『秋葉原通り魔殺人事件直後の現場検証』

2001年6月8日、戦後最悪、戦前を含めても現代史最大級という、7人の死亡者と10人の重軽傷者を出した通り魔殺人事件「秋葉原通り魔殺人事件」の発生した日である。
元自動車工場派遣社員で当時無職の25歳、加藤智大がレンタカーで借りたトラックでタクシーに衝突。そこに駆けつけた民間人を所持していたナイフで刺殺し、白昼の秋葉原駅前を血なまぐさい惨劇の場と化した。
犯行当日、日曜だった現場は歩行者天国であり、多くの観光客で賑わっていた中での凶行だった。
加藤は犯行当日の早朝に「秋葉原で人を殺します」「車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います みんなさようなら」との犯行予告を携帯サイトに書き込み、実行20分前まで数十回の書き込みを行なっていた。
加藤の犯行は社会問題化する非正規雇用の増加を原因とするものとしての報道が事件直後から行なわれていたが、供述などからごく個人的な衝動によるものとしての見方が一般的となった。
このことは加藤と同じ年代である「神戸児童連続殺人事件の犯人」少年Aと同世代であるといわれており、その年代特有の“キレやすい”行動に原因を求める説もある。
さらにいえば、この6月8日は、2001年に宅間守による無差別殺人事件「附属池田小事件」(小学生8人を殺害)が発生した日でもあり、どちらも日本最大級の無差別殺人事件であるだけに、なにか運命的なものを感じてしまう日付である。

(写真はWikipedia 秋葉原通り魔殺人事件より)

6月8日の不幸

1651年
【死去】徳川家光【将軍・武士】

江戸幕府第3代将軍。徳川家康の孫にあたり、鎖国を推し進めて国内の安定を図り、徳川幕府の治世を安定化させた。没年48歳。その死に際して、老中の堀田正盛、阿部重次、鹿沼藩主の内田正信が殉死している。

1845年
【死去】アンドリュー・ジャクソン(Andrew Jackson)【政治家・軍人・実業家/アメリカ合衆国】

軍人出身の政治家であり、黒人奴隷農場主でもあった第7代アメリカ合衆国大統領。一般階級初の大統領であり、民主党初の大統領でもあった。大統領就任時の強権ぶりから暗殺を狙われた初めての大統領でもあった。慢性結核、浮腫、心不全で78歳没。

1924年
【事故死】ジョージ・マロリー(George Herbert Leigh Mallory)【登山家/イギリス】

国威高揚を掲げて1920年代イギリス政府が行なった当時前人未踏のエベレスト登山に3回参加し活躍した登山家。「そこに山があるから」の名言で知られるが、これは誤訳であり、マロリーは「そこにエベレストがあるから」の意味で発した言葉だという。3度目のエベレスト遠征で、1924年6月8日にパートナーのアンドリュー・アービンと二人でに標高8,230メートル付近を目指したアタックで遭難(エベレストは標高8,848メートル)。その遺体は75年後に頂上付近で発見されたが、いまだに登頂したか否かで議論を呼んでいる。没年37歳。

1929年
【怪事件】「全頭落馬事件」 福島競馬場で行なわれた競馬の障害戦で、出場した8頭全馬が転倒。史上唯一の全頭落馬による不成立レース。
1934年
【国際事件】「蔵本書記生失踪事件」南京総領事館勤務の外交官、蔵本英昭書記生が失踪。南京駐在総領事の須磨弥吉郎は反日感情からの中国人による拉致・殺害を疑い国民政府に対して抗議。さらには軍艦を南京近くまで進め徹底的な抗議行動をとったが、蔵本本人が5日後に保護。勤務状況を苦にしたノイローゼだった。
1966年
【航空事故】「XB-70ヴァルキリーとF-104の空中衝突事故」

1966年6月8日、アメリカの試作戦略爆撃機「XB-70ヴァルキリー」と戦闘機「F-104」が空中で衝突・墜落した事件。事故当時、宣伝のための映画撮影が企画されていたため、「XB-70ヴァルキリー」を先頭に「F-104」「F-4」「F-5」「T-38」の計5機が特別にV編隊を組んで飛行。撮影終了後、全機体が帰投行動に入ろうとした際、ジョセフ・ウォーカーが操縦する「F-104」が「XB-70ヴァルキリー」に接触し爆発炎上。「XB-70ヴァルキリー」はモハーヴェ砂漠に墜落した。この事故により、ジョセフ・ウォーカーとカール・クロスの2人が死亡した。

1967年
【怪事件・政治事件】「リバティー号事件」

1967年6月8日にアメリカの諜報艦「リバティー号」が同盟国であるイスラエル軍に攻撃を受けた事件。1967年6月6日に第三次中東戦争が勃発。その2日後、シナイ半島沖で電波情報収集任務を行なっていたアメリカの諜報艦「リバティー号」がイスラエルの空軍機、魚雷艇から共に攻撃を受け、乗組員34人が死亡、負傷者173人を出した。この攻撃が故意か誤認かは未だに判明していない。

1998年
【奇妙な死】サニ・アバチャ(Sani Abacha)【軍人・政治家/ナイジェリア】

ナイジェリアの軍事指導者でありナイジェリア暫定統治評議会議長(第10代大統領)を勤めた人物。軍事学校卒業後、ナイジェリア軍に士官、1983年に准将となる。1980年代に起きたナイジェリアの軍事クーデターに参加後、軍事参謀長に就任。1990年には国防相に就任した。1993年、臨時政権を打倒し事実上のナイジェリア大統領へ。1998年6月8日、別荘で死去。没年54歳。死因について政府は心臓発作で死亡したと発表したが、死亡した当日、アバチャは2人のインド人売春婦と一緒に過ごしており、この売春婦が毒を盛った、または、バイアグラの過剰摂取で死亡したのではないかと言われている。大統領就任後アバチャは人権侵害や腐敗政治を行なっていたため、アバチャが死去すると国民は彼の死を祝福するほどであった。

2001年
【無差別殺人】「附属池田小事件」午前10時過ぎ、大阪府池田市にある大阪教育大学附属池田小学校に出刃包丁を持った無職の宅間守(当時37歳)が侵入し、小学児童に次々に刺し殺した児童8人を死亡させた無差別事件8名殺害の他、児童13名・教諭2名に傷害を負わせた。逮捕当初は精神病患者を偽っていたが、異常なしと診断後は態度を急変。反省の色も見せずに死刑の早期実行を懇願し、死刑確定から2年ほど経過した2004年9月14日に死刑執行となった。
2007年
【死去】 アデン・アブドラ・ウスマン(Aden Abdullah Osman Daar)【政治家/ソマリア共和国】

ソマリア共和国の初代大統領を勤めた人物。1960年、ソマリアが独立し際に初代大統領に就任。1967年に行なわれた大統領選挙でアブディラシッド・アリー・シェルマルケに敗れ退任、その後、シェルマルケが暗殺され、モハメド・シアド・バーレによる軍事政権が樹立。内戦状態となった1990年、ウスマンは避難民の脱出に対して懸念を表明する宣言書に署名。この署名によりバーレ政権から逮捕された。釈放後は農場で過ごし、2007年6月8日、老衰により死去した。没年98歳。

2008年
【無差別殺人】「秋葉原通り魔事件」戦後最悪、戦前を含めても現代史最大級という、7人の死亡者と10人の重軽傷者を出した通り魔殺人事件。元自動車工場派遣社員で当時無職の25歳、加藤智大がレンタカーで借りたトラックでタクシーに衝突。そこに駆けつけた民間人を所持していたナイフで刺殺した。犯行当日、日曜だった現場は歩行者天国であり、多くの観光客で賑わっていた中での凶行だった。加藤の犯行は社会問題化する非正規雇用の増加を原因とするものといわれていたが、近年の供述などからごく個人的な衝動によるものといわれている。
632年
【死去】ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ(Muḥammad[)【預言者・軍人/イスラム国家】唯一神アッラーにより使わされたとされる使徒であり、イスラム教の開祖。メッカへの大巡礼から戻って数カ月後に病死。没年62歳(推定)。