『ニューヨークのダウン・ビートクラブで歌うビリー・ホリデーと彼女の代表曲「Strange Fruit(奇妙な果実)」の作者に影響を与えたトーマス・シップとアブラム・スミスのリンチ殺人写真』(右写真:1947年2月・ウィリアム・ゴティーブ撮影)(左写真:1930年8月7日撮影)

1959年7月17日はアメリカが生んだ不世出のジャズ・シンガー、ビリー・ホリデーの死んだ日である。
彼女の代表曲として知られる『Strange Fruit(奇妙な果実)』は、ニューヨークのユダヤ人教師、エイベル・ミーアポル(ペンネームはルイス・アレン)によって作られた曲であるが、それはこのトーマス・シップとアブラム・スミスという二人の黒人のリンチ殺人写真を見て受けた衝撃による表現であった。当時アメリカで横行した、黒人差別的な殺人、殺した黒人を着に吊り下げるという行為を「ポプラの木に吊された奇妙な果実」に喩えたその詩に自らの父の死を重ねたビリー・ホリデーはこのメッセージ性の強い歌を、未だ黒人差別が社会に強く根ざしている1939年に歌い始めた。ビリーはこの歌のレコーディングを所属していたコロンビアに持ちかけたが、その過激な内容から断られ、コロンビアに持ちかけたが、その過激な内容から断られ、インディーレーベルから発売したが大ヒットとなった。以降、この『Strange Fruit』は黒人差別殺人を指す言葉として知られ、驚くべきことに近年のアメリカでも同様の殺人事件は起きているという。
 今年に入ってもアメリカでは、7月5日に「身の危険を感じて」黒人を射殺したミズーリ州の白人警官の事件を皮切りに、デモ、そこでの過剰な射殺事件に発展するなど、白人・黒人間の殺し合いの様相を呈している。ビリー・ホリデーの死後50年を経過してもその歌声が不滅なように、アメリカの、世界のいたるところで、奇妙な果実は、いまだ“木になっている”のである。

(写真はそれぞれWikipedia Billie Holiday ,Strange Fruitより。Public Domain)

7月17日の不幸

1959年
【死去】ビリー・ホリデイ(Billie Holiday)【歌手/アメリカ】(つづきから)その美しい歌声の一方で、ドラッグに溺れ刑務所に服役するなど、激動の人生を送ったことでも知られる。また、同性愛者としても派手な私生活を送っていた。晩年はドラッグとアルコールの中毒症に苛まれ、44歳で死亡。死因は腎臓の感染症と肺水腫。
1959年
【死去】ビリー・ホリデイ(Billie Holiday)【歌手/アメリカ】1930年代〜1950年代にわたりアメリカで活躍した、不世出のジャズ歌手。代表曲『Strange Fruit(奇妙な果実)』で知られるように、黒人差別と戦ったアーティストとしても知られる。(つづく)
1961年
【死去】タイ・カッブ(Tyrus Raymond "Ty" Cobb)【野球選手/アメリカ】(つづきから)しかし、後年明らかになったところでは近代的な合理主義と異常な競争心、寡黙な人格が誤解を招いていたケースも多かったというのが実情だったようである(ただし、人種差別的な発言も多数あった)。前立腺ガンで74歳没。
1961年
【死去】タイ・カッブ(Tyrus Raymond "Ty" Cobb)【野球選手/アメリカ】主にメジャーリーグベースボールのデトロイト・タイガースで活躍した伝説の外野手。ピート・ローズに次ぐ通算4,191安打を記録した打撃の天才であったが、同時期に活躍したベーブ・ルースとは正反対の悪役としてリーグに君臨し、スパイクの歯を相手に見せつけるように研いでいたという情報(後に本人は否定)や殺人的なスライディングを繰り返していたことなどで"最高の技術と最悪の人格の持ち主"などともいわれている。(つづく)
1967年
【死去】ジョン・コルトレーン(John Coltrane)【ミュージシャン/アメリカ】20世紀最大ともいわれるジャズ・ミュージシャン、サックス・プレイヤー。同時期のジャズ界の巨人=マイルス・デイビスのバンドで活躍したこともあったが、脱退と参加を繰り返していた。1957年7月に出演したライブ・ハウス「ファイブ・スポット」で"神の啓示"を受けたといい、以降、代表作『Blue Train』『ジャイアント・ステップス』を始めとした凄まじいクオリティの楽曲を残した。肝臓ガンで40歳没。
1977年
【芸能】「キャンディーズ解散宣言」当時人気絶頂中だったアイドルグループのキャンディーズが日比谷野外音楽堂でのコンサート中に突然解散宣言をした。パニックに陥ったファンの怒号をかき消すように伊藤蘭が言った「普通の女の子に戻りたい」が、この年の流行語になった。翌年4月4日に解散。
1987年
【死去】石原裕次郎【俳優】実兄である石原慎太郎の代表的小説作『太陽の季節』にバーターで俳優デビュー。初期は映画『嵐を呼ぶ男』に象徴されるような二枚目スター、晩年は『太陽にほえろ!』『西武警察』等の刑事テレビドラマで一世を風靡し続けた昭和の日本を代表する俳優。渡哲也、舘ひろし、神田正輝などを率い「石原軍団」を名乗った。また、『夜霧よ今夜もありがとう』等の歌謡曲をヒットさせたことでも知られる。肝細胞癌で52歳没。
1988年
【殺人】ブルーザー・ブロディ(Bruiser Brody)【プロレスラー/アメリカ】ウエスト・テキサス州立大学時代はフットボール選手として活躍していたが膝の故障で3年次に引退。その後コラムニストの職に就いていたが、フリッツ・フォン・エリックにスカウトされてプロレスデビュー。大学時代の後輩であったスタン・ハンセンとのコンビでニューヨークのWWWFで活躍、その勢いで日本マットにも参戦し、全日本プロレスではハンセンとの《超獣コンビ》で衝撃的な活躍をした。得意技はキングコング・ニー・ドロップ。(つづく)
1988年
【殺人】ブルーザー・ブロディ(Bruiser Brody)【プロレスラー/アメリカ】(つづきから)プエルトリコでのWWC興行に参加した際に、レスラーでありブッカーのホセ・ゴンザレスと口論の果てに、控え室で刺殺された(後日、目撃者のレスラーが揃って証言を拒否しホセ・ゴンザレスは正当防衛として無罪に)。没年42歳。
1994年
【死去】塩田剛三【武道家】講道館柔道出身で、自ら「養神館合気道」を立ち上げた合気道の開祖。154センチという小柄ながら、大男達を次ぐ次に投げ飛ばす神業、一撃で昏倒させる当て身技で有名に。ガンにより78歳没。
2004年
【死去】鈴木義司【漫画家】テレビ『お笑いマンガ道場』で富永一郎とともに活躍し、"土管に住む鈴木"という富永のネタでお茶の間によく知られた漫画家。代表作に読売新聞夕刊に38年間連載した『サンワリ君』がある。東電の原発推進のための漫画パンフレットを制作するなど、その広報活動に大きな役割を果たした漫画家としても知られる。
2011年
【死去】森孝慈【サッカー選手・サッカー監督】社会人スポーツ時代の三菱重工で活躍したミッド・フィルダーであり、1968年のメキシコシティオリンピックで銅メダルを獲得した日本代表選手。現役引退後は日本代表監督を務め、1985年の最終予選ではその夢に近付くも(木村和司の伝説的フリーキックが決まるも韓国に1ー2で敗戦)、その任期中に悲願のワールドカップ出場は叶わなかった。退任後はJリーグ設立で浦和レッズの中心人物として貢献し初代監督も務めた。腎盂ガンで67歳没。
2011年
【自殺】【怪死】TAIJI【ミュージシャン】「X JAPAN」や「LOUDNESS」等の人気ロック・バンドで活躍したベーシスト。本名の沢田泰司名義でも活動した。2011年7月11日にサイパンへ向かう飛行機内で乗務員に暴行し逮捕。その拘束中にシーツで自殺を図り、16日に脳死状態に。そのまま呼吸器が外され17日に死亡した。没年45歳。
2015年
【事故死】ジュール・ビアンキ(Jules Lucien André Bianchi)【レーシングドライバー/フランス】マルシャで活躍したフランス出身のF1ドライバー。2014年10月5日の鈴鹿サーキットで行なわれた日本GP決勝で、台風18号の影響により44週目にコースアウトし、タイヤバリアに衝突。意識不明のまま手術し、人工昏睡状態での自然呼吸回復にまで成功し、母国のニース大学付属病院に搬送されたが、9カ月後に死亡。没年25歳。