『テッド・ウィリアムスのポートレート』

2002年7月5日は“最後の4割打者”こと伝説のメジャー・リーガー、テッド・ウィリアムスが心停止で亡くなった日である。
デビュー初年度で打点王、2度の3冠王を記録し、出塁率5割超えを3回も記録した伝説の大打者である。彼が打率4割を記録したのが1941年であり、その直前にメジャーリーグで打率4割以上を記録したのが1930年にひとり、残る6人が1910〜1920年代に集中していることからも、彼が同世代でいかに突出した才能を持っていたかということがわかるだろう。
そして、テッド・ウィリアムスの死に関してもうひとつ見逃せないのが、彼がまた《生き返るかもしれない》ということである。というのも、彼の頭部は未だに冷凍保存されているのだ。これは、彼の遺言には、「科学の進歩で復活するかもしれないから」という理由で自らの死体を「冷凍保存をするように」ということが明記されていたからで、3度目の結婚で生まれた息子、ジョン=ヘンリーの主張であった。これには最初の妻との間にできた娘、ボビー=ジョーフェレルが猛反対したが、裁判の結果、頭部だけを冷凍保存し、胴体を火葬するということになった(ジョン=ヘンリーも数カ月後に白血病で急死し、父と共に冷凍保存されている)。一説によれば、その冷凍保存を担当しているアルコー延命財団の管理がかなりずさんであり、「テッド・ウィリアムスの頭部で野球をしていた」という告発も出ているが、彼がクローン技術の発展で復活する可能性は否定できない。「もう2度と現れない」と言われている4割打者は、意外な形で我々の前に現われるかもしれないのである。

(写真はWikipedia Ted Williamsより。Public Domain)

7月5日の不幸

1978年
【死去】水原弘【歌手・俳優】

1959年のデビュー曲『黒い花びら』で第1回レコード大賞を受賞した人気歌手。愛称""おミズ"。映画『皆殺しの歌、拳銃よさらば!』に主演するなど、独特の存在感で俳優としても活躍したが、私生活では飛び抜けた酒豪として有名であり、裏社会との交際や多額の借金を抱え、荒廃した生活を送るようになる。そして1965年3月10日に錦政会の花札賭博に関与していたことが発覚し、芸能界から追放状態になる。しかしその才能を惜しむ長良じゅんらの努力により1967年に『君こそわが命』が大ヒット、第9回レコード大賞を受賞し紅白歌合戦にも出場、奇跡的なカムバックを果たす。1977年にはアルコール依存症からの肝臓疾患で療養に専念。退院後も最後までステージに立ち続けたが、1978年6月24日に北九州市の「ホテルニュー田川(現・ホテルニュータガワ)」のトイレで大量に吐血。そのまま搬送され意識を取り戻したが、そのまま肝硬変による食道静脈瘤破裂で42歳没。

1992年
【死去】近江俊郎【歌手】

『湯の町エレジー』等のヒット曲で知られる歌手。晩年は『お笑いスター誕生!!』等のバラエティ番組に審査委員として出演し、お茶の間の顔となった。兄は新東宝、大蔵映画の社長を務めた大蔵貢で、本人も大蔵映画の副社長を務めた。肝不全で73歳没。

1995年
【死去】福田赳夫【政治家】

大蔵官僚から政治家に転身した政治家。大蔵大臣(4度)の他、農林大臣、、外務大臣等を歴任し、日本の第67代内閣総理大臣を務めた。息子も第91代内閣総理大臣を務めた福田康夫。肺気腫で90歳没。

2002年
【死去】テッド・ウィリアムス("Ted" Williams)【野球選手/アメリカ】ボストンレッドソックスで活躍した伝説的野球選手。デビュー初年度で打点王、2度の3冠王を記録し、出塁率5割超えを3回も記録した"最後の4割打者"である(メジャーリーグ全体で4割を記録した8人のうちのひとり)。心停止で83歳没。本人の希望により頭部が冷凍保存されていることでも知られている。