『土方歳三のポートレイト』

1869年6月20日は新撰組の副長を務めた土方歳三が、戊辰戦争のさなかに函館五稜郭で狙撃されて死亡した日である。
激動の幕末期に新撰組局長であった近藤勇の右腕としてその武勇を轟かせ、数々の暗殺を成し遂げた土方は、新撰組内に厳格な起立を徹底し敵味方ともに震え上がらせ“鬼の副長”の名を欲しいままにしたという人物である。最期の戦となった函館戦争では、馬上で戦闘していた最中に敵兵に腹部を打ち抜かれたというのが通説であるが、徹底抗戦を叫ぶ土方を味方兵が暗殺したという説もあるほど劇的な最期を遂げており、まさに“鬼”と呼ばれ敵味方問わず全方位を恐れさせていた武人に相応しい血塗られた最期を遂げたといえるだろう。

(画像はWikipedia 土方歳三より。Public Domain)

6月20日の不幸

1549年
【災害】「デラ台風」鹿児島県鹿児島市に上陸し九州を縦断した最大風速38メートルの「デラ台風(国際名Della)」の影響で、死者252人、行方不明者216人、負傷者367人。「梅雨期に台風は来ない」という言い伝えのために油断していたということもあり、甚大な被害が発生した。
1810年
【暗殺】ハンス・アクセル・フォン・フェルセン(Hans Axel von Fersen)【貴族/スウェーデン】

当時のスウェーデン王グスタフ3世の寵臣であり、フランス王妃、マリー・アントワネットの愛人として知られたスウェーデンの貴族。生涯誰とも結婚することなく、マリー・アントワネットひとりにその愛を貫いていたと言われている。帰国するも、フランス革命勃発時に再びパリへ向かい、1791年6月20日早朝にマリー・アントワネットとその夫、フランス国王ルイ16世を亡命させる『ヴァレンヌ事件』の主謀者となるがが失敗。帰国後国政に参加するものの、1810年6月20日にカール・アウグスト王太子の葬儀を任された際に民衆により撲殺された。没年54歳。ちょうど『ヴァレンヌ事件』から20年後の悲劇であった。民衆との関係悪化が原因であったとされ、周囲にも見殺しにされたといわれている。

1869年
【戦死】土方歳三【幕末の志士・幕臣】新選組副長。新撰組局長であった近藤勇の右腕としてその武勇を轟かせ、数々の暗殺を成し遂げた土方は、新撰組内に厳格な起立を徹底し敵味方ともに震え上がらせた。戊辰戦争のさなかに函館五稜郭で狙撃されて死亡。没年34歳。
1959年
【死去】芦田均【外交官・政治家】外交官から転じて政治家に。第47代内閣総理大臣を務めた他、厚生大臣、外務大臣、副総理等を歴任した。現職の衆議院のまま悪性肉腫により71歳没。
2003年
【猟奇殺人】「福岡一家4人殺害事件」福岡市東区に住む松本真二郎とその妻、子供2人の一家4人が殺害された事件。博多湾に手錠をかけられて沈められた遺体が発見された。中国人留学生の3人による犯行で、強盗目的と言われているが、現場から持ち去られた現金は4万円ほどということもあり、その他の犯行動機が憶測を呼んでいる。犯行グループの2名は中国帰国後に逮捕(楊寧は2005年に死刑執行。王亮は遼寧省遼陽市人民検察院により無期懲役)。 日本で逮捕起訴された魏巍は死刑判決が確定し服役中。
2004年
【死去】早坂茂三【政治評論家・政治秘書】

田中角栄の政務秘書を23年間務め、田中の掲げた『日本列島改造論」の名付け親として知られる人物。1985年に田中が脳梗塞で倒れると娘の眞紀子とその治療方針を巡って対立し、罷免された。その後は政治評論家に転身し、以降、多くの著書を残した。肺ガンで73歳没。

2005年
【死去】ジャック・キルビー(Jack St. Clair Kilby)【電子技術者・教育者/アメリカ合衆国】

テキサス・インスツルメンツ社勤務時代にIC(集積回路)を発明した電子技術者。電卓やサーマルプリンターの発明者としても知られており、2000年にはIC発明の功績によりノーベル物理学賞を受賞した。ガンにより81歳没。

2015年
【早世】貴ノ浪貞博【大相撲力士・親方】元大関貴ノ浪、引退後は音羽山親方。現役時代は若・貴兄弟全盛という藤島部屋黄金期にあって、196センチという日本人離れした長身を活かして大関にまで登り詰めた。幕内最高優勝2回。2006年1月末に心房細動、敗血症、重症肺炎を併発し緊急入院。一時は心停止するほどの危機を迎えたが見事復活。しかし2014年から胃ガンを患い、2015年6月20日に出張先の大阪のホテルで死亡していた。死因は急性心不全。没年43歳。
2016年
【死去】佐々木行【歌手】

ロシア歌謡『ともしび』や『雪山讃歌』『山男の歌』等、数々のヒット曲を連発した男性歌唱グループ「ダークダックス」のメンバーで、主にメロディーを担当。1997年末に一過性脳虚血発作で倒れ、その後は鬱病を発症。さらに、脳梗塞の後遺症が残ったために以降は療養に努めていたが、同メンバーの喜早哲が2016年3月26日に死亡したことに続くように、同年6月20日に心不全で84歳没。