『ヘミングウェイ家の家族写真』(1905年撮影右端が6歳時のアーネスト少年)

1961年7月2日は、ノーベル文学賞受賞作家であるアーネスト・ヘミングウェイがショットガン自殺を遂げた日である。
一説には死の直前に二度も飛行機事故に遭ったことで、生気をなくしていたともいわれているが、その真相は明らかではない。前日の記事で孫のマーゴ・ヘミングウェイが7月1日に自殺したと紹介したが、自殺の話はまだまだ続いてゆく。実は彼の父、クラレンス(写真左から3人目)も、そのまた父親が南北戦争で使った銃で自殺している。アーネストの左に写る妹のウルスラ、さらにこの後に生まれてくる弟のレスターも自殺を遂げることとなる。クラレンスは、鉄分を過剰に蓄えてしまう細胞障害“ヘモクロマトーシス”なる遺伝性の病気を持っていたといわれ、それがアーネストの持病であったことも知られているが、このことが一家全員の自殺の原因であったかはわからない。“呪われている”というにはあまりに栄光に包まれたヘミングウェイ一家ではあるが、自殺に見そめられていた血統であることだけは確かである。

(画像はWikipedia Ernest Hemingwayより。Public Domain)

7月2日の不幸

1961年
【自殺】アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Miller Hemingway)【作家/アメリカ合衆国】

『誰がために鐘は鳴る』『武器よさらば』等の代表作で知られるアメリカを代表する小説家。1952年の小説『老人と海』が世界的な評価を獲得し、1954年にノーベル文学賞を受賞した。1961年7月2日にショットガン自殺。没年61歳。一説には死の直前に二度も飛行機事故に遭ったことで生気をなくしていたともいわれ、細胞障害"ヘモクロマトーシス"なる遺伝性の持病を持っていたことも知られているがているが、その真相は明らかではない。

1977年
【死去】ウラジーミル・ナボコフ(Vladimir Vladimirovich Nabokov)【作家/ロシア】

少女偏愛を描いた問題作『ロリータ』で世界的成功を収めたロシア出身の小説家。ロシアを亡命し、ヨーロッパ、アメリカで活動していたことでも知られ、昆虫学者、チェス・プロブレム作家としても著名である。気管支炎で78歳没。

1989年
【死去】フランクリン・J・シャフナー(Franklin James Schaffner)【映画監督/アメリカ合衆国】

映画『猿の惑星』のシリーズ第一作(1968年)、第二作(1970年)などの大作を手がけ、1970年の映画『パットン大戦車軍団』でアカデミー作品賞、監督賞など7部門を受賞したアメリカを代表する映画監督。宣教師を父親に持ったため東京生まれであり、16歳までを日本で過ごした人物としても知られている。肺ガンで69歳没。

1994年
【暗殺】アンドレス・エスコバル(Andrés Escobar Saldarriaga)【サッカー選手/コロンビア】

コロンビアのクラブチームアトレティコ・ナシオナルの主要選手としてとして1989年のコパ・リベルタドーレス優勝に貢献し翌年のトヨタカップにも出場。コロンビアを代表するディフェンダーとして同国代表選手としても活躍した人物。自身2度目のワールドカップ出場となった1994年のアメリカワールドカップに優勝候補として参加したコロンビアであったが、1勝2敗の成績で予選敗退。6月22日に行なわれた第2戦のアメリカ代表戦の前半35分にオウンゴールを自国ゴールに叩き込み、敗戦の原因となった。大会終了後に代表チームメンバーは報復を恐れ帰国を回避したが、キャプテンの一人でもあったエスコバルは説明責任を果たすために帰国。1994年7月2日にメデジン郊外のバーから出てきたところをウンベルト・ムニョス・カストロにより射殺された。没年27歳。その場に居合わせた友人らの証言では、その瞬間、カストロは「Gracias por el auto gol(自殺点をありがとうよ)」と言いながら、12発もの弾丸を連続で発射したといわれている。一説によると違法ギャンブルの恨みを買ったための殺人であったとも言われている。その死後4年間、コロンビア代表チームではエスコバルが付けていた背番号2を欠番にした。また、2006年7月2日にドイツで開催された初のFIFA公認ストリートサッカー大会「street football world festival 2006」は「アンドレス・エスコバル杯 (Copa Andrés Escobar)」 と名付けられた。

1999年
【死去】マリオ・プーゾ(Mario Puzo)【小説家・脚本家/アメリカ合衆国】

イタリア・ナポリ移民の子としてニューヨークに生まれ、1969年の小説『ゴッドファーザー』が大ヒットした小説家。1972年にフランシス・フォード・コッポラにより映画化されたシリーズでは、自ら脚本も手がけた。ニューヨークの自宅にて心臓疾患で死亡。没年78歳。

2000年
【死去】青江三奈【歌手】

高校生の頃から東京・銀座のシャンソン喫茶・銀巴里で歌い始め、高校卒業後、の1966年に『恍惚のブルース』でメジャーデビュー、いきなり80万枚を売り上げる人気歌手となる。1968年には代表曲となる『伊勢佐木町ブルース』が100万枚のセールス、続く『長崎ブルース』が120万枚のセールスを記録し、『伊勢佐木町ブルース』で同年の第10回日本レコード大賞・歌唱賞と第1回日本有線大賞スター賞を受賞。国民的人気歌手として晩年まで活動を続けたが、1998年に膵臓ガンと診断され、翌年1月23日に渋谷公会堂で行なわれたコンサートを最後に、病気療養に専念。翌月2月5日に手術を行ない、4月24日に退院。しかし2000年2月に再入院し、同年7月2日に死亡。没年59歳。葬儀、告別式での弔辞は水前寺清子が担当した。

2016年
 【死去】エリ・ヴィーゼル(Eliezer "Elie" Wiesel)【作家/ハンガリー・アメリカ合衆国】

1944年にナチスドイツの占領下で強制収容所へ送られたホロコーストの経験を終戦後に体験小説『夜』として発表し、1986年にノーベル平和賞を受賞した人物。1963年からアメリカに移住し、ボストン大学教授等を歴任した。マンハッタンの自宅で朝に死亡。没年87歳。