『ジョン・アダムス、トーマス・ジェファーソン、ジェームズ・モンローの肖像画』

7月4日は、アメリカ合衆国の建国記念日であり、そして3人の歴代アメリカ合衆国大統領が死んだ日である。
そして、第2代アメリカ合衆国大統のジョン・アダムスと第3代アメリカ合衆国大統領トーマス・ジェファーソンにいたっては、全く同じ1826年7月4日に死亡している(第5代アメリカ合衆国大統領ジェームズ・モンローはその翌々年の7月4日である)。
これを単なる偶然と言うべきか、それとも、国にその身を捧げたものの運命と言うか——この不幸でもまた、アメリカは7月4日を“特別な日”として、永遠に記憶し続けるのだ。

(画像はそれぞれジョン・アダムス、トーマス・ジェファーソン、ジェームズ・モンローのWikipediaより。Public Domain)

7月4日の不幸

1826年
【死去】ジョン・アダムズ(John Adams)【政治家/アメリカ合衆国】

1776年のアメリカ独立宣言採択に指導的な役割を果たした政治家であり、初代大統領ジョージ・ワシントンの下で副大統領を2期務めた後に第2代アメリカ合衆国大統領となった人物。1800年の大統領選でジェファーソンに敗れ、息子であり第6代大統領となったジョン・クィンシー・アダムズ宅で死亡。没年90歳。アメリカ合衆国建国50周年の記念日であり、第3代大統領ジェファーソンの死んだたった数時間後のことであったが、彼がその訃報を知ることはなかった。

1826年
【死去】トーマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson)【政治家・政治学者/アメリカ合衆国】

「アメリカ独立宣言」の主な作者であり、共和制導入に多大な影響を及ぼした"アメリカ合衆国建国の父"の一人。1800年の大統領選で勝利し、第3代アメリカ合衆国大統領となった。その際、後の大統領の恒例行事となった首都ワシントンD.C.での就任演説を最初に行なった大統領としても知られている。バージニア信教の自由法の創案者、そして大統領退任後にバージニア大学を設立した人物として知られている。アメリカ合衆国建国50周年の記念日に家族に見守られながら死亡。没年83歳。

1831年
【死去】ジェームズ・モンロー(James Monroe)【政治家・軍人/アメリカ合衆国】

第2代大統領トーマス・ジェファーソンから法律を学び、彼の党に所属し政治家に転身。上院議員、バージニア州知事を歴任し、1812年からの「米英戦争」ではジェームズ・マディソン大統領政権で国務長官、陸軍長官として活躍。戦後の1816年に行なわれた大統領選で第5代アメリカ合衆国大統領に就任した。在任中はアメリカ大陸とヨーロッパ大陸間の相互不干渉を提えた「モンロー主義」で知られ、"アメリカ建国の父世代"の最後の大統領と言われている。建国記念日に死亡。没年73歳。

1934年
【死去】マリ・キュリー(Maria Skłodowska-Curie)【化学者・物理学者・教育者/ポーランド】

放射線の研究で1903年にノーベル物理学賞、1911年にはラジウム、ポロニウムの発見でノーベル化学賞を受賞した化学者、物理学者。日本では"キュリー夫人"の名で呼ばれることが多い。パリ大学初の女性教授となった人物としても知られている。放射線の人体への害が明らかになっていなかった時代であるため、長年放射物質の入った試験管をポケットに入れていたと言われ、そこから長期間にわたる放射線被曝によって再生不良性貧血で死亡。没年66歳。晩年はその放射線被曝により白内障を併発しほぼ失明していたが、最期まで被曝による健康被害については認めなかった。

1988年
【事故死】【早世】アドリアン・アドニス(Adrian Adonis)【プロレスラー/アメリカ合衆国】

1970年代後期からNWA、WWF(現WWE)、AWA等のアメリカメジャー団体で悪役レスラーのトップとして活躍した人物。1982年から新日本プロレスにも参戦し"暴走狼"のニックネームで人気を博した。晩年は薬物依存と過食症に苦しみ戦列を離れたが、リハビリと並行しながら復帰の道を模索していた矢先に、レスラー仲間数人との移動中の車がヘラジカを轢き橋の上から転落。頭部の損傷により数時間後に死亡した。没年33歳。

1993年
【死去】ロマン・カチャーノフ(Roman Kachanov)【アニメーション監督/ソビエト連邦】

代表作『ミトン』『チェブラーシカ』シリーズで知られる世界的な人形アニメーション作家。73歳没。

2000年
【死去】植田正治【写真家】

生涯、故郷である鳥取を拠点に作家活動を続け、鳥取砂丘を舞台に前衛的な構図を演出をした『砂丘シリーズ』で世界的な評価を獲得した写真家。心筋梗塞で87歳没。

2002年
【死去】伊東一雄【パシフィック・リーグ広報部長・野球解説者】

プロ野球ファンから"パンチョ伊東"のニックネームで愛され、長きにわたりドラフト会議の司会、読み上げ役を務めた人物。1991年にパ・リーグを退職して以降はメジャーリーグ解説などを中心にメディアで活動した。2000年頃に多発性のガンが発見され、2002年7月4日に心不全で68歳没。

2008年
【自殺】トマス・M・ディッシュ【小説家・詩人/アメリカ】

友人であるフィリップ・K・ディックと並び1960年〜1970年代のニューウェーブを代表するSF作家。主な著作に『人類皆殺し』『キャンプ・コンセントレーション』『334』等。私生活では同性愛者として知られていたが、長年にわたる鬱病に苛まれており、2008年7月4日にマンハッタンのアパートで拳銃自殺。没年68歳。

2009年
【無理心中】【殺人事件】スティーブ・マクネア(Steve McNair)【アメリカンフットボール選手/アメリカ合衆国】

NFLのテネシー・タイタンズ、ボルチモア・レイブンズ等で活躍したクォーター・バック。2003年には最優秀選手賞にも輝いている。一方、私生活では拳銃の不法所持や飲酒運転での逮捕歴があり、素行を問題視される人物であった。2008年の現役引退の翌年7月4日、2年弱にわたり愛人関係にあった20歳の女性サヘル・カゼミにより頭部に銃弾を撃ち込まれ死亡。没年36歳。サヘルもその場で自殺し、男女関係のもつれからの無理心中であったとみられている。