『ヒューゴ・シンベリ作「Kuolema kuuntelee(Death Listens)」(1897年)』

1917年7月12日は死をテーマにした独特の作品群で知られるフィンランドの国民的画家・ヒューゴ・シンベリが死亡した日である。
骸骨に象徴される“死”と“憂鬱な少年”をテーマにした作品で知られる象徴主義の画家であり、その陰鬱な美しさは1年の多くを豪雪と凍土に囲まれたフィンランドという国を象徴するものといわれ、その代表作である『Haavoittunut enkeli(The Wounded Angel/傷ついた天使)』は、陰鬱な少年たちが負傷した天使を搬送するというネガティブ的かつ幻想的な作品であるが、2006年に行なわれた『国民の絵』として選出されている。
1897年の『Kuolema kuuntelee(Death Listens/死が聴く)』も、「老婆を迎えに来た死神が、その仕事を行なう前に(息子の?)バイオリンの演奏に聴き入っている」、“人間的な”死神像を描いた不思議な作品である。
人間が決して避けることのできない“死”をどのように解釈するのか——シンベリの作品は、我々とは場所も時間も異なる場所ではぐくまれた“死の文化”を垣間見せてくれるものである。

(画像はヒューゴ・シンベリ作『Kuolema kuuntelee(Death Listens)』1897年/Public Domain)

7月12日の不幸

1917年
【死去】ヒューゴ・シンベリ(Hugo Gerhard Simberg)【画家/フィンランド】

死をテーマにした独特の作品群で知られるフィンランド象徴主義を代表する国民的画家。骸骨に象徴される"死"と"憂鬱な少年"をテーマにした作品で知られ、その陰鬱な美しさは1年の多くを豪雪と凍土に囲まれたフィンランドという国を象徴するものといわれている。その代表作である『Haavoittunut enkeli(The Wounded Angel/傷ついた天使)』は、陰鬱な少年たちが負傷した天使を搬送するというネガティブ的かつ幻想的な作品であるが、2006年に行なわれた『国民の絵』として選出されている。フィンランド・エステリにて44歳没。

1979年
【早世】ミニー・リパートン(Minnie Riperton)【歌手/アメリカ合衆国】

5オクターヴ半という声域とハイトーン・ボイスで知られる女性シンガーソングライターであり、1975年にリリースした『Lovin' You』が世界的な大ヒットを記録し、多くの歌手が競ってカバーするスタンダードナンバーとなった。1976年8月24日に乳ガンによる乳房切除手術を受けたことを公表し、その時点でリンパに転移しており余命6カ月であったと宣告を受けていた。しかしその後もツアーに出るなど歌手活動を続け、1978-1979年におけるアメリカ・キャンサー・ソサエティーのスポークスマンとして活動したが、1979年に入ると右腕に転移し、最終的には腕を固定をしながらテレビ出演をしていた。同年6月には入院し病床で憧れの存在であり共作者となったスティービー・ワンダーの作った音源を聴きながら7月12日に死亡。31歳没。その墓碑には『Lovin' You』の冒頭の歌詞である"Lovin' you is easy cause you're beautiful."が刻まれている。

2011年
【死去】宮尾すすむ【タレント】

森進一等の歌謡ショーの司会を経てタレントに転身。『スターどっきりマル秘報告』や『モーニングショー』のコーナー「宮尾すすむのああ日本の社長」等の現場レポーターとして昭和期のテレビで人気を博した。登場時に顔の前で両手を使い独特の見得を切り「ハイ!」と叫ぶ決めポーズが有名である。晩年は病気に見舞われ続け、1992年に顎下腺腫瘍、1994年に腸捻転、2002年に前立腺肥大、2007年5月には東京都内でを運転中に意識を失い追突事故を起こす急性硬膜下血腫。以降はセミリタイア状態となり2011年6月に食道ガンが発覚。余命3カ月と宣告されたが、翌月の7月12日に肺炎で77歳没。

2016年
 【死去】大橋巨泉【タレント・司会者・実業家】

早稲田大学中退後にジャズコンサートの司会者をしていたところ、ジャズ喫茶に出入りしていたテレビ関係者と知り合いタレントに転身。持ち前のトーク術と多趣味な遊び人のキャラクターを活かし、1960年代から1980年代のテレビバラエティに君臨し、『11PM』『クイズダービー』『世界まるごとHOWマッチ』等の高視聴率番組を連発、毒舌も辞さない奔放な芸風の司会者としてテレビ業界で長らく絶大な人気を誇った。「ボイン」「はっぱふみふみ」の造語や「なんてったって」の名フレーズで知られる。1990年3月、56歳の頃に『ギミア・ぶれいく』以外の全ての仕事を降板しセミリタイア宣言。円熟期にもかかわらず引退し、1973年から始めていたギフトショップビジネスを続けながら早々に余生を楽しむという生活は、社会的な話題となった。2001年には民主党から参議院選に出馬し見事当選するも、アメリカ同時多発テロの問題を巡り党内で孤立し、半年で辞職。2005年5月に胃ガンが発覚し6月に摘出手術を受け、2013年11月には中咽頭ガンの摘出手術を受け、さらには2014年11月に縦隔リンパ節が発覚。続く2015年5月18日には肺ガン手術で右肺約3分の1を摘出。
その後も治療を続けたが2016年7月12日午後9時29分に急性呼吸不全で82歳没。