『ニースでの「トラック・テロ」の発生直後、現場に落ちていたハイヒール』
2016年7月14日は、フランスのニースでイスラム過激派によるトラックテロが発生した日である。
フランス南部の観光都市、ニースで起きたこの悲劇は、1789年の「バスティーユ襲撃」を記念した「パリ祭」、つまりフランス建国の日を狙ったものとされ、ニースの海外沿いの遊歩道、プロムナード・デ・ザングレに集まった花火見物の観光客たちの中を、チュニジア人テロリスト、モハメド・ラホアイエ・ブールルの運転するトラックが暴走。およそ2キロにわたって86人の一般人を轢き殺して走り、少なくとも458人が重軽傷を負った。
最終的には停車して拳銃を乱射している犯人を警察が射殺し、事件の収束をみたが、史上稀に見る残虐なテロ事件は、フランス国内のみならず、イスラム国と敵対する西側諸国を震え上がらせるに十分であった。
イスラム国の協力者であったとされるブールルは、フランス在住の移民であったことから、国境警備がほぼなんの意味も持たないことが明らかになり、膨大なアラブ系移民を抱える多民族国家フランスの、テロ対策面での脆弱性が明らかになった。
事件発生当時からはイスラム国の勢力は衰えている現在であるが、テロリストが内側にいる限り、同種のテロは今後も後を絶たないであろう。
現代のテロリストは国籍でも人種でも判別できるものではなく、個々の心の奥深くに潜んでいるのだ。

(写真はWikipedia 2016 Nice truck attack より。撮影・Jesmar)

7月14日の不幸

1881年
【暗殺】ビリー・ザ・キッド(Billy the Kid)【ガンマン・アウトロー・強盗/アメリカ合衆国】

アメリカ西部開拓時代に義賊として知られ、8人を相手に仕留めるなど、驚異的な早撃ちを誇った伝説のガンマン。本名ヘンリー・マカティ、その後ウィリアム・H・ボニーを名乗った。12歳で、母親を侮辱してきた男を殺して以来、その人生で21人を殺害したといわれ、後の映画・小説等のエンターテインメント作品で伝説的に描かれたことで絶大な人気を博した。1881年7月14日にニューメキシコ州フォートサムナーで寝室から出たところをフォートサマーの保安官に指名されたガンマン、パット・ギャレット(前年にキッド一味を逮捕した人物)により暗殺された。没年21歳。その死後、多くの英雄と同じように生存説が流れた。

1939年
【死去】アルフォンス・ミュシャ(Alfons Maria Mucha)【画家・グラフィックデザイナー/チェコスロバキア】

鮮やかな色使いと美しく退廃的な美女をモチーフにした作品群でアール・ヌーヴォー期を代表する世界的な画家であり、グラフィック・デザイナー。独特の曲線を活かした『ジスモンダ』に代表されるポスター・看板等の作品と、連作『スラヴ叙事詩』に代表される絵画作品で、世界中に多大な影響を与えた。肺感染症によりプラハで死亡。没年78歳。

1996年
【競技中事故死】【夭折】ジェフ・クロスノフ(Jeffrey John "Jeff" Krosnoff)【レーシングドライバー/アメリカ合衆国】

1983年からレース活動を開始し、1988年からは来日し、「全日本F3000」「全日本GT選手権」で1995年までの長きにわたり日本で活躍したレーシング・ドライバー。晩年は「ル・マン24時間レース」(1994年はサードから参戦し総合2位)へ活動の場を移したが、1996年から参戦した「CART」の第11戦トロントのレース最終盤の92周目(全95周)にステファン・ヨハンソンを追い抜こうとした瞬間にその後輪に乗り上げ、回転しながらコース外のニレの木に激突。頭部損傷で死亡した。没年31歳。さらに、その事故に巻き込まれたマーシャルも死亡。なお、日本時代に共闘した親友のイタリア人ドライバー、マウロ・マルティニはクロスノフの死を機に現役引退を決意し翌年引退をした。

1998年
【死去】グエン・ゴク・ロアン(Nguyễn Ngọc Loan)【警察官僚/南ベトナム】

エディ・アダムズ撮影の1969年度のピュリッツァー賞受賞作「サイゴンでベトコン捕虜を処刑するグエン・ゴク・ロアン将軍」で世界的に知られるようになったベトナム戦争当時の南ベトナムで国家警察総監を務めた人物。その後機関銃の攻撃により足を失ったロアンは1975年のサイゴン陥落を機にアメリカに亡命しピザ店をオープンするも、"あの処刑をした人物"であることが周囲に露呈するやいなや、すぐさま閉店に追い込まれた。バージニア州バークにてガンのため67歳没。

2014年
【死去】深田祐介【小説家・随筆家】

日本航空を始めとした航空会社でのサラリーマン生活の傍ら、小説家として活動した人物。、1958年の小説『あざやかなひとびと』で第7回文學界新人賞、1976年のエッセイ『新西洋事情』で第7回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞、1982年には小説『炎熱商人』で第87回直木賞を受賞した。日本航空退社後の1983年に発表した『スチュワーデス物語』がドラマ化され、社会的な人気を獲得した。肺炎により82歳没。

2015年
【死去】高橋一三【プロ野球選手・指導者】

広島県北川工業高等学校(現県立府中東高校)を卒業後の1965年に読売ジャイアンツに入団。1969年には22勝5敗、防御率2.21という目覚ましい結果を残し、最多勝利投手、最高勝率、沢村賞、ベストナインとタイトルを総ナメし一躍球団の主力選手に。1965年からV9を続けていたジャイアンツの"左のエース"として活躍したが、成績不振が続くと1976年に播本勲との1対2のトレードで日本ハムファイターズに移籍(もうひとりは富田勝)。移籍後は腰痛に苛まれたが1981年のリーグ優勝に貢献するなど、見事復活を遂げた。1983年シーズン開幕前に現役を引退。通算成績167勝132敗12セーブ生涯防御率3.18。以降は古巣2球団の投手コーチを歴任し、2009年からは山梨学院大学硬式野球部の監督に就任したが、在任中の2014年春に体調不良で退任。その後も顧問を務めていたが、翌年7月14日に心不全で死亡した。69歳没。

2016年
【テロ】【大量殺人】「ニーストラックテロ事件」

フランス南部の観光都市、ニースの海外沿いの遊歩道、プロムナード・デ・ザングレに集まった花火見物の観光客たちの中を、チュニジア人テロリスト、モハメド・ラホアイエ・ブールルの運転するトラックが暴走。およそ2キロにわたって86人の一般人を轢き殺して走り、少なくとも458人が重軽傷を負った。最終的には停車して拳銃を乱射している犯人を警察が射殺し、事件の収束をみた。後日、共犯として6人の容疑者が身柄を拘束された。