『金日成のプロパガンダ用ポスター画』

1994年7月8日は、北朝鮮民主主義人民共和国の初代主席、金日成の死亡した日である。
満州での抗日パルチザン運動に参加した軍人から、ソ連のバックアップを力に朝鮮独立のリーダーに登り詰め、アメリカ、中国、ソ連を巻き込んだ韓国との朝鮮戦争の末に北朝鮮を建国した“偉大なる建国の父”。生前、世襲制であるとは決して口外はしなかったが、その息子である2代目指導者の金正日、現在指導者を務める金正恩まで、3代にわたる金家による独裁政治の礎を築いた。アメリカのトランプ政権誕生後、にわかに“国際社会”の標的として話題にのぼることの多い北朝鮮であるが、果たして、金家の独裁はいつまで続くのだろうか?

(画像はWikipedia 金日成より)

7月8日の不幸

1950年
【表現規制】「チャタレー事件」

警視庁がD・H・ローレンス作、伊藤整訳の『チャタレイ夫人の恋人』を露骨な性描写のある猥褻文書として6月26日に押収し7月8日に発売禁止処分に。その後翻訳者・伊藤整と、版元である小山書店社長小山久二郎が刑法第175条わいせつ物頒布罪で起訴され、有罪であるとして罰金刑に処された。

1967年
【死去】ヴィヴィアン・リー(Vivien Leigh)【女優/イギリス】

1939年の映画『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラ役と1951年の映画『欲望という名の電車』のブランチ・デュボワ役で2度のアカデミー主演女優賞を受賞した20世紀を代表する大女優。晩年は双極性障害と慢性の結核に悩まされ、前者は女優としての仕事に支障を来すレベルにまで達し、精神不安定なまま公然と不倫をし始めるなど、業界内では知る人ぞ知るトラブル・メーカーでもあった。しかし女優としての才能は誰もが認めるところであり、晩年までごとをし続け、1967年5月舞台『デリケート・バランス』の稽古を開始したところで結核が再発。数週間の療養に入ったが同年7月7日の夜に寝室の床で死亡しているところを同居していた俳優のジョン・メリヴェールが発見。没年53歳。その現場には長きにわたり荒廃した結婚生活をともにし1960年に離婚した前夫の俳優・ローレンス・オリヴィエも駆けつけ、リーへの謝罪を繰り返していたという。

1994年
【死去】金日成(Kim Il-sung)【政治家・活動家・軍人/北朝鮮】

満州にて抗日パルチザン運動の指揮官を務め、第二次世界大戦後はソ連のバックアップを受けて北朝鮮民主主義人民共和国を建国した初代国家主席。同国の社会主義化を推進し、政敵を葬ることで強固な独裁体制を完成させた。国家の理念として「主体思想」を考案した人物でもある。1994年7月8日午前2時に平安北道香山郡香山官邸で死亡したといわれるが、北朝鮮政府は平壌の錦繍山議事堂で死亡と公式発表したしたことになっている。死因は心筋梗塞。没年82歳。生前指名していたように、後継には実子の金正日が収まり、第二代の国家主席となった。

1998年
【連敗記録】「千葉ロッテマリーンズ18連敗」

プロ野球の千葉ロッテマリーズが、GS神戸で行なわれたオリックス・ブルーウェーブ戦に4対6で敗れ、日本プロ野球ワースト新記録の18連敗(途中1引き分け挟む)を記録。敗戦投手は薮田安彦。

2000年
【死去】トントン(童童/Tong Tong)【ジャイアントパンダ】

1986年に人工授精で父フェイフェイと母ホアンホアンの間に生まれ、上野動物園の人気者としてその生涯を送ったジャイアントパンダの雌。2000年7月8日にガンによる腹膜炎で死亡。没年14歳と1カ月。解剖の後に、剥製として国立科学博物館地球館3階でフェイフェイとともに展示された。

2007年
【早世】【交通事故死】アレモン(Alemão)【サッカー選手/ブラジル】

2005年にJ2の京都パープルサンガに期限付き移籍し、同クラブをJ1昇格に牽引したフォワード。翌シーズンは不振となり、6月にJ2の横浜FCに期限付き移籍。翌2007年は母国のSEパルメイラスに移籍したが、父親の誕生日帰りに自ら運転中に交通事故死。没年23歳。

2007年
【早世】村上恵梨【タレント】

2002年にサッポロビールキャンペーンガール、2004年からはユニチカマスコットガールを務めたグラビアアイドル。2006年頃から腹痛を自覚するも働き続け、2007年1月に盲腸ガンが発覚。摘出手術を受けたが、既に全身に転移しており、同年7月8日に死亡。没年25歳。

2014年
【スポーツ事件】「ミネイロンの悲劇」

2014年FIFAワールドカップ準決勝第1戦としてベロオリゾンテのミネイロン・スタジアムで行われた一戦で、開催国ブラジル代表チームが満場の自国サポーターの前でドイツ代表に1対7という記録的な惨敗を喫した。ブラジル初の母国開催となった1950年7月16日のFIFAワールドカップ決勝リーグでウルグアイに1対2で逆転負けを喫したことで優勝を逃し4人の死亡者を出した「マラカナンの悲劇(マラカナッソ)」にちなみ、「ミネイロッソ」と名付けられた。試合後のリオデジャネイロやサンパウロなどの大都市では家電量販店が襲われるなど多数の略奪・放火などの犯罪が発生した。