『自宅でのホメイニ師』

1989年6月3日は、イランイスラム共和制政体を成立させたイラン革命の指導者、ルーホッラー・ホメイニ師が死亡した日である。
1979年、国外追放のために滞在していたフランスから「イラン革命」を成就させ、それまでの西欧化政策から一転、イスラム化を進め、国民からの絶大な支持を背景にイランを政治、宗教の両面から率いた。1988年に、イギリスの作家、サルマン・ラシュディが発表した小説『悪魔の詩』(ムハンマドの生涯を批評的に描いた)を「冒涜的」だとして、著者及び発行に関わった者に対して死刑(ファトワー)を宣言。1989年6月3日に心臓発作で死去するが、生前ファトワーの撤回は行なわれなかったため、発した本人以外は撤回できないというファトワーの規則に従い、以後、永遠に撤回されない“永遠の呪い”となった。2年後の1991年7月11日には、同書の日本語版翻訳をした五十嵐一が筑波大学にて何者かによって殺害された(「悪魔の詩訳者殺人事件」)。他言語の翻訳者も狙われ、1993年にはトルコ語翻訳者の集会を何者かが襲撃、37人が死亡する大事件となった。その呪いは、果たして解ける日が来るのであろうか。

(Wikipedia Ruhollah Khomeiniより。Public Domain)

6月3日の不幸

1年
準備中
1889年
【自殺】ベルンハルト・フェルスター(Bernhard Förster)【活動家・思想家/ドイツ】

19世紀に「ベルリン団体」などで活動した反ユダヤ主義思想家。1886年に純粋アーリア人社会「新ゲルマニア」建設を目指しパラグアイの奥地に入植したが、気候や風土病で挫折し、モルヒネとストリキニーネで服毒自殺を遂げた。没年46歳。

1924年
【早世】フランツ・カフカ(Franz Kafka)【小説家/オーストリア・チェコスロバキア】

保険会社勤務の傍ら小説を発表し、20世紀を代表する小説『変身』で世界的人気を獲得した小説家。『審判』『城』『失踪者』等ほとんどの作品がその死後、友人のマックス・ブロートにより発表された。1917年9月に肺結核と診断されて以降は療養と執筆に専念し、咽頭結核で40歳没。

1963年
【死去】ヨハネ23世(Pope Saint John XXIII)【宗教家・司祭/イタリア】

イタリアのベルガモのソット・イル・モンテの小作農の家に生まれ(本名・アンジェロ・ロンカッリ)、1958年に76歳で第261代ローマ教皇に就任。1962年に第2バチカン公会議を開催したが、開催中の翌年6月3日に胃ガンのため死去。没年81歳。その死後、遺体が腐敗しなかったことを奇跡認定され、聖人として列聖された。

1964年
【死去】フランス・エーミル・シランペー(Frans Eemil Sillanpää)【小説家/フィンランド】

『聖貧』『若くして逝きし者』等の代表作で農民階級の現実を描いたフィンランドを代表する小説家。1939年にノーベル文学賞を受賞。ヘルシンキで75歳没。

1970年
【死去】ヒャルマル・シャハト(Horace Greeley Hjalmar Schacht)【政治家・銀行家/ドイツ】

ライヒスバンク総裁からナチス党に近づきナチス・ドイツ経済相、ドイツ帝国銀行総裁を歴任した人物。ヒトラー暗殺未遂事件に関与した疑いで逮捕されていたが、後にアメリカ軍により解放。その後終戦時に再びアメリカ軍により逮捕されニュルンベルク裁判にかけられたがヒトラーに戦争を踏みとどまるよう進言していたことなどを主張し無罪に。戦後はデュッセルドルフ銀行でアドバイザーとして働き1970年に死亡した。没年93歳。

1975年
【死去】佐藤栄作【政治家】

運輸次官、内閣官房長官を経て政界に。郵政大臣、電気通信大臣、建設大臣、北海道開発庁長官、大蔵大臣、通商産業大臣、科学技術庁長官等の要職を歴任し、第61・62・63代内閣総理大臣を務めた人物。第56・57代内閣総理大臣岸信介の実弟。内閣総理大臣在任中に日韓基本条約批准、非核三原則提唱、沖縄返還を実現し、1974年にノーベル平和賞を受賞したが、その死後にアメリカ国務長官ヘンリー・キッシンジャーとの間に核持ち込みの密約があったことが発覚した。1975年5月19日に築地の料亭、新喜楽で脳卒中で倒れ意識不明になり、そのまま翌月3日に死亡した。没年74歳。

1977年
【死去】ロベルト・ロッセリーニ(Roberto Rossellini)【映画監督/イタリア】

1940年代から1970年代にかけて活躍したイタリアを代表する映画監督で、『無防備都市』『ドイツ零年』等の作品で知られ、世界的女優のイングリッド・バーグマンを数多く起用し、彼女と結婚していたことでも知られる人物。その作品は下の世代に当たるフランスのヌーヴェル・ヴァーグ運動に影響を与え、"ヌーヴェル・ヴァーグの父"とも呼ばれている。心臓発作で71歳没。

1989年
【死去】ルーホッラー・ホメイニー(Āyatollāh Rūhollāh Khomeinī)【政治家・法学者/イラン】

1979年、国外追放のために滞在していたフランスから「イラン革命」を成就させ、それまでの西欧化政策から一転、イスラム化を進めたイランの最高指導者。国民からの絶大な支持を背景に、空前の権力をその手にイランを政治、宗教の両面から率いた。1989年6月3日に心臓発作で死去。没年86歳。

1990年
【死去】ロバート・ノイス(Robert Norton Noyce)【機械技術者・実業家/アメリカ】

集積回路の特許取得者(ジャック・キルビーも同時に取得)であり、1968年に世界の最大手半導体素子メーカーである「インテル」社を設立した人物。心不全で62歳没。

1991年
【自然災害】「雲仙普賢岳火砕流」

1991年5月15日頃から雲仙岳裾野の水無川で土石流が続き、5月20日には普賢岳に溶岩ドームが出現。24日にはドームが破裂し火砕流が発生した。しかしこの珍しい現象に報道は加熱し世界中からメディアが集まるという事態に。その結果、6月3日15時30分頃から雲仙普賢岳で小・中規模な火砕流発生し、15時57分からは大規模な火砕流が発生。報道関係者、消防団員を中心に43人が死亡した。

2016年
【死去】モハメド・アリ(Muhammad Ali / Cassius Marcellus Clay Jr.)【プロボクサー/アメリカ合衆国】

1960年のローマオリンピックのボクシング・ライトヘビー級で金メダルを獲得しプロデビュー。プロデビュー後にネーション・オブ・イスラムの信者であることを公表しモハメド・アリに改名。1964年のWBA・WBC統一世界ヘビー級王者のソニー・リストン戦に6ラウンドTKO勝ちを収め世界王者に。試合前に「Float like a butterfly, sting like a bee(蝶のように舞い蜂のように刺す)」という言葉を残したように、試合前の相手を挑発する派手なパフォーマンスや、KOラウンドを予告する等のメディア受けするスタイルでボクシングを超える爆発的な人気を獲得した。しかし当時アメリカ社会の一大事であったベトナム戦争への徴兵拒否を原因として1969年3月11日にWBC世界ヘビー級王座を剥奪された。その後訴訟で無罪を勝ち取り1971年にボクシングに復帰、1974年10月30日に当時のヘビー級王者、ジョージ・フォアマンに圧倒的不利という予想を覆し8ラウンドKO勝ちで収めるという"キンシャサの奇跡"で再び王者に。ボクシング史に今も残る伝説のチャンピオンとしての地位を確立した。日本では1972年に来日しアントニオ猪木との異種格闘技戦を戦ったことでも知られる。引退後はパーキンソン病に苛まれながらもたびたび公に姿を現わし、1996年のアトランタオリンピックの開会式の最終聖火ランナーとして点火したところは世界中の感動を呼んだ。敗血症ショックで74歳没。