『United States チャンピオン時代のクリス・ベノワ(2007年)』

2007年6月24日は日本ではペガサス・キッドとして活躍したプロレスラー、クリス・ベノワが、妻と子供を殺して、自殺を遂げた日である。
原因は、重度のステロイド使用からくる鬱病によるもの、または難病に苦しむ息子の将来への不安ともいわれていたが、現在最も有力な説としては、度重なる衝撃を受け続けたクリスに脳障害が残り、最終的には極度のアルツハイマー状態であったことが、この日米マット界を股にかけて活躍し続けたエリート・レスラーが、最悪の悲劇の主人公となってしまった原因であると憶測されている。

(画像はWikipedia Chris Benoitより。Public Domain)

6月24日の不幸

1989年
【死去】美空ひばり【歌手】

終戦直後の1946年に12歳でデビューして以来、『悲しき口笛』『リンゴの唄』等のヒット曲で幼くして敗戦に沈む日本国民の心の支えとなった天才歌手。江利チエミ、雪村いづみらと活躍した"三人娘"としての若手スター時代、人気俳優・小林旭とたった2年間の結婚生活、そして『港町十三番地』『柔』『真赤な太陽』『』『川の流れのように』等々数々の大ヒット曲を連発した"歌謡界の女王"時代と生涯にわたり国民的歌手として絶大な人気を誇った。1987年4月にツアー先の福岡で緊急入院。重度の慢性肝炎と両側特発性大腿骨頭壊死症と診断され抵抗は療養に努めるが1988年4月11日に東京ドームで「不死鳥コンサート」を成功させ健在をアピール。その後もツアーを再開させたが入退院を繰り返し、1989年6月24日になった直後の0時28分、特発性間質性肺炎による呼吸不全で死亡した。昭和を彩ったスターである鶴田浩二、石原裕次郎らと同じ52歳での臨終であった。

1999年
【死去】別所毅彦【プロ野球選手・監督】

現役時代は主に南海ホークスと読売ジャイアンツで歴代5位となる310勝を挙げた伝説の右腕。南海在籍時の1947年には現在もプロ野球記録のシーズン47完投という大記録達成しこの年に創設された沢村賞の初代受賞者となった。ジャイアンツ在籍時の通算221勝は現在でも同球団における最多勝記録である。また投手でありながら打撃が得意であった選手としても知られ、通算500安打、打率.254、35本塁打、248打点を記録している。引退後は巨人、大洋でコーチ、サンケイアトムズで監督を歴任したが指導者としての成績は奮わず、晩年は豪放磊落な人格を活かした人気テレビ解説者として活躍した。急性心不全のため自宅で76歳没。

1999年
【死去】村下孝蔵【ミュージシャン】

1979年の第1回CBS・ソニーオーディションのグランプリを獲得しデビューしたフォークシンガー、シンガーソングライター。『初恋』『踊り子』『陽だまり』などのヒット曲で知られる。1999年6月20日に東京・駒込のスタジオでのリハーサル中に体調を崩し、病院に向かい高血圧性脳内出血と判明。その直後から意識不明状態に陥り、4日後の6月24日に死亡。没年46歳。6月26日に行なわれた葬儀での出棺時には夫人の希望により村下が生前最も気に入っていたという『ロマンスカー』が流された。

2007年
【無理心中】【自殺】クリス・ベノワ(Chris Benoit)【プロレスラー/カナダ】

カナダのハート道場出身で、デビュー直後から新日本プロレスでペガサス・キッドとして活躍した名レスラー。ジュニアヘビー級を超越したパワーを誇り、獣神サンダーライガーらとともに長きにわたり新日本プロレス軽量級の強豪として活躍した。1995年以降は米マットに本拠地を移し、ECW、WCW を転戦しWWEに到達。同団体のWWEタッグ王座、世界ヘビー級王座を獲得するなど、トップレスラーとして君臨した。2006年5月からは家族との時間を過ごすためにリタイアするが、10月には戦線復帰。2007年6月24日に行なわれる予定だったCMパンクとのECW王座戦を「家庭の事情」を理由に突如としてキャンセル。翌25日にジョージア州の自宅で、妻ナンシーと、7歳の息子ダニエルとともに遺体となって発見された。没年40歳。捜査により妻を絞殺し息子を窒息死させた後に自ら首を吊って死亡したと断定された。原因は、重度のステロイド使用からくる鬱病によるもの、または難病に苦しむ息子の将来への不安ともいわれていたが、現在最も有力な説としては、脳が極度のアルツハイマー状態であったことにあるといわれている。