『兵士としての自画像』エルンスト・キルヒナー作

1938年6月15日は、ナチス・ドイツにより自らの作品を「退廃芸術」とされたことに絶望した画家のエルンスト・キルヒナーが、自宅でピストル自殺をした日である。
自身も第一次大戦で兵役に就いたキルヒナーであったが、生来の体の弱さから除隊になり、帰国後は療養に務めたが肺結核を患うほどに衰弱していった。そんな時期に書いた作品の一つが『兵士としての自画像』であり、右手を失ったその自画像からは戦争への深い絶望感と無力感がみてとれる。そんなさなかにナチス・ドイツが政権を握り、第二次世界大戦へと進んでゆく自国に於いて、自らの作品を「退廃芸術(=道徳的に欠落した作品)」という烙印を押されたことの絶望感は途轍もなく深いものであっただろう。トマス・マン、ビリー・ワイルダー、マレーネ・ディートリッヒ等、この時期に、多くの芸術家が自らの表現と人生を守るためにナチスの台頭したドイツから旅立ち、新天地での成功を収めた。かつては祖国のために戦ったキルヒナーであったが、そこから離れるというだけの体力も、精神力も彼には残されていなかったのだろうか。

(Wikipedia Ernst Ludwig Kirchnerより。Public Domain)

6月15日の不幸

1938年
【自殺】エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー(Ernst Ludwig Kirchner)【画家/ドイツ】

デフォルメと鮮やかなコントラストの画風で20世紀前半のベルリンで活躍した画家。第一次大戦で兵役に就いたが、生来の体の弱さから除隊になり、帰国後は療養に務めたが肺結核も患い衰弱していった。その後ナチス・ドイツが政権を握り、『退廃芸術展』に作品が32点も選ばれたことに絶望しダボス・フラウエンキルヒの自宅で拳銃自殺。没年58歳。

1938年
【自殺】川上眉山【小説家】

『大盃』『うらおもて』等の代表作で明治時代に人気を博した小説家。1908年6月15日未明にカミソリで喉を切って自殺。没年40歳。

1960年
【事故死】樺美智子【学生・活動家】

1957年に東京大学文科二類に入学した学生であり、同年11月に日本共産党に加入し1960年の安保闘争などに身を投じた新左翼運動家。1960年6月15日に行なわれた新安保条約批准阻止のための第2次実力行使デモで、全学連の7,000人のうちの一人として衆議院南通用門から国会議事堂に突入し、警官隊との衝突で死亡した。没年22歳。学生側は機動隊の暴力によって殺されたと主張したが、警察は転倒による圧死と発表。国を揺るがした安保闘争にあっても"東大女学生の死"は日本社会に大きな影響を及ぼした。

1993年
【急死】ジェームス・ハント(James Simon Wallis Hunt)【レーシングドライバー/イギリス】

マクラーレン在籍時の1976年に年間総合優勝を果たしたF1レーサー。熾烈なライバル関係にあったニキ・ラウダのストイックな姿勢とは好対照に、奔放な私生活のプレイボーイとして名を馳せたが、ラウダとは同居していた時期があるほど仲のよい友人でもあった。まだ全盛期と思われた32歳で現役を引退し、引退後はBBCのF1解説者として活躍、歯に衣を着せぬ語り口で現役当時と変わらぬ人気を誇った。私生活では2度の結婚と離婚を繰り返し、18歳年下の元ウェイトレス、ヘレン・ダイソンに電話で3度目のプロポーズをした翌朝に心臓発作で急死した。没年45歳。

1996年
【死去】ディック・マードック(Dick Murdoch)【プロレスラー/アメリカ合衆国】

テキサス出身でファンク道場を経てデビューを果たしたプロレスラー。ラフファイトも辞さないタフなファイトスタイルで、ダスティ・ローデスとのタッグチーム「テキサス・アウトローズ」で人気を博し、アメリカのみならず日本マットでも長きにわたり活躍をみせた。得意技は垂直落下式ブレーンバスター、カーフ・ブランディングなど。最晩年まで現役として活動を続けていたが、心臓麻痺で急死した。49歳没。

2002年
【死去】室田日出男【俳優】

川谷拓三や志賀勝ら東映所属の大部屋俳優で結成した"ピラニア軍団"のリーダー的存在として知られた性格俳優。若かりし頃には暴行事件や覚醒剤不法所持などで謹慎することもあったが、そのアクの強い個性的な存在感を活かし、多くのテレビ・映画で印象的な出演を重ねた。肺ガンのため64歳没。ちなみにその告別式で弔辞を読み上げたのは室田が出演する予定であったがクランクイン直前の暴行事件で出演できなかった1961年の映画『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』の監督、深作欣二であった。

2012年
【死去】伊藤エミ【歌手】

双子の妹である伊藤ユミと結成した「ザ・ピーナッツ」で国民的人気を博した歌手。『恋のバカンス』『恋のフーガ』『情熱の花』『モスラの歌』等の大ヒット曲で一世を風靡し、クレイジーキャッツやドリフターズ、タイガース等とともに渡辺プロ黄金期を牽引した。1975年4月に芸能界を引退し、私生活では同じプロダクション所属の沢田研二と結婚したことでも知られ、結婚式直後の沢田の「比叡山フリーコンサート」で結婚報告を行なった(1987年に離婚)。その後公の場に姿を現わすことはなかったが、2012年6月15日にガンで死亡したということが、同月27日に報道で明らかになった。71歳没。

2014年
【死去】ダニエル・キイス(Daniel Keyes)【小説家・教育者/アメリカ合衆国】

SF小説『アルジャーノンに花束を』ノンフィクション小説『24人のビリー・ミリガン』等、幅広いジャンルでの世界的ヒット小説で知られる小説家。心理学、英米文学の修士号を持ち、オハイオ大学で教授、名誉教授を務めたことでも知られている。肺炎の合併症で86歳没。