『田岡一雄らと写真に収まる鶴田浩二(写真右)』

1987年6月16日は、任侠映画の看板スターだった鶴田浩二が死亡した日である。
二枚目のアイドル的人気を誇った20代を経て、1953年に三代目田岡一雄率いる暴力団・山口組の襲撃を受ける。しかし、芸能界の最前線に君臨したスター俳優は、この通称「鶴田浩二襲撃事件」を機に、神戸芸能社の社長であり美空ひばりの後援者であった田岡とは絆を深めたという(ちなみにその裏では、実行犯として逮捕された西本一三、鶴田のマネージャーであった兼松廉吉は、その後ともに怪死を遂げている)。昨今の芸能界とは全く違う、一流スターと裏社会の繋がりが、表舞台から透けて見てとれるような時代であったと言えるだろう。まさに、光と影、「古い奴だとお思いでしょうが……」の歌い出しで知られる自らのヒット曲『傷だらけの人生』を地でゆくような鶴田浩二の劇的な人生であった。

(写真はWikipedia 鶴田浩二より。Public Domain)

6月16日の不幸

1887年
【死去】鶴田浩二【俳優・歌手】

二枚目のアイドル的人気を誇った20代を経て、『人生劇場シリーズ』『博徒シリーズ』『博奕打ちシリーズ』などの任侠映画路線に転向し絶大な人気を集めた俳優。その流れで出した1970年リリースのヒット曲『傷だらけの人生』はヤクザものの哀愁を歌い上げた作品であるが、NHKでは「相応しくない」として放送を控える自体に繋がった。華々しい活躍の一方で、1952年には女優・岸恵子との失恋騒ぎで自殺未遂、1953年には暴力団・山口組の襲撃を受ける「鶴田浩二襲撃事件」に見舞われるなど、私生活で暗い影を落としていたことでも知られている。1985年にガンと診断され闘病生活を送っていたが、1987年6月16日に肺ガンで死亡。没年62歳。

1999年
【自殺】スクリーミング・ロード・サッチ(Screaming Lord Sutch)【歌手・政治家/イギリス】

1961年に『ティル・ザ・フォローイング・ナイト』デビューし、シルクハット、毛皮、頭に角という奇抜な服装と労働者階級でありながら貴族風の名前を名乗るというギミックで人気を博したロックンロール歌手。音楽活動とほぼ同時に政治活動を始め、自らは生涯落選を続けたものの、後に当選者を出す現存する政党「オフィシャル・モンスター・レイブン・ルーニー・パーティー」の創立者としても知られている。長年の双極性障害により、1999年6月16日に首吊り自殺。没年58歳。前年の母親の死から精神状態が悪化していたといわれている。

2005年
【死去】奥崎謙三【軍人・活動家】

"神軍二等兵"を名乗りアナーキストとして活動した人物。1969年、6年ぶりに開催された皇居一般参賀で、15メートル先のバルコニーにいる昭和天皇に向かってパチンコ玉3発を発射する「昭和天皇パチンコ狙撃事件」で世間を騒がせた。パチンコ玉はいずれも命中しなかったが、暴行罪で1年6カ月の判決が下り、この事件を機にバルコニーには防弾ガラスが張られることとなった。 1987年公開の原一男監督によるドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』でその過激な人生が多方面に知られることとなった。2005年に85歳没。