『カスパー・ハウザーの肖像画』Johann Georg Laminit作

1828年5月26日は世にも奇妙な怪事件、カスパー・ハウザーが発見された日である。ドイツ・ニュルンベルクのウンシュリット広場で、16歳頃まで牢獄に閉じ込められていたという少年カスパー・ハウザーが、保護された。言葉はほとんど喋ることができず、視力を始め五感は異常に鋭く、鏡に映ったものを掴もうとするなど、完全に野生児のような状態であったという。彼の持っていた手紙と少ない言葉からわかったのは、名前と出生日、そして牢獄のような暗いところで育てられていたということだけ。その後の教育で次第に言葉を覚え始めていたが、やがてバーデン大公家の出産時に死んだとされる子息ではないかという噂が流れ、1833年12月17日に刃物で暗殺されてしまう。果たして、バーデン大公家の世継ぎ問題の犠牲者だったという説は未だに大公家の方針でDNA鑑定はなされず、真偽は未だ闇の中である。この哀しすぎる19世の実話は、ヴェルナー・ヘルツォークにより映画化され『カスパー・ハウザーの謎』はカンヌ国際映画祭で審査委員特別賞を受賞している。

(画像はWikipedia Kaspar Huserより。Public Domain)

5月26日の不幸

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1828年
【怪事件】『カスパー・ハウザー発見』ドイツ・ニュルンベルクのウンシュリット広場で、16歳頃まで牢獄に閉じ込められていたという少年カスパー・ハウザーが発見される。言葉はほとんど喋ることができず、鏡に映ったものを掴もうとするなど、野生児のような状態であったという。その後の教育で次第に言葉を覚え始めていたが、1833年12月17日に刃物で暗殺されてしまう。一説にはバーデン大公家の世継ぎ問題の犠牲者だったといわれているが、未だその真相は明らかになっていない。
1877年
【死去】木戸孝允(桂小五郎)【武士・政治家】長州藩出身で吉田松陰の元で学んだ尊王攘夷派の主要人物。剣術の達人としても知られる。明治維新後は総裁局顧問専任として廃藩置県、版籍奉還等を実行し、封建社会から近代社会への刷新を牽引した。西南戦争の半ばに旅先の京都で死去。没年43歳だった。
1971年
【死去】左卜全【俳優】『醜聞』への出演を皮切りに『生きる』『七人の侍』『どん底』『赤ひげ』など多くの黒澤明監督映画に出続けた名脇役。中年期に左足に脱疽(壊疽)を患い、医師には切断を勧められたが俳優業のために実行せず。その後の人生を激痛と共に送った。癌のため77歳没。最後の言葉は、妻が呼ぶ声に応えた「はーい」だった。
2000年
【死去】山村聰【俳優・映画監督】小津安二郎監督の映画『東京物語』を始め、映画、テレビドラマに数限りない出演を果たした日本を代表する俳優。自らも多額の出資をした映画『蟹工船』では監督も務めた。90歳で急性心筋梗塞を発症し死去。
2001年
【死去】ヴィットリオ・ブランビラ(Vittorio Brambilla)【レーシングドライバー/イタリア】オートバーレース出身で、175ccクラスではイタリアチャンピオンになったこともあるF1レーサー。 1975年のオーストラリアグランプリで生涯一度の優勝(所属はマーチ)。1978年イタリアグランプリではロニー・ピーターソンが死亡する事故に巻き込まれ頭部を損傷、一時は意識不明となったが奇跡的に回復。引退後の2001年に自宅庭で草むしりをしていた時に心臓発作を起こし死亡した。没年63歳。
2005年
【死去】上田卓三【政治家】被差別部落に生まれ、部落解放同盟に参加。衆議院議員時代にはに日本社会党の副委員長も務めた。議員退職後は第5代部落解放同盟委員長に就任。「差別がなくなったら飯の食い上げだ」と発言するほど差別問題と一体化した人生だった。肝不全で65歳没。
2007年
【死去】シドニー・ポラック【映画監督】俳優出身の映画監督。代表作に『追憶』『トッツィー』等。『愛と哀しみの果て』でアカデミー監督賞受賞。ガンのため73歳没。火葬されその遺灰はロサンゼルスのバンナイ空港の滑走路に撒かれた。
2009年
【死去】栗本薫(中島梓)【小説家】100巻以上も刊行された代表作『グイン・サーガ』(死去により未完/正編で130巻。以降は五代ゆう、宵野ゆめらが継承)で知られるSF作家。中島梓名義での評論家活動や、作詞作曲、ミュージカルの脚本執筆なども含めると、膨大な小説作品に輪をかけて特に多くの作品を残した作家である。膵臓ガンで56歳没。