『1950年ブラジルワールドカップ決勝戦リーグ第3戦試合開始前のウルグアイ代表イレブン』(前列左から2人目がギジャ)

1950年7月16日は、サッカー王国ブラジルで開催された第4回ワールドカップ・ブラジル大会の予選リーグ最終戦で、優勝を目前にしたブラジル代表チームが、ウルグアイ代表にまさかの逆転負けを喫したという『マラカナンの悲劇』が起きた日である。そのあまりの衝撃にブラジル全土が凍りつき、その場で2人が自殺、テレビ観戦していた者の2人がショック死、20人が気絶したという、フットボール史上に残る悲劇である。この試合が開催されていたリオ・デ・ジャネイロのマラカナン・スタジアムにちなみ、『マラカナッソ』『マラカナンの悲劇』と呼ばれている。
そしてその日から65年が経過した2015年7月16日、マラカナンの悲劇で1ー1で迎えた後半34分にゴールを決め、ブラジル国民を悪夢に突き落としたウルグアイ人フットボーラー、アルシデス・ギジャが亡くなった。自らの偉業でウルグアイを2回目の世界チャンピオンに導いた点取り屋が、その足跡を刻んだ日に死亡する——まさしく神のみぞ知る数奇な物語である。

(写真はWikipedia Maracanaçoより。Public Domain)

7月16日の不幸

1950年
【スポーツ事件】「マラカナンの悲劇(Maracanaço)」

サッカー王国ブラジルで1950年に開催された第4回ワールドカップ・ブラジル大会の決勝リーグ最終戦で、優勝を目前にしたブラジル代表チームが、2対1でウルグアイ代表にまさかの逆転負けを喫した事件。そのあまりの衝撃にブラジル全土が凍りつき、その場で2人が自殺、テレビ観戦していた2人がショック死、20人が気絶したという事件。この試合が開催されていたリオ・デ・ジャネイロのマラカナン・スタジアムにちなみ、『マラカナッソ(1950年)』『マラカナンの悲劇』と呼ばれている。

1987年
【死去】トニー谷【コメディアン・歌手】

"ざんす"を語尾に付ける話し方とそろばんを楽器にするという奇異なアメリカかぶれのキャラクターで一世を風靡し、傲慢で人を喰った物言いで徹底的に世間の嫌われもの(赤塚不二夫作『おそ松くん』のキャラクター、イヤミのモデルになったほど)を演じた終戦直後の日本を代表するコメディアン。歌手としても代表曲『さいざんすマンボ』を始めヒット曲を連発し、日劇ミュージックホール、ジャズコンサートの司会、映画など、様々なジャンルで大活躍をみせた。1955年7月15日に長男の正美が誘拐されると、テレビ報道で"普段の顔"をかなぐり捨てた涙ながらの懇願を見せ、それまでの傍若無人ぶりに腹を立てていた同業者や世間から総スカンを食らい、その人気は凋落。晩年は舞台を中心に活動し、1986年頃に現役を引退。翌年7月16日に肝臓ガンで死亡した。没年69歳。

2001年
【急死】テリー・ゴディ(Terry "Bam Bam" Gordy)【プロレスラー/アメリカ合衆国】

ルー・テーズ直伝の必殺技"パワー・ボム"を流行らせたプロレスラーであり、コーナーへの串刺しラリアットや入場時の全力ダッシュなど、激しさを前面に押し出したファイトスタイルで人気を博し、アメリカマットではテキサスを中心に活躍、日本ではスティーブ・ウィリアムスとの"殺人魚雷コンビ"を結成し全日本プロレスマットで活躍したアメリカ人レスラー。シングルでも1990年6月5日にジャンボ鶴田戦に勝利し、外国人選手として初の三冠ヘビー級王座を獲得した。1993年の来日時に素行不良を理由に全日本プロレスを事実上の解雇。その際には常用していたステロイドの副作用のためか奇行が目立つようになり、心停止するという瀕死の事故も発生。心身ともに荒廃した状態であった。以降もデスマッチ参戦やWWE参戦など、リング上で活躍を続けたが、2001年7月16日にテネシー州チャタヌガの自宅にて心不全で急死。没年40歳。

2015年
【死去】【不思議な死】アルシデス・ギジャ(Alcides Ghiggia)【サッカー選手/ウルグアイ・イタリア】

1950年開催のブラジルW杯第2次ラウンド最終戦の対ブラジル戦に出場し、ブラジル全土を沈黙させる後半34分に逆転の2点目を挙げて母国ウルグアイ代表を2度目のワールドカップ制覇に導いたフォワード。その衝撃はブラジル国民に「マラカナンの悲劇」として永遠に刻まれている。1953年からはイタリアのクラブチームに移籍し、ASローマ、ACミランという人気チームで活躍した。1957年からはイタリアに帰化し、イタリア代表としても活動している。「マラカナンの悲劇」から65年後2015年7月16日に心不全で88歳没。