『オーストリア、エルンスト・ハッペル・シュターディオンで歌うマイケル・ジャクソン』1988年6月「BADツアー」より

2009年6月25日は“キング・オブ・ポップ”と呼ばれ、その生涯のほとんどをスーパースターとして生きた歌手、マイケル・ジャクソンが死亡した日である。
1968年、10歳の頃、4人の実兄と結成した「ジャクソン5」でのメインボーカルとしてデビュー。モータウンレコードと契約し『I Want You Back』『ABC』『I'll Be There』と立て続けに全米ナンバー1ヒットを連発、一躍世界的スターダムにのし上がった。1971年頃からはソロ活動を始め、『Billie Jean』『Thriller』『Bad』等、全世界的な大ヒットナンバーを連発。ミュージックビデオ製作やムーンウォークに代表されるダンス等、現在のポップミュージックに必用とされるあらゆる要素のパイオニアとして、地球規模のスーパースターとなった。その一方、私生活ではエルヴィス・プレスリーの実娘リサ・マリー・プレスリーとの短すぎる結婚に始まり、絶えず変わり続けたヴィジュアルの整形疑惑、生涯を通じて白くなってゆく肌、子供たちへの性的虐待疑惑、と、エンターテイメント業界の光と影を体現するかのようなスキャンダラスな人生を送った。そしてその最期もその人生と同様、混乱の中でのスキャンダルを提供。自ら“最後のライブ”と銘打った「THIS IS IT」のリハーサル中の2009年6月25日に自宅において心肺停止で急死。その死後、様々な関係者の間でその原因の追求が始まり、麻酔薬プロポフォールの使用法に問題があったことが判明。主治医であったコンラッド・マレイに過失があった故殺であるとして、同医に過失致死罪の有罪判決が下った。その他にも遺書の正当性や遺産問題、死後に公開され大ヒットした映画『THIS IS IT』の撮影が周到すぎることから端を発した陰謀殺人疑惑など、数限りないスキャンダルを未だに提供している状態である。
残した数多くの大ヒット曲とともに、“キング・オブ・ポップ”という存在がこの世から消えることはないのかもしれない。

(写真はWikipedia Michael Jackson より)

6月25日の不幸

1835年
【自殺】アントワーヌ=ジャン・グロ(Antoine-Jean Gros)【画家/フランス】

新古典主義の画家であり、ナポレオンのお抱え画家として代表作『ヤッファのペスト患者たちを見舞うナポレオン』『アブキールの戦い』『アイラウの戦い』等の歴史画を残した人物。ナポレオン失脚後にロマン主義の画家たちが台頭してゆく中、セーヌ川で投身自殺。溺死体として発見された。没年64歳。

1984年
【エイズ死】ミシェル・フーコー(Michel Foucault)【哲学者・教育者/フランス】

ポスト構造主義の代表的作家として20世紀の哲学に多大な貢献を果たしたフランスの哲学者。代表的な著書に『言葉と物』『狂気の歴史』『監獄の誕生』『性の歴史』等。エイズの神経系の合併症で57歳没。フランスの著名人で最初にエイズで死亡した人物といわれている。その死後、パートナーであった社会学者のダニエル・デフェがフーコーの死を偲んでエイズのチャリティー基金を設立した。

1988年
【薬物過剰摂取】ヒレル・スロヴァク(Hillel Slovak)【ミュージシャン/アメリカ合衆国】

世界的ロックバンド「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ」の初代ギタリストとして知られるミュージシャン。1987年のアルバム『The Uplift Mofo Party Plan』発表の翌年頃からバンドの活動に参加しなくなり、やがて連絡が途絶ていた。1988年6月27日に周辺住民からの通報で警察が自宅捜索に踏み込んだところ、遺体となって発見された。没年26歳。司法解剖によりヘロイン過剰摂取による薬物中毒死と判明、少なくとも2日前に死亡していたと断定された。、没後の1989年に発表された同バンドのアルバム『Mother's Milk』にはヒレルに捧げられた曲である『Knock Me Down』が収録され、そのアートワークには生前ヒレルが描いた裸婦画が使用されている。

2009年
【死去】ファラ・フォーセット(Farrah Leni Fawcett)【女優/アメリカ合衆国】

大ヒットテレビドラマ『チャーリーズ・エンジェル』や映画『キャノンボール』等に出演し、1970年代から1980年代にかけての"セックス・アイコン"として人気を博した女優。私生活では1973年に俳優のリー・メジャースと結婚したが、1979年に俳優のライアン・オニールと不倫関係となって別居、1982年に離婚した。オニールとの間に一子を設けたが、オニールが実子とともに麻薬不法所持で逮捕されるなど、スキャンダラスな生活で話題を提供した。2006年10月に肛門ガンと診断され摘出手術を受けるも翌年には再発。2009年には肝臓に転移しており、そのまま6月25日に肝臓ガンで死亡。没年62歳。その死後、死の3日前である2009年6月22日にオニールからのプロポーズを受け入れていたことが明らかになった。

2009年
【急死】マイケル・ジャクソン(Michael Joseph Jackson)【ミュージシャン・歌手・ダンサー/アメリカ合衆国】

"キング・オブ・ポップ"と呼ばれ、その生涯のほとんどをスーパースターとして生きた歌手、マイケル・ジャクソンが死亡した日である。10歳の頃、4人の実兄と結成した「ジャクソン5」のメインボーカルとしてデビュー。『I Want You Back』『ABC』『I'll Be There』と立て続けに全米ナンバー1ヒットを連発、一躍世界的スターダムに。1971年頃からはソロ活動を始め、『Billie Jean』『Thriller』『Bad』等、全世界的な大ヒットナンバーを連発。ミュージックビデオ製作やムーンウォークに代表されるダンス等、現在のポップミュージックに必用とされるあらゆる要素のパイオニアとして、地球規模のスーパースターとなった。その一方、私生活ではエルヴィス・プレスリーの実娘リサ・マリー・プレスリーとの短すぎる結婚に始まり、絶えず変わり続けたヴィジュアルの整形疑惑、生涯を通じて白くなってゆく肌、子供たちへの性的虐待疑惑、と、エンターテイメント業界の光と影を体現するかのようなスキャンダラスな人生を送った。そしてその最期もその人生と同様、混乱の中でのスキャンダルを提供。自ら"最後のライブ"と銘打った「THIS IS IT」のリハーサル中の2009年6月25日に自宅において心肺停止で急死。没年50歳。その死後、主治医であったコンラッド・マレイに急性プロポフォール中毒への過失があったとして、過失致死罪の有罪判決が下った。その他にも遺書の正当性や遺産問題、死後に公開され大ヒットした映画『THIS IS IT』の撮影が周到すぎることから端を発した陰謀殺人疑惑など、数限りないスキャンダルをいまだに提供し続けている。