『1960年公開の映画「不知火檢校」のポスターに描かれた勝新太郎と中村玉緒』

1997年6月21日は、“勝新”の愛称で昭和の芸能界で絶大な存在感を放った稀代の俳優、勝新太郎が死亡した日である。
長唄三味線の杵屋勝東治の次男として生まれ、長男である若山富三郎とともに、時代劇、殺陣の名手として君臨した。勝の代表作といえば、主演だけにとどまらず、途中からは自ら企画、製作、そして監督なども手がけた、めくらの剣豪『座頭市』であり、映画作品で26本、テレビドラマシリーズにして4シーズン全100話にわたる人気シリーズとなった。その盲目の主人公のルーツとして知られるのが勝の出世作と言われる映画『不知火檢校』であり、同作で初めて悪役に挑戦した勝はその演技の幅を大きく切り開いたのだった。そしてその時の相手役が、後に夫人となる中村玉緒である。その中村との二人三脚で知られる私生活では、豪放磊落で遊び好き、繊細かつ劇場家という、人間臭さを絵に描いたような人物として伝わっており、数々の破天荒なエピソードが残っている。その代表的なものとしては、1990年にマリファナ、コカインをパンツに入れて「勝手に入っていた」と語ったハワイ・ホノルル空港での逮捕劇が記憶に新しいところだ。晩年はかつてから制作費の低下、効率化、そして俳優といえども社会的な常識が求められる時流も手伝い、俳優としての仕事は激減。昭和時代の遺物としてその独特な才能を発揮できなくなっていき、時折芸能ゴシップに登場するだけの存在になってしまったことが悔やまれる。下咽頭ガンを1996年に発病するも手術はせず、翌年亡くなるまで人前では平然と喫煙をするパフォーマンスをしてみせる等、最後まで天性のショーマンぶりをみせつつ亡くなっていった勝であったが、その才能を発揮するに相応しい最後の舞台は、ワイドショーやバラエティ番組などでは決してなかったはずだ。

(写真は森一生監督の映画『不知火檢校』大映/1960年公開時のポスター)

6月21日の不幸

1582年
【切腹】織田信長【戦国大名】尾張出身の戦国大名。街道一と言われた今川義元を破り、足利義昭を追放し室町幕府を消滅させた。"天下布武"の名の下に、延暦寺焼き討ちなど、強硬で斬新な戦略で領地を拡大。天下人となる直前に、家臣の明智光秀による謀反「本能寺の変」で自害した。49歳没。
1970年
【死去】スカルノ(Sukarno)【政治家/インドネシア】オランダ植民地時代から独立するにあたり頭角を現わし、独立後は初代インドネシア大統領に就任。絶大な権力を得て独裁的な政治を行なったが、軍事クーデター「9月30日事件」で失脚。家族全員が亡命をする中、ジャカルタで死去。死因は腎不全、没年69歳。日本の高級クラブで働いていた根本七保子(後のデヴィ夫人/タレント)を第3夫人として迎え入れたことでも知られる。
1995年
【死去】浜村純【俳優】総映画出演数300本を超えるという日本映画史上に残る名俳優。中でも市村崑監督作品には多数出演し、22本という出演で、代表的な作品には『ビルマの竪琴』『野火』等が挙げられる。急性白血病で89歳没。
1997年
【死去】勝新太郎【俳優】"勝新"の名で知られる昭和を代表する名俳優。妻は女優の中村玉緒。長唄三味線の杵屋勝東治の次男として生まれ、長男である若山富三郎とともに、時代劇、殺陣の名手として君臨した。代表作は『座頭市』等多数。破天荒なエピソードには事欠かない人生で、マリファナ、コカインをパンツに入れて「勝手に入っていた」という逮捕劇も。下咽頭ガンを1996年に発病するも手術はせず、翌年亡くなるまで人前では平然と喫煙をするパフォーマンスをしてみせる天性のショーマンだった。没年65歳。
1999年
【急死】Kami【ミュージシャン】ビジュアル系ロックバンド「MALICE MIZER」のドラマー。くも膜下出血で急死。
2008年
【死去】グレート草津【プロレスラー】日本代表歴もある、ラグビー出身の大型プロレスラー。入団した日本プロレス経由で国際プロレスのエースとして目されたが、ルー・テーズとの試合中に失神し、2本目を辞退して負けた「草津バックドロップ失神事件」で失速。国際プロレス消滅後は引退し、営業職のサラリーマンとして過ごした。多臓器不全で66歳没。
2016年
【急死】鳩山邦夫【政治家】祖父に鳩山一郎元総理大臣、実兄に鳩山由紀夫元総理大臣を持つ政治家であり、本人も文部大臣、労働大臣、法務大臣、総務大臣等の要職を歴任した。現役衆議院議員のまま十二指腸潰瘍で急死。67歳没。