『愛車のフォード・V8・1932年モデルの前で撮影されたボニー&クライド』

1934年5月23は、1930年代という世界恐慌の真っ只中、しかもアメリカは禁酒法の時代という閉塞的な時勢に、銀行強盗や殺人をしてアメリカ中西部で回った男女二人組、“ボニーとクライド”をルイジアナ警察が機関銃で射殺した日である。
1930年代という世界的に不景気極まっていた時勢ということもあり、欲望の限りを尽くしていた彼らは新聞の読者を中心にカリスマ的な人気を獲得し、犯罪者でありながらあり得ないほど多くの支持者を持つようになっていったため、逃走を手助けするものたちも多く、最後まで警察の捜査は難航した。また、彼らの率いる強盗団「バロウ・ギャング」のメンバーにはクライドの実兄、その妻まで参加しており、さらに犯罪者となってからも家族とはよい関係を保っていたというから、隔世の感がある。まさに“ファミリー・ビジネス”としての犯罪稼業が成立していた時代であったともいえるだろう。彼らの欲望に忠実で刹那的な生き方は、その死後も多くのクリエーターの共感を呼び、アーサー・ペン監督の映画『俺たちに明日はない』をはじめとして数多くの芸術作品のモデルとなった。もし、人間の欲望を否定し続ける現代に“ボニー&クライド”生まれたとしたら、大衆はどのように彼らを扱うのだろう。

(写真はWikipedia Bonnie and Clydeより。Public Domain)

5月23日の不幸

1906年
【死去】ヘンリック・イプセン(Henrik Johan Ibsen)【劇作家・詩人/ノルウェー】

世界中で今も繰り返し上演される代表作『ペール・ギュント』『人形の家』で知られるノルウェーを代表する劇作家。その人生の大半をイタリア、ドイツで過ごしたが母国にも絶大な影響を持ち続け、長期にわたり1,000クローネ紙幣にその肖像画が使用されていた。1906年5月23日に脳梗塞で死去。没年78歳。最後の言葉は「Tvertimod!(とんでもない)」だった。

1934年
【射殺】クライド・バロウ(Bonnie and Clyde)【強盗殺人犯/アメリカ】映画『俺たちに明日はない』のモデルとなった、1930年代アメリカの強盗殺人カップル"ボニーとクライド"のクライド。犯罪者集団「バロウ・ギャング」のリーダー。幼い頃から動物虐待癖があり、若くして強盗に明け暮れていた。ボニーと出会った直後に刑務所に2年収監されたが、出所後はより派手に凶悪犯罪を犯し続けた。最後は車で逃走中にルイジアナ警察に射殺された。没年23歳。
1934年
【射殺】ボニー・パーカー(Bonnie Parker)【強盗殺人犯/アメリカ】強盗殺人カップル"ボニーとクライド"のボニー。16歳の頃にレイ・ソーントンという人物と結婚するが、その人物も強盗のため刑務所に。その後クライドと出会い、行動を共にした。最後は車で逃走中にルイジアナ警察に射殺された。没年25歳。
1945年
【自殺】ハインリヒ・ヒムラー(Heinrich Luitpold Himmler)【軍人・政治家/ドイツ】

ナチス・ドイツ親衛隊の指導者であり、全ドイツ警察長官となり秘密警察ゲシュタポを率いたヒトラーの側近。強制収容所もその管轄にあり、有史以来最悪の民族虐殺"ホロコースト"の実行者として知られる人物でもある。第二次大戦末期にはアメリカ側との和平を図ったがヒトラーの逆鱗に触れ全ての要職を解任された。その後、ハンブルグ郊外を移動中にイギリス軍に拘束され、奥歯に隠していたシアン化カリウムのカプセル剤で自殺。没年44歳。ホロコーストの責任を糾弾されることを恐れていたのがその理由であった。

1979年
【死去】【怪死】大下弘【プロ野球選手・監督】

"赤バット"の川上哲治、"物干し竿"の藤村富美男とともに"青バット"の異名で呼ばれ終戦直後のプロ野球界を牽引した大スタープレイヤー。現役時代はセネタース、東急フライヤーズ、西鉄ライオンズ等で活躍した外野手で、まだホームランが少なかった時代に登場した革命的な長距離砲としてプロ野球に革命を起こした。日本プロ野球最長とされる推定飛距離170mのホームラン、日本プロ野球史上唯一の1試合7打数7安打等の恐ろしい記録を誇り、1951年には当時最高の3割8分3厘という記録も叩き出した。14年の現役生活で通算201本塁打、1,667安打、861打点。本塁打王、首位打者ともに3回。その豪快なプレイスタイルは私生活でも同様で、ヒロポン中毒や女性問題など、スキャンダルには事欠かなかったが、当時国民的人気を誇った歌手・美空ひばりと並ぶほどの人気を誇ったという。引退後はコーチ職を経て1968年に東映フライヤーズの監督に就任するも成績はふるわずシーズン途中に辞任。主に解説者として晩年を過ごした。脳血栓療養中の1979年5月23日早朝に56歳没。常用していた睡眠薬が致死量だったという関係者の証言もあり自殺だったとも言われている。戒名は「慈球院青打弘文居士」。千葉市営平和公園にある墓碑には「球に生き、球に殉ず身、果報者 青バット 大下弘」と刻まれている。

1992年
【暗殺】ジョヴァンニ・ファルコーネ(Giovanni Falcone)【検事/イタリア】

盟友と呼ばれた治安判事、パオロ・ボルセリーノとともに、マフィア撲滅に尽力した裁判官。1989年6月22日は爆弾テロ未遂事件で狙われ、1992年5月23日にパレルモ=プンタ・ライシ空港からパレルモ市街地へと車で移動途中のカパーチで、妻であり判事のフランチェスカ・モルヴィッロと警護していた3人の警官とともに爆殺された。没年53歳。当時の大物マフィアであったサルヴァトーレ・リイナらにより計画実行されたその暗殺事件は「カパーチの虐殺」とも呼ばれ、同様に7月19日にはボルセリーノも爆殺されている。翌年にはマフィアへの抗議デモがパレルモで発生し、パレルモ=プンタ・ライシ空港は、2人の名を冠し「ファルコーネ=ボルセリーノ空港」と呼ばれるようになった。

1999年
【事故死】オーエン・ハート(Owen James Hart)【プロレスラー/カナダ】カルガリー出身のプロレスラー。プロレス一家として有名なスチュ・ハートの"ハート・ファミリー"の12兄弟の末っ子で、WWF(現WWE)で活躍したが、カンザスシティで開催された『オーバー・ジ・エッジ』 で、天井から入場する仕掛けのワイヤーが外れてリング上で転落事故死。没年34歳。
2005年
【事故死】石田徹也【画家】

自らの風貌に酷似した男と物体が同化した奇異な作品を書き続けた画家。2005年5月に踏切事故で31歳没。その死後、生前に増して評価されることが多く、2006年には香港のオークションで1,200万円もの落札価格を記録した。

2009年
【自殺】盧武鉉(Roh Moo-hyun)【政治家/韓国】第16代韓国大統領。弁護士出身。退任後、大規模な贈賄容疑で大統領時代の側近や親族が相次いで逮捕され、本人も6億円を超える不正資金の嫌疑がかけられていたさなか、金海市郊外烽下村の自宅裏の岸壁から投身自殺。没年62歳。
2013年
【死去】ジョルジュ・ムスタキ(Yussef Mustacchi)【ミュージシャン/エジプト・フランス】

エディット・ピアフのパートナーであったことでも知られ、彼女のために多数の作品を書いたフォルクローレのシンガーソングライター。代表曲に『ミロール』等。プロテスト・シンガーとしても知られ、『HIROSHIMA』なる楽曲も残している。また1995年の「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」で審査委員長を務め、来日直前に発生した「阪神・淡路大震災」ために急遽「阪神大震災チャリティーコンサート」を開き義援金を募ったことでも知られている。長きにわたる慢性閉塞性肺疾患の末にフランスのニースの病院で79歳没。