『イスラエルの刑務所に収監されたアイヒマン』

第二次世界大戦において、ナチスドイツのナチス親衛隊保安部(SD)に志願し、ユダヤ人の強制移民事業にその正確で素早い遂行という点において大きな業績を残し、やがてユダヤ人問題の最終解決=ホロコースト(ガス殺での絶滅作戦)の陣頭指揮を任せられた軍人、アドルフ・アイヒマン敗戦後逃走しアルゼンチンに潜伏していた彼が、死刑なき国イスラエルで絞首刑にされたのが1962年の6月1日である。“冷酷無比なサディスト”というパブリックイメージで語られていたが、戦争責任者の逮捕に執念を燃やしていたモサド(イスラエル諜報特務庁)に身柄を拘束されたのは、うだつの上がらない、ごく一般的な中年男だった。主に「人道に対する罪」「ユダヤ人に対する罪」で裁かれた結果、死刑制度のないイスラエルで有史以来初の絞首刑が確定。「100人の死は天災だが、1万人の死は統計にすぎない」と、500万人ともいわれる世界史最大級の殺人任務を平然とこなした男は、かつて「ユダヤ人に似ている」と言われ続けた少年期を送った男だった。

(写真はWikipedia Otto Adolf Eichmannより。Public Domain)

6月1日の不幸

1616年
【死去】徳川家康【武士・戦国大名】室町幕府崩壊後100年以上続いた戦国時代を制し、征夷大将軍に。東京を中心とする江戸幕府を開いた初代将軍。死因は長らく鯛の天ぷらによる食中毒死と言われてきたが、現在は胃ガンだったとの見方が有力である。73歳没。
1817年
【死去】杉田玄白【蘭方医】オランダ語の医学書『ターヘル・アナトミア』を翻訳した『解体新書』の刊行で知られる蘭学医。日本医学に絶大な貢献を果たした。自伝に『蘭学事始』がある。83歳没。
1943年
【戦死】【奇妙な死】レスリー・ハワード(Leslie Howard)【俳優/イギリス】痩身美麗の二枚目俳優として映画で活躍。代表作に『ピグマリオン』『風と共に去りぬ』等がある。第二次大戦中に戦地に赴き軍人たちの前で講演をして回っていた。そんな中、ポルトガルのリスボンからイギリス行きのBOAC777便に乗ったところ、ビスケイ湾でドイツ空軍により撃墜され、乗員乗客17人全員が死亡。ハワードのマネージャーがチャーチル英首相に似ていたために間違って攻撃されたといわれる「レスリー・ハワード搭乗機誤撃事件」だった。5
1946年
【処刑】イオン・アントネスク(Ion Victor Antonescu/ルーマニア)【軍人・政治家】数度の投獄の後に第43代ルーマニア王国首相に。ヒトラーの支持を受け、ナチスのホロコーストに協力。4万人以上のルーマニア国内ユダヤ人を強制収容所に送り、27万人以上ものルーマニア系ユダヤ人とウクライナ系ユダヤ人を虐殺した。1941年からの独ソ戦に参戦するが、敗北。1944年にクーデターで失脚し、共産政権によって銃殺刑に処された。没年63歳。
1946年
【処刑】ミハイ・アントネスク(Mihai Antonescu)【軍人・政治家/ルーマニア】首相イオン・アントネスクの親戚で、ルーマニア外相を務めた。ナチス・ドイツのホロコーストに協力し、多くのユダヤ人虐殺に関与した。イオンと共にクーデターで拘束され、同様に銃殺された。38歳没。
1962年
【処刑】アドルフ・アイヒマン(Adolf Eichmann)【軍人】ナチス親衛隊のメンバー。第二次世界大戦において、ナチス親衛隊保安部(SD)に志願し、ユダヤ人の強制移民事業に大きな業績を残し、やがてユダヤ人問題の最終解決=ホロコーストの陣頭指揮を任せられた。敗戦後逃走しアルゼンチンに潜伏していたが、戦争責任者の逮捕に執念を燃やしていたモサドに身柄を拘束された主に「人道に対する罪」「ユダヤ人に対する罪」で裁かれた結果、死刑制度のないイスラエルで有史以来初の絞首刑が確定。没年56歳。
1968年
【死去】ヘレン・ケラー(Helen Adams Keller)【作家・社会福祉事業家/アメリカ】2歳の時に髄膜炎で視覚・聴覚・言語能力を失い、重度の障害を持つが、その後の努力で言葉を話せるまでに回復、人道支援的な福祉、社会活動にその人生を捧げた。主な著書に『わたしの生涯』等。就寝中に死亡。87歳没。日本にも数度来日し、その死後、政府から勲一等瑞宝章を贈られている。
2005年
【死去】ジョージ・マイカン(George Lawrence Mikan Jr)【バスケットボール選手/アメリカ】(つづきから)晩年のは腎疾患と糖尿病を患い、最終的には糖尿の合併症で死去。80歳没。最終的には治療のために右足も切断していた。その長年にわたるNBAへの貢献に、シャキール・オニールはマイカンの死亡時に葬儀費用を提供すると申し出て話題となった。
2005年
【死去】ジョージ・マイカン(George Lawrence Mikan Jr)【バスケットボール選手/アメリカ】身長208cm、体重111kgの巨体を活かしてNBA創成期に活躍したバスケットボールプレイヤー。長きにわたり所属したミネアポリス・レイカーズで3連覇を含む5回の優勝を成し遂げた。得点王3回、リバウンド王1回と、その圧倒的な支配力のために、ゴール・テンディングやショットクロック等の現行ルールが制定されたといわれる。(つづく)
2007年
【急死】石立鉄男【俳優】俳優座養成所、文学座を経て俳優デビュー。アフロヘアーに始まる強烈なルックスで個性派俳優として活躍した。柳沢慎吾のモノマネでおなじみ、テレビドラマ『パパと呼ばないで』の父親役等で知られる。睡眠中、急性動脈瘤破裂のため静岡県熱海市で死亡]。64歳没。
2008年
【死去】イヴ・サン=ローラン(Yves Saint-Laurent)【ファッションデザイナー/フランス】フランス領アルジェリア出身のデザイナー。晩年のクリスチャン・ディオールに見出され、その死後、クリスチャン・ディオールのメインデザイナーとして活躍。同ブランドの発展に貢献した。1960年には徴兵等で精神を病み、薬物依存にもなっていたためにディオール社を退社。その後は自身のブランド「イヴ・サンローラン(YSL)」を立ち上げ、2002年まで長きにわたりファッション界の第一線で活躍した。脳腫瘍で73歳没。
2010年
【死去】大野一雄【舞踏家】日本を代表する舞踏家。1960年代には土方巽との暗黒舞踏で知られることとなった。国際的にも活躍し、1999年にはイタリアで第1回「ミケランジェロ・ アントニオーニ賞」を受賞。代表作に『ラ・アルヘンチーナ頌』等。アルツハイマー型認知症と戦いながらも100歳を超えてまでその活動を続けた。呼吸不全のため103歳没。