたが、高校時代、特に事件直前には不登校気味で不安定な精神状態だった。ちなみに事件当日は母親の誕生日である。
2011年
【怪死】サムエル・ワンジル(Samuel Kamau Wanjiru)【陸上競技選手/ケニア】北京オリンピック男子マラソンの金メダリスト。中学生時代に日本に留学し、仙台育英高校に入学。卒業後は豊田自動車に入社し、ハーフマラソンの世界記録を2度記録するなど、活躍を続けた。2008年に豊田を退社、直後の北京オリンピックで優勝。しかしその直後から賞金を強盗に狙われたり、妻を銃で脅したりと不安定な生活を送り、2011年5月15日に自宅バルコニーから落下死。事件性はないと警察は判断したが、検死の結果から後頭部に強い
2014年
【死去】鈴木則文【映画監督・脚本家】代表作として『緋牡丹博徒』シリーズの脚本、『トラック野郎』シリーズの監督等。脳室内出血で死去。没年80歳。